キャスリーン(以下「キック」)は、ジョセフとローズの4人目の子供です。すでに書いたとおり、長女のローズマリーに知的障害があったため、キックは事実上の長女として、二人の兄とともに弟妹の面倒を見る、というか「仕切る」立場にありました。

三女ユーニスの回想によると、ジョー、ジャック、キックはとても仲が良く、三人は言わば「トロイカ体制」でケネディ家をリードする、弟妹達の「憧れ」だったそうです。

今に残るキックの写真(英国時代、左がジョー、右がジャック)は、えらの張った見事な「ケネディ顔」ではありますが、すらっとして快活そうな、とても魅力的な女性に見えます。

キックの人生は、父・ジョセフの英国大使就任によって一変します。大金持ちの同盟国大使が連れてきた活動的な子供達の一人として社交界に入ったキックは、英国屈指の名門デボンシャー公爵家の跡取り息子ウィリアムと出会って恋に落ち、周囲の反対を押し切って結婚します。

この「周囲の反対」が、ただごとでなかったのです。キックがアメリカ人だということは、実はそれほど問題ではありませんでした(問題でなかったわけでもないですが)。

深刻な問題は、英国貴族のデボンシャー公は当然英国国教会(プロテスタント)の信者、かたやアイリッシュのケネディ家はガチガチのカトリックです。母・ローズが聖心出身で、信仰ゆえに夫と愛情の無い結婚を全うしたことは既に書いたとおりです。

この結婚でキックは家族から孤立してしまいます。しかも、結婚のわずか数ヶ月後、英国貴族の伝統に則って戦場へでたウィリアムは戦死、キックは24歳で未亡人になってしまいます。

優しい二人の兄以外の家族とは絶縁状態になっていたキックはその後もイギリスに残り、名門・デボンシャー家の一員として、婦人義勇軍の活動に精を出すうち、こんどは別の貴族、もちろんプロテスタントのフィッツウィリアム伯爵と不倫関係に陥ります。

この間、イギリスで従軍していた兄・ジョーが戦死、キックはますます孤独になってしまいます。

不倫をした割には真面目な(笑)フィッツ伯は妻と離婚してキックと再婚する決意を固めて(やはりそれだけキックが魅力的な女性だったのでしょうね)いたのですが、その相談のため渡米するべく二人がチャーターした飛行機が墜落、キックは28才の若さで死んでしまったのです。

最初の結婚でプロテスタントに改宗した娘を、母・ローズは生涯許さず、自分がキックの葬儀に行かなかっただけでなく、兄弟姉妹が参加することも許しませんでした。ローズマリーのロボトミー手術もそうですが、肉親の情よりも体面や「筋」、あるいは「怨念」を優先するケネディ家の歪んだ一面を物語るエピソードです。


キックの死には、取り立てて事件性や謀略性は感じられません(色々言う物好きは居ますが)。しかし、後の他のケネディ達の運命に見られる特徴がいち早く顕著に表れています。

さて、1948年に、個人でチャーターした飛行機の事故で亡くなる可能性のある人が、世界にどれくらい居たか考えてみて下さい。普通ありえない事故でしょう。今の日本でも、飛行機を借り切って旅行する人なんてのは、一部のアホなヒルズ族くらいでしょう。(かの「TK」でもそこまではしませんでした)

戦争も終わってるんだし、普通にのんびり船で渡米していれば、キックは死なずに済んだはずです。99年に亡くなったJFK Jr.も、帰省するのに自分で飛行機を操縦したりしなければ無事に済んだかもしれません。薬物で亡くなったボビーの二人の息子、デイビッドとマイケルも、麻薬がいくらでも手に入るほど金持ちだったから、と言ったらちょっと牽強付会かもしれませんが。

つまり、明らかに暗殺されたジャックやボビーはともかく、いわゆる「ケネディ家の悲劇」には、「すごく金持ち&とても活動的」という彼らのライフスタイルが招いた、いわば「身から出た錆」という要素があるように思うのです。
どいどいをのブログ-ジョー、キック、ジャック