国家安全維持法の制定で「香港の自由は死ぬ」と言われますが、
アヘン戦争で植民地となった香港になぜ「自由」があるのかと考えると、
香港には初代総督H・ポッティンジャー卿以来、関税を拒否する自由貿易の方針がありました。
また政策的にも、アダム・スミス的な古典的自由主義が基調にあり、
英国法(コモン・ロー)と共に中国の慣習法も認められた。
1960年代には三ヶ所の証券取引所が許可されたが、英国資本の独占は許されず(Ⅿ・リドレー)、
現在では、英国を上回る一人当たりの所得を誇ります。
香港は敗戦で植民地となり、宗主国を超えるような自由や繁栄を得たけれども、
自国の中国に復帰してそれを失うという
皮肉な運命を辿りつつあるようです。
いっぽう、我が日本にも、
敗戦や占領政策、新憲法のおかげで自由を得たと見る向きもあります。
けれども、敗戦で国中が虚脱状態にあるとき、
石橋湛山は、この急激な領土縮小、人口過剰こそ、日本再興のチャンスだと説き、
いち早く戦後の復興の構想を示しました。
有名な『東洋経済新報』昭和20年8月25日号の社論のタイトルは
「更生日本の門出 前途は実に洋々たり」(全集13)ですが、
湛山が「具体的な針路は…次号以下」に示すとした、
その次号のタイトルは
「更生日本の針路―五事御誓文と欽定憲法とに帰れ」(9/1)でした。
湛山いわく、
ポツダム宣言は「日本国民を欺瞞し、世界征服の挙に出でしめたる権威と勢力とを永久に除去すべし」と要求するが、
「わが建国の精神は断じてかかる不逞の存在を許さず……世界征服の企図のごときに出たものでない」、
それは「聖詔および当局の声明等に明示され……我が皇室がかかる権威にも勢力にもあたらざることは弁明するまでもない」
また同宣言は
「民主主義的傾向の復活……」とも言うが、これも「日本建国の根本主義」に異ならず、
明治天皇による五箇条の御誓文は「これ実にデモクラシーの真髄」、
「言論、信教、思想の自由…基本的人権の尊重は…欽定憲法のとくに重きを置きて定められ」た。
そして、日本は農業国に転落するなどは「まったく根拠なきデマ」である(9/15)。
連合国は、デモクラシー、完全雇用を理想とするから「案にして正しければ…必ず容れざるをえず」、
工業国としての日本再建は「十分(な)調査を提出すれば、なんびとも拒否しえない」
かかる信念をもって、国民を激励し、
侵略戦争論に反駁し、皇室を擁護し、
GHQと対立し、公職追放という憂き目も受けますが、
戦後の繁栄を誰よりも正確に見通した石橋湛山の基点には、
上記のように五箇条の御誓文と欽定憲法という
自由と民主主義の「わが建国の精神」がありました。
G・オーウェルは『動物農場』(1945)の序文として書いた「出版の自由」において、
ソ連共産主義に迎合し、全体主義(独裁制)と対決しない当時の思想界の姿勢を、
西欧文明の根幹たる「自由の伝統からの離反」と痛撃し、
「古来の自由の知られたる掟によって」とのミルトンの詩の一節を掲げました。
これからの世界は、冷戦時代のごとく「自由の伝統」との歴史的な信念を有する陣営と、
それを信じない全体主義の陣営とに二分すると思われますが、
「古来の掟」(ミルトン、オーウェル)、「建国の精神」(湛山)という言葉は、
知性の自由がいかに深い根をもつ伝統であり、
この歴史的信念なくして、われわれの文明の存立や繁栄は疑わしくなることを
















