日本写真学園の歴史

私の最初フィルムカメラは、選択を誤って買ったモノだった。キヤノンのT-50という固定プログラムの一眼レフカメラだった。表現しようにも、ファインダーを覗いてもメーカー設定で撮影するので、なにも変更できない。これは、交換レンズ・システムを駄目にするカメラだった。押せば、写る。ただそれだけのカメラ。

これが、私を不機嫌にした。日本で異様に好まれる背景のボケぐあいも調整できない。動いている高速移動するものを止まるように写すか、流れるようにブレる。こう言う基本的な表現も出来ない。そして、カメラを探し始めた。そして見つけたのは、645というさいずだった。6 cm x 4.5 cmのフィルムを使う中型カメラだった。初期ロットですと言われてカメラ屋で、買った。かなり高価だった。でも、機動力もあり、レンズもフィルムも揃って、使いこなすために、知人に勧められた日本写真学園の短期コースを受講、実習をした。最上階の5回に、スタジオがあって、暗室教室も幾つかあり、写真集や写真文献の山が、あった。今は、リコーのペンタックス645Dで、とんでもないデジタル中型カメラになっているが、当時は、旭光学のペンタックス645だった。買った直後に、メーカー主催の撮影会があって、宣伝部の方から、実は、プロトタイプは、世界で最初のオートフォーカス一眼レフ・カメラだと聞いた。証拠は、レンズと本体を結ぶ電気接点の数が、多すぎるでしょってね。この時、最初からAFだったら、事実上、実用的なオートフォーカス一眼レフカメラとして、世界で最初になったのに。惜しいことです。

フィルム代と現像代は、月3万円以上になった。宣伝から、プロラボの営業を紹介されて毎週月曜日にフィルムの現像を依頼していました。短期コース仲間は、凄い人ばかりだった。カメラ・メーカーやフィルム・メーカーの写真サロンで、個展を頻繁に開くような人ばかり。短期コースの初回だった。一般の人に、フォトグラフィーを教える専門コースは、ほかになかった。(今でもないかも知れない。)スタジオ設営、ライティングの実習、暗室技術(フィルム・メーカーから講師が来た!)。私の専門は、電子材料・応用物理だったが、大学・大学院レベルの授業を受けるのも新鮮だった。授業料は、確か月4万円ぐらいだったか。授業が、数時間、+ スタジオ実習・暗室実習だったが、トータル4時間ぐらいのはずだったが、終電に近い時間になるのも頻繁だった。

6cm幅のフィルム(ブラウニーフィルム 120 / 220 )が、入手困難になって、10年ほどの写真修行・フォトグラフィー三昧は、終わった。

日本写真学園は、フィルムとディジタルの切替で、生徒募集をしても集まらなくって、とうとう閉校となってしまった。

ソニーのデジカメで、誤魔化していたが、修理をしてくれないそうで、もうソニーは、買わない。今は、大型、中型カメラのレンズでも有名だった富士フィルムのカメラを検討しているが、まだ、開発の途中というような印象をうけて、購入に躊躇している。

閉校してから、もう10年を越してしまった。熱血漢の教師、モデルが出来るぐらいの美人の女性、中堅会社のレンズコレクター・カメラコレクターの社長、後に知ったが、法務大臣を拝命された国会議員、著名なデザイナー。。。ともかく凄かった。もう一回何か出来るかな。

では、では。