お義父さん、ありがとう | はるの花道

お義父さん、ありがとう

時間が経つとじわじわと哀しさが襲ってきます。

5月8日に義理のお父さんが息を引き取りました。

4年前に中国へ旅行した時の写真です🤳


自分の両親は、私が23歳の時に母

父は5年前に他界

パパさんと結婚して、もうすぐ27年目になるので旧姓より今の姓の方がかなり長くなってる。


義父さんと出会ってから、30年近くにもなるので、実家での暮らしより記憶が強い。

何より、素敵なお義父さんだったから。


初めて出会ったときのことも覚えてるぐらい❤️


思い出は山のようにあるけれど、本当にお世話になったなぁと思う。

私に母がいなかったこともあったので、出産の時に十日間くらいは泊まってたりしてお世話になりました。

初孫ということもあったので、息子もむちゃくちゃお世話になりました。

夏休みや春休み、冬休み。

フルタイムのOLだったから、本当に良くみてくれた。


保育園の行事から、小学校、中学校、高校…

ラグビーが大好きだったお義父さんなので、息子の試合にも良く顔を出してた。

大学の時も、福岡での試合には顔を出していた。


自分の両親のように、愛してくれた。


若い頃、福岡に遊びに行った時にひとりでパパの実家に泊まりに行った時、

23時頃帰宅したら、叱られた💦

男三兄弟だったので、嫁とはいえ娘だったから。


『遅い💢』と叱られた。

起きてまっててくれた。

いくつになっても、良く送ってくれたり、迎えにきてくれたり、、、


優しい思い出、愛の深い想い出しかない

湯布院へ旅行したり、中国へ旅行したり。


別荘に行こうね〜って、LINEだけ残ってる

果たせなかった😭

未読のLINEがとても切ない…


最後のLINEは、3月の誕生日おめでとう🎊だった。

ふみの日生まれが同じだったので、いつもおめでとう㊗️って連絡してた😊

逢いに行けなかったので、メッセージ入りのお菓子を送った…グルメなお義父さんだった。


ドヤ顔で美味しい料理をいつも振る舞ってくれたなーー😭😭😭

コロナじゃなかったら、もっともっと遊びに行けたのに…のに、たら、ればばかり。


思い出は、30年分くらいあるから、伝えきれない


教育長だったから、役所の椅子で子供達と遊んだこともあったな。

素晴らしい方、立派な方。


惜しまれる方だった。

すごいのは、子供達、孫達みーんながお義父さんをリスペクトしていること。

お義父さんのようになりたい❣️


そんなふうに思われる人間って、きっとそんなに居ないんではないかと思う。


コロナ禍ゆえに、

在宅での緩和ケアを選んだ、家族。


今病院では、お見舞いすらいけないし、病室に入れないから。

だから、最期の最後まで、たくさんの人が来て、たくさんの人と逢えて、話せて、笑って過ごすことが出来たんだと思う。

もちろん介護する家族は、大変だったと思う。

それでも、愛するからこそ

2ヶ月の間は、濃く深く尊い時間が過ごせたんではないかと思います。

余命宣告より、少しだけ頑張りました。


私は何にも出来なかったけど、お義父さんと家族が選んだこの時間は愛おしいと思てた気がします。


やっぱり、今となっては

もっと逢いに行けばよかったと、

かなりの後悔がありますが、


通夜や葬儀も、素晴らしいものだったと思います。

逝き方も、見送り方も、やっぱり

尊いお義父さん✨


この家族の一員であることを誇りに思えます。


お義父さん、ありがとう。


大きな

大きな

大きな愛をありがとうございます。


しばらくは泣けます。


新聞にも📰

お義父さんの死を悼む記事がありましたよ。


こんなに頼りにされ、愛される人ってすごいな。


お義母さんが心配ですね。

毎年のダンス💃パーティーがとても寂しいです。