ビーグル号航海記(上・下)チャールズ・R・ダーウィン/荒俣 宏訳    平凡社    
 
 チャールズ・ダーウィンの「種の起源」が出版されて来年で160年になるそうです。その進化論は今も高く評価され古典中の古典で読了に挑戦したいところですが、素人にはハードルが高そうです。というわけで、その前に、ダーウィン青年時代の世界一周の航海記を読んでみることにしました。

 

 


 二本マスト型帆船、軍艦ビーグル号は1831年12月27日にイギリスの港デヴォンポートを出帆しました。目的は、1826年から30年にかけてキング大佐がアドベンチャー号で着手した、パタゴニアとフエゴ島の測量を完了させること、チリからペルーならびに太平洋諸島の海岸線の測量をおこなうこと、地球をひとまわりするクロノメーターの測定の輪を完成させることでした。

 艦長フィッツロイ大佐は科学者を同乗させることを望み、ダーウィンが志願しました。ダーウィンは航海の間に動植物の標本をイギリス本国に送り、ビーグル号を離れて内陸部の調査も行います。帰国後、航海の記録と博物学と地質学の観察を一般読者向けに日記形式で書いて「ビーグル号航海記」として出版しました。

 この航海は、ダーウィンにとって生涯に一度の大旅行で、のちの進化論着想の原点となりました。

 上巻には、イギリスを出港して南アメリカ東海岸を南下しマゼラン海峡を通過するまでが書かれています。

 

 


 1832年4月4日 リオデジャネイロ着、7月5日まで留まる。

 


 1832年7月26日 モンテビデオ(ラ・プラタ川河口の都市)着

 この先2年間、ラ・プラタ川の南、アルゼンチンの東海岸から南端のフエゴ島、マゼラン海峡までの間を行き来し海岸線の測量を行います。

 フエゴ島民

 上巻では、フエゴ島民の記録がもっとも印象に残りました。
 フエゴ島民は、南アメリカ大陸の南端のフエゴ島に住む未開の民です。

 ダーウィンによると、フエゴ族は、主に貝類を食べ、そのため居住の場所を変え、一定の間隔をおいて同じ場所に戻ってくる。住居は乾草の山に似ている。折った枝を地面につきさし、一方向を草や葦の葉束でぞんざいに葺いてある。グアナコ、アザラシ、カワウソなどの皮を身につけているるが、部族によっては丸裸である。濡れた地面に動物のように丸まって眠る。部族同士は敵対し、おたがいに違う言葉をしゃべり、砂漠や中立地帯によって縄張りを定めている。

 フィッツロイ艦長は、以前の航海でフエゴ島民をイギリスに連れていき三年間教育したが、今回の航海で故郷に戻すために乗船させていた。フエギア(少女)、ジェミー(少年)、ヨーク(成人)と名づけられた三人である。

 

 彼らを島に戻してビーグル後は島を離れるが、ダーウィンはこんな感想を記している。

 「この三人のフエゴ族は、たった三年だけ文明人とともに暮らしたが、そのあいだに身につけた習慣を失わないでいてくれれば、ほんとうにうれしかったのだが、それはどう考えても無理のようだ。かれらが文明国を訪れたことが、ここでなにかの役にたつだろうとは、とても思えないのだ。」

 約1年後、ビーグル号は再びフエゴ島に寄港します。そこで見たジェミーは、見分けがつかないほど、痩せて目をだけギラつかせ、すっかりフエゴ島民の姿に戻っていました。残念ながらダーウィンの予想が当たってしまったのです。

 下巻には、マゼラン海峡を越えて太平洋を横断し、イギリスに帰港するまでが書かれています。


 ビーグル号はマゼラン海峡を越えて南アメリカ大陸の西海岸を北上し、1934年7月23日、チリの首都サンティアゴ近くのバルバライソの港内に投錨します。その後、西海岸を南下と北上を繰り返し海岸線の測量に従事します。 この間にダーウィンはアンデス山脈やチリ内陸部を踏査し、化石を含んだ地層の地質学的調査を行います。地球の長い歴史のなかで大地が隆起と沈下を繰り返した痕跡を観察します。

 1835年2月20日、ダーウィンはチリの大地震に遭遇し、コンセプシオンの街が壊滅した惨状と、大地が震動し隆起した光景に出合い衝撃を受けます。

 ガラパゴス諸島


 1835年9月15日、ガラパゴス諸島着。

 

 鳥や爬虫類は人間を恐れず簡単に捕まえて観察したり、標本にできます。ガラパゴスフィンチ類は島ごとの環境に適応して固有の変種が生息していました。
この事実が、後の進化論着想のきっかけになったといわれています。

 


 ビーグル号はタヒチ、ニュージーランド、オーストリアを経、アフリカの喜望峰を回り世界一周の旅を終えました。

 1835年11月15日 タヒチ着。
 ニュージーランド、オーストラリアのシドニーを経て、1836年10月、ビーグル号は世界一周の任務を果たしてイギリスにもどりました。

 

 

 ダーウィンは航海記の最後をこのように結んでいます。

 「8月の末日に、われわれはベルデ岬諸島のポルト・プライヤに二度めの錨を降ろした。そしてアゾレス諸島へと進み、そこで6日間逗留した。10月2日、われわれはイングランドの岸にたどりついた。そして、わたしはファルマスでビーグル号を降りた。思えば、ほぼ5年にも及ぶ、なつかしい小さな船での生活であった。」

 「ビーグル号航海記」は、青年ダーウィンの率直でみずみずしい感性で、南アメリカの自然の風景や、現地で暮す人々の生活が記録されています。19世紀半ばの世界をダーウィンとともに旅をしているようでした。

 上巻507p、下巻526pという長い旅でしたが、数多く載せられている図版を楽しみながら最後まで読みとおすことができました。