自宅介護は、苦しいです。
何もかも相手に合わせなければなりません。
自分を主張すれば、自分の首を絞めます。
時間も自由にはなりません。
出方次第では、相手を悲しみに突き落としてしまいます。
では何故❓
ケアーホームの選択の余地もあった筈です。
自己満足.ただそれだけだったかも知れません。
側にいれば、以前と同じ様に経過がわかる、特に健康、笑い、感謝。
入院中は毎日お見舞い欠かさずに、ナースの仕草、身につけて、これならワタシもできる筈
軟体動物になってしまった、ギッタンを移動するのも全て機械です。
病院でしかできないケアーも退院する頃には機械使わずに動ける様になりました。
でもまだオムツの状態、その姿、見るも侘しい、、。
自宅に帰って暫くは病院派遣のケアラーが日に3回訪問してくれて、身の回りのお世話してくれました。
期限迎えて「この先、どうしましょうか?継続してケアラーをつけますか?」
「いいえ、後は私がケアーします」
訪問介護は無くなって、家族でケアーが始まりました。
一番気になるのは食事です。
誤嚥の危険があるために、流動食か軟食で、アルコールはダメです。
粗相がある為オムツ適応、
適度な運動、
自宅で直接顔を見て、健康状態確かめて、、最初はチョットずつ、、そしてこれくらいなら
全ての責任身に受けて、
制限受けて命長らえても、価値があるのかな?
医者には「もうそちらの責任ですから」と言われました。
その後オムツも外れ、室内車椅子移動もやめました。ギッタンにとって辛かったでしょう。
でも、あなたの為と言いながら、結局私が楽になる為だったのかも、、。
大きな失敗もなく、今を迎えていられるのも、ギッタンのお陰です。
リハビリクラスにボランティアで来られた若い女性、まだ2回しか会っていませんが
年はムッタン(娘)と同じかな?
男の子二人のお母さん。
「私も障害者の為のボランテア、やっていたら、もっと知識、あっただろうにね」
彼女と語ったその時にミッタン(ボランテア)の背景がチョッピリ見えてきました。
ミッタンのお姑さんも脳梗塞で今は自宅介護との事、そしてもっと知りたいと
ボランテアを希望したと言いました。
神がいるとしたら感謝です。
そんな彼女に巡り合わせてくださって、、、。
帰り、「車椅子押させてください、姑は体重30キロそこそこの小柄な女性」
という彼女、、私達アナタの両親替わりになれるかなぁ