昨年の1020日に、左上のある一本の歯に異常を感じ、21日に歯医者に行った。それから3ヶ月、ようやく私の歯医者通いが終了した。長い長い戦いに終止符が打たれた。

 たかが歯一本なのに、あのときに感じた痛みはこの世の終わりにも匹敵するほどの強烈な衝撃だった。脳天にまで激痛が走り、目からは涙が流れ、夜は痛くて眠れず、やっと寝たと思ったらまた痛みで目が覚める、たまらずに歯医者に飛び込んだわけだが、そこでまた地獄の責め苦が待っていた。

 歯の治療というものはまさに拷問技であって、痛い歯を治してもらうんだ、痛みを取り除くためなんだと思うからなんとか我慢できるわけで、そうでなかったら絶対に受けたくないものの最右翼に位置する。私がどんなに重要な国家機密を持っていたとしても、歯をギュイ~ンと削られたら、すべてをゲロしてしまうだろう。

 そのくらいの痛みに耐え、ようやく、歯が治った。

 なんでこんなに時間がかかったのかというと、まず治療が週に一回だったことによる。今回の痛みは、かつて治療済みの歯の歯肉が炎症を起こしていることが原因だったので、まずは被せ物をはずして歯肉の炎症を治さなければならない。これに時間がかかったのだ。

 最初の治療のとき、拷問によって被せ物がはずされ、拷問によって歯が削られ、開いた神経の穴に薬を入れて綿をこよりにしたような詰め物をした。

一週間後にそれを取り出して見たら、白かった綿が茶色に変色していた。いかにも、“汚い”ということをうかがわせる色だった。しかも匂いを嗅ぐと“臭い”のだという。私が嗅いだわけではないからどんな匂いがしたのかわからないのだが、歯科医が臭いと言うのだからきっとそうなのだろう。汚くて臭いものが口の中にいるというのは、おぞましいものである。歯科医は「これはまだ菌がいるということですね」と言い、また薬を入れてこよりを詰める。そしてまた一週間の様子見。これを何度も繰り返した。チェックするためには、やはり一週間くらいは必要だということで、自然と治療は週一回ということになったのだ。

その日の治療が終わった後に次回の予約をするのだが、行くのを忘れたらいけないので、毎週同じ曜日の同じ時間に通うことにしていた。月曜日の朝10時。私の生活の中に、週の初めに歯医者に通うというリズムができたのだった。

私の歯肉に潜んだ菌は相当にしつこい奴だったようで、何回も通っているのになかなか色がなくならなかった。また色はなくなっても、匂いを嗅ぐと臭かったりして、やはりまだだめ。この段階で新たな被せ物をしても、まだ菌が残っているうちにそれをすると同じことの繰り返しになってしまうため、完全に無菌になるまでは先へ進めないのだった。

こうして2ヶ月が経ち、ようやく次のステップに進むときがきた。やっと菌が消え失せてくれたようで、取り出した綿は白く、匂いもなかった。口の中が清潔になったような気がして嬉しい。今度は、ピンク色をした柔らかい粘土のようなものを噛まされて型を取られた。その型に沿って新たな被せ物が作られるのである。

ところがそこからがまた長く、結局何回も型を取られたのだが、一体あれは何だったのだろう? なぜ一回で済まなかったのか今でも疑問であるが、こういうとき、なぜか医者には聞きにくいものである。本来なら患者は疑問点をどんどん医者にぶつけるべきであり、聞けば医者だって答えてくれるはずである。私は以前から医療ジャーナリズムに関係した仕事をしており、インフォームドコンセントの重要性を充分認識しているはずなのに、いざ自分が患者になると“まな板の鯉”になってしまうのだからなんとも情けない。

とにかく、ようやく新しい被せ物が私の口の中に設置され、治療が終了した。年末年始を挟んで、2年越しの治療だった。新しい異物が口中に入ってくると、最初はたいてい違和感を覚えるものだが、今回は思ったほどの違和感がなく見事にフィットしている。型取りがうまくいき、歯科技工士が優秀で、前の被せ物と寸分変わらぬものが作られたのだろうと想像される。良かった、良かった。

しかし、これで私の口内がすべて平穏になったのかといったら、そうではない。実は右上の一番奥の歯に穴が開いていることを私は知っている。舌で触ると確かに感じる。

今回の治療中、ついでにこの歯も治療しようかどうしようかという葛藤に常に悩んでいたのだが、治療の痛みを思うとついに言い出せなかった。痛んでから治療すると痛みが2倍になるが、痛まないうちに治療してしまえば、痛みは一回で済む。冷静に考えればそういうことなのだが、問題を先送りすることにしたのだ。

カール・ゴッチは総入れ歯である。あるとき、歯の痛みを嫌って、どうせなら全部抜いてしまえばいいんだと思い立って、二日間で上下のすべての歯を抜いてしまったのだという。私には、カール・ゴッチの度胸のかけらもないことが実証された。

おそらくそのうち、この歯がまた激痛をもたらし、私はのた打ち回ることになるのだろう。

 神田駅からJR山手線に乗った。大きな座席シートの端から2番目が空いていたので座った。別に私は、電車でなにがなんでも座りたがるほうではなく、立ったままでいてもかまわないのだが、たまたま空いていたから座った。ただそれだけのことである。とりたてて言い訳するほどのことでもないし、ごくありふれた日常のヒトコマである。

ところがこれが、おぞましい災難の始まりだった。

 隣に座っていた男、一番端に座っていたワタナベのせいである。

 ワタナベといっても、以前からこいつのことを知っていたわけではなく、この日が初対面である。いや、正確に言えば対面すらしていない。横に座っていただけなのだから、初横面(しょよこめん)である。

ではなぜ私が名前を知っているかだが、それは後のほうで出てくる。最初に座った時点ではまだ名前を知らなかったが、とりあえず面倒臭いので最初からワタナベで通すことにする。ちなみになぜカタカナなのかといえば、今でもワタナベという発音しか知らないから、渡辺なのか渡部なのか、渡邊なのか、渡邉なのか、わからないからである。

 私は電車に乗ると本を読まないではいられない活字中毒患者なので、このときも座ってすぐに本を開いた。

しかし、目の前の活字に集中できないのだった。原因ははっきりしている。隣から聞こえてくるカシャカシャ音のせいなのである。ワタナベは耳にヘッドホンを付け、大音量で音楽を聴いているのだった。

 最近はさすがに、電車の中で携帯音楽プレーヤーで音楽を聴いていたからといって、それほど目くじら立てて怒る気もないが、それにしてもこのワタナベの音量は度を越していた。こんな奴の隣に座らなければよかったと後悔したが、だからといって立ち上がって別の場所に移動するのもわざとらしい。

 しかたなくそのままでいたのだが、なんとも不幸なことにその騒音をモロに浴びているのが私だけというのが、悔しかった。ワタナベの右隣にも誰かがいれば、私はその人に連帯感を感じて被害者同盟を結成することができるのだが、ワタナベは一番端に座っているため、右には誰もいない。左隣に座った私だけが、ひとりその騒音に悩まされているのだった。ワタナベの耳から漏れるカシャカシャ音が、まるで頭の中で羽虫が飛び交っているようなうるささを感じさせてくれる。電車内には他にも大勢の人がいるというのに、被害を受けているのが私だけというのは、なんとも不条理である。群衆の中の孤独を痛感した。

 ワタナベが迷惑なのは、音楽だけではなかった。大きく足を組んで、ほとんどふんぞりかえるようにして座っているのだった。

電車が駅に止まるたびに乗客の入れ替えが起こり、ワタナベはシートの一番端、つまりドアから最も近いところに座っているため、その前を大勢の人が行き来する。しかしワタナベはそれすら少しも意に介さないようで、組んだ足はそのまま前に放り出しているのだった。その前を人が迷惑そうに避けて通っても知らん顔をしている。私は、ワタナベの組んだ足を蹴飛ばして、ヘッドホンを耳からひっぺがしてやりたいと思ったが、もちろんそんなことはしない。この手の輩は、注意しても逆ギレするに決まっているからだ。

 電車が駅に止まるたびに、私はワタナベが降りてくれることを期待したが、まったく立ち上がる素振りすら見せない。しばらくその状態が続いた。

そして、とうとう決定的なことが起こった。

ワタナベが手に持っていた携帯電話が鳴り出したのである。もちろんワタナベは、通話ボタンを押して大声で話し始めた。音楽騒音、足組みに加えて、これで電車内の迷惑行為、トリプルクラウン達成だ。どうせ電車内で他の乗客に迷惑をかけるのならここまでやってほしいと思っていたこと、まさに期待通りの展開である。もっともこんな期待は、裏切られてほしかったが。

「はいはい、ワタナベです」

 これがワタナベの第一声だった。これで、彼の苗字がワタナベであることが判明したのだ。大声だったから、車両中の乗客に名前が知られてしまったのではないかと思うが、そんなこともワタナベは気にしないようだ。

 確かにワタナベなどという苗字はどこにでもあるし、電車にたまたま乗り合わせただけの人たちに知られたところで困ることもないだろう。しかし、私はやはり恥ずかしくて、車内で自分の苗字を大声では言えない。私とワタナベでは、恥の観念がまったく異なる人種のようだ。というより、ワタナベにとっては他の乗客はいないも同然、ただの風景の一部なのだろう。

 そうでなければ以下の会話を大声でできるとは思えない。

「ねえ、今からさあ、渋谷に出て来ない? 買い物に付き合ってよ」

隣にいる私のところにも、電話の向こうの声がかすかに届いた。何と言っているかまでは聞き取れないが、女性の声であることは良くわかった。

「西武か東急でセーター買いたいんだよ。付き合ってよ。今新橋通ったところだから、そちらもすぐ家出ればちょうど同じくらいに渋谷に着くんじゃない? ううん、違う、違う、今日は自分で金持ってるから自分で買うって」

 渋谷は、私が降りる駅よりも先である。ということは、私は自分が降りるまでずっとワタナベの隣に座っていなければならないということだ。うんざりしたが、それよりなにより会話の中身のほうが気にかかった。

たぶん、ワタナベの「ううん」の前に彼女が言ったのは、「また私にお金出させるつもり?」とかいう意味の言葉だったのだろう。ということは、ワタナベはヒモか? ホストか? 「今日は自分で持ってる」ってことは、普段は女にたかって物を買わせてるってことじゃないのか?

車両中の乗客の視線がワタナベに集中しているのだが、ワタナベはおかまいなしにニヤニヤしながら話し続けていた。

 電話の向こうで女はどうもグズグズ言っているようで、それをワタナベが懸命になだめすかして、なんとか渋谷に引っ張り出そうとしているのだ。このしつこさから判断するに、ワタナベは自分で持っていると言いながら、結局のところ呼び出した女に金を払わせようとしているのに違いない。

 私は電話を奪い取って、「家を出るのはやめなさい、もうこんな男と会うのはやめなさい」と忠告したくなったが、もちろんそんなこともしない。そんなことをしたら、確実にボコボコにされるだろう。

 というより、どちらかというと、この恥知らずがどこまで続くのか見ていたいという好奇心にかられ始めていた。

 しかし残念ながら、その途中で、私が降りる駅に着いてしまったのだった。後ろ髪を引かれるような思いを残し、私はやむなく電車を降りた。

 彼女は渋谷に出て行ったのだろうか? そしてワタナベにセーターを買ってあげたのだろうか?

 2006年、私にとっての最初の災難は、“雪”といっていいだろう。

 正月3が日はスキー三昧のつもりで、子供を連れて新潟県の中越地方に行った。目指すは、六日町ミナミスキー場。

11日の元日は実に素晴らしい晴天で、スキー日和だった。というよりむしろ暑過ぎるくらいで、着ていたTシャツが汗でびしょ濡れになり、帰ってからスキーウェアを脱いだらとんでもない悪臭がプ~ンと漂い、自分だけでなく周囲の人も苦笑しながら顔をしかめるほどだった。

スキーは意外とハードなスポーツであり、斜面を滑っているときは風を切って気持ちが良いのだが、あまり暑いと斜面を降りてリフトまで歩くだけで汗だくになってしまう。そういえば子供の頃は、スキーをするときには背中にタオルを入れていたものだった。大人になってからは、別に誰かに気づかれるわけでもないのになんとなく格好悪いような気がしてタオル入れはしていないが、この日ばかりはそうすれば良かったと心から後悔した。

とはいえ、体を動かして汗をかくというのはなんとも爽快なもので、ありふれた日常と異なる感覚に満足したのだった。よし、明日も、明後日もスキーをするぞ!!と、気合が入った。

 しかし、2日は朝からどんよりと曇っていて、今にも崩落しそうな重たい空だった。天気予報によると午後からの降水確率は80%。しかも雪ではなく雨だという。多少の雪ならスキーに支障はないが、さすがに雨だといくら防水のウェアを着ていても全身がびしょ濡れになってしまう。汗で下着が濡れるどころの騒ぎではない。泣く泣くスキーを諦めて、こたつにあたってテレビで箱根駅伝を見たのだった。実際に、予報どおり、午後からは凍りつきそうな冷たい雨が降り続いた。

 さて、3日である。今日こそはと思いたかったが、朝起きて窓の外を見ていきなり意気込みを打ち砕かれた。今度は大雪だったのだ。多少の雪なら支障はないが、多少どころではない、多多多多の大雪なのだ。これでは濡れるだけでなく、滑っていても視界が悪すぎて危険である。結局この日も、こたつにあたってゴロゴロしながら、テレビで箱根駅伝の復路を見たのだった。

 ということで正月3が日のうち、スキーができたのは結局1日だけ。今年は3日間滑ろうと思っていただけに、実に残念だった。

しかし、昨年末に降り続いた大雪、そして3日以降も降り続いている大雪を考えると、1日だけでも晴れたのはむしろラッキーだったのかもしれない。

 これが、スキーだけを目的にスキー場のホテルに泊まったりしていたなら泣くに泣けないだろうし、それならたとえ雨でも大雪でも強行しただろうが、実は私の実家がすぐ近くなので無理をする必要がなかったのだ。もっとも子供は、祖父の家に閉じこもっているしかない毎日を「退屈だ、退屈だ」と、ブウブウ言っていた。

 私の場合は、東京から来てまたすぐ東京に帰るのだから、スキーができなくて災難だなどと気楽なことを言っていればいいが、地元に住む人にとっては、今シーズンの大雪は生活に直結する大災難である。昔から雪の多い土地だったとはいえ、ここ数年は暖冬のことが多く、雪が少なすぎて十日町の雪祭りの開催が危ぶまれることもあった。多すぎても困るが少なすぎても困るのである。ただ、今年はいくらなんでも多すぎる。

 特に新潟中越地方は、2004年は大地震に見舞われ、2005年から2006年にかけては大雪とダブルパンチである。いまだ仮設住宅住まいの人もいるというから、同情を禁じえない。

 大雪で何が大変かというと、まずは屋根の雪降ろしである。ほっておくと雪の重みで家が潰れてしまうから、嫌でも屋根の雪を降ろさなければならない。そしてこれが、一回だけでも重労働なのに、今年のような絶え間ない大雪だと、やってもやっても新たな雪が降り積もるのだ。

 私の実家は、両親が高齢化したため数年前に屋根の改造工事をして雪が自然に滑り落ちるようにしたので、屋根に上る必要はなくなった。しかしそれでも、落ちてきた雪の雪かきをしなければならない。そうしないと家の周りが雪に埋もれて、雪の壁に閉じ込められてしまうからだ。

 今年の3が日、実は私もこたつでゴロゴロしてテレビばかりを見ていたわけではなかった。80歳を過ぎた父親にひとりで雪かきをやらせておくわけにはいかないので、大雪の中を、スキーウェアにすっぽり身を包んでスコップを手に重い雪と格闘した。雪かきは比喩でも冗談でもなく、正真正銘の格闘技である。やはりここでも私は汗だくになり、腰に多大なダメージを負ったのだった。この地方の雪は湿気をたっぷり含んでいるので、曙なみのスーパー・ヘビー級なのである。

 しかしそこまでやっても、3日の夜の天気予報。大雪注意報が出ていて夜から朝にかけて50cmの積雪が見込まれるなどと言うのである。いくらやってもきりがない。まるでシジフォス(シーシュフォス)の神話だ。雪国に住む人間は、常に不条理と背中合わせなのである。

 大雪の弊害としては、交通の遮断もある。道路や鉄道の不通である。今回私は、4日の午前中に十日町を出てほくほく線で越後湯沢に行き、そこから上越新幹線で東京に帰る予定だった。ところがいざ十日町駅に行ってみると、ほくほく線は六日町止まりで、六日町-越後湯沢間が上越線も含めて不通になっていた。しかし、私はこの日の夕方に東京で用があるから、どうしても帰らなければならない。

とりあえず私は六日町まで行ってみたところ、そこには同じような境遇の人が大勢いたので、タクシーに相乗りして越後湯沢に行った。相変わらず雪は降り続いていたので、今度は新幹線が心配されたが、なんとか新幹線は平常通りに運行していたので、無事東京に帰り着くことができた。数日前には新幹線が止まって乗客が閉じ込められたという事故があっただけに、これもやはりラッキーと思わなければならないだろう。

 物は考えようで、こう考えると一日だけとはいえスキーもできたわけだし、4日のほぼ予定通りの時間に帰ってくることができたのだから、私にとっては不幸中の幸い。災難どころかむしろラッキーな年の始まりだったのかもしれない。

 精密な機械ほど衝撃に弱く、精巧なコンピュータほど簡単に狂い出す。これは名作漫画「あしたのジョー」で、矢吹丈が金竜飛と戦うときに使われたフレーズだが、まったく同じネタがホセ・メンドーサ戦のときにも使われたのは、梶原一騎が使ったことを単に忘れていて繰り返してしまったからか、それともよほど気に入っていて何度でも使いたかったからか。同じネタが再び出てきたときには私はやや興醒めしたものだが、それはともかく、金竜飛もホセ・メンドーサも精密機械のように冷静で冷酷な強さを持つボクサーだったが、だからこそ野生児の矢吹丈がそれを打ち砕くという、現代文明への挑戦が梶原氏はしたかったのだろうと推測される。

 しかしその後も現代文明はどんどん発達を続け、それとともに最近はコンピュータだけでなく様々なものがデジタル化・精密化されてきているため、簡単に壊れやすかったり、壊れたら素人ではまったくお手上げ、修理不可能だったりするものが多い。

 そんな、私の周りで今年壊れたものアレコレ。


 これは壊れたわけではなく、最初から不良品だったという話。

4月に、ブラザーの電話・FAX・プリンター・コピー・スキャナーなどの複合機MFC620CLNを購入した。店頭で何種類かを比較検討して、わざわざADF(原稿自動送り装置)付きのものを選んだ。これは複数枚の原稿をコピーしたりFAX送信したりするときに、いちいち一枚ずつ紙をセットしなくても何枚かまとめてセットしておけば自動的に原稿を送ってくれる機能だ。オフィス用のコピーやFAXなら当たり前に備えている機能だが、家庭用の場合はそんなに多くの枚数をいっぺんに処理することはないから、あまり付いていなかったりする。しかし私は一応、曲がりなりにも仕事用の事務所で使うため、絶対にほしい機能だった。

そして、よりによってそのADFが、わざわざその機能付のものを選んだというのに、買ったときから使えなかったのである。買って早々、試しに紙を何枚かセットしてスタートボタンを押したところ、何枚も自動で送るどころか、一枚目から途中で引っかかって元原稿がグシャグシャになってしまったのだ。

しかし、だからといって私は、すぐにメーカーに抗議しようとは思わない。こういうときにすぐ電話して「あなたの使い方が悪いんですよ、良くみればわかるでしょう」と馬鹿にされるのが怖いから、どこに問題があるのかを仔細に検討した。どこかにストッパーか何かが付いていて、使う前にそれを外さなければいけなかったのだろう、それを怠った自分が悪いのだろうと思って、マニュアルを必死にひっくり返して行間や紙背にまで目を凝らした。しかしどこにも書いていないから、きっと機械を見ればすぐわかるのだろう、どこかに「使用前にこれを外してください」と書いてあるのだろう、機械音痴の私がそれに気づかないだけなんだろうと、あくまで自分が悪いと思って蓋を開けたり閉めたりして内部を検証した。

しかし、そこまでやってもどこにもそんなものはない。ここでようやくメーカーのサポートセンターに恐る恐る電話して症状を伝えたところ、ストッパーなどはどこにもないから機械が壊れているのでしょうと、あっさりと言われたのだった。

結局この件の顛末は、買ったばかりなんだから最初から不良品だったということで新品を送ってもらい、それと交換に手元のものを送り返すということで決着した。精密機械は壊れやすいだけでなく、最初から不良品の発生率も高いのである。そのおかげで宅配便を送ったり、新品が届いてから電話やFAXを最初から設定し直したりと、かなり余計な手間をかけさせられて大迷惑を蒙った。


 マイクロソフトのワイヤレスマイクも壊れた。5月に買い、しばらくはまったく問題なく快適に使っていたのだが、3ヶ月くらい経ったある日、突然使えなくなってしまったのだ。マウスというよりコネクターのほうの問題のようで、USB端子に差し込んでも「デバイスを認識しません」と出るようになった。認識しませんって、つい昨日まで認識してたじゃないか!

 まるで昨日まで親密に付き合っていた恋人から、突然「あなたなんか知らない」と冷たくあしらわれたようなショックを受けた。しかしそんな繰言を機械に言っても仕方がない。

ただこれもすぐにメーカーには言わず、事務所や自宅にあるいくつかのパソコンに差し込んで試してみた。そして、どのパソコンも他人行儀であることがはっきりした段階で、買った店に持っていった。たかがマウスだし、新しいものを買うしかないかと思ったが、ちゃんと保証書が付いていたから、それなら直してもらおうじゃないの、と思ったのだ。

 そして、一週間後に直ったという連絡を受けて店に取りに行ったところ、これまた新品との交換処置だった。ここで、新品をもらえてラッキーだなどと思うわけがない。

 わざわざ何度も店に足を運ばせられるという迷惑を蒙ったし、新品ならこれもまた、数ヶ月して突然デバイスが認識されなくなる恐れがあるということではないか。前の機械を修理したのなら、原因が判明してそこを修復したのだろうから、安心である。しかし新品なら、前の奴と同じようにある日突然他人行儀になることがありえるのである。

はたして今のこのマウスは、いつまでデバイスを認識してくれるだろうか。


 もはや精密機械とはいえないが、自宅のリビングの壁掛け時計が壊れたのも災難だった。11月に、突然遅れ始めたのである。ふと時計を見上げて、「ああ、まだ○時か」と安心して、あとで大慌てすることがたびたびあった。

 もう何年も、ひょっとしたら10年以上も前から使っているものだし、一流メーカー品でもないからそろそろ壊れても仕方がないかと諦めた。しかしやっかいだったのは、針を合わせるとしばらくはそのまま正常に動くことだった。どうせならそのまま遅れ続けてくれれば良いのだが、いったん正常に戻るからじゃあしばらくはこのままでいいだろうと思ってしまう。なかなか捨てる踏ん切りがつかないのだ。

 そして油断しているとまた遅れ始めていて、時刻を見誤ることになる。何度もそれを繰り返した挙句、とうとう我慢できなくて1225日に新しい時計を買った。このままでは、我が家だけ新年を迎えるのが世間から遅れてしまうではないか。

 年末、新しい時計が新しい時を刻み始めた。

 耐震構造偽造マンションの事件は、他人事として見ている分には、あまりに面白すぎる。もちろん、これらのマンションを買わされた人がとんでもない災難を被ったことは間違いないのだが、あれよあれよと言う間に被害が拡大しすぎて、もはや何をか言わんや状態だ。

この事件では明らかに“悪い奴”がはっきりしているため、彼らはテレビでも雑誌でも集中砲火を浴びている。関係者の中にはどこからどうみても悪役ヅラの人もいるから、集団リンチの格好の標的となっている。しかし法律的にどうなるかは、とりあえず捜査の進展を待つしかないわけだが、どうも国民の期待には応えられないようである。もっとも国民が期待しているのは、関係者が全員死刑になるか最低でも全財産没収というところだろうから、それはどう考えても無理だろう。

危険と指摘されたマンションの住民たちには同情を禁じえないし、彼らが大騒ぎして売主や施工会社に厳重抗議をして保証を求めるのは当然のことだと思う。だからといってそうそう震度5以上の地震が来るわけではないのだから、気長に引越し先を探すしかないんじゃないの、と他人事だから気軽に言ってみたくもなる。もちろん、売主や施工会社などもそういう考えで、手を抜いてもいいだろう、鉄骨を抜いて建設コストを抑えてもいいだろう、と思ったわけだから、こんなことを書いたら私も同じ穴の狢と思われても仕方がない。

ただ、こんなことを厳密に言い出したら、日本中のあらゆる建築物を再検査しなければならないだろうし、現在の建築基準法が施行される前の建物はすべて取り壊さなければならないだろう。風が吹いただけで倒れそうな家なんか、いくらでもあるではないか。ぜひ「震度5以上だと危険」と言われて見たいもんだと、垂涎の思いで偽造マンションを見上げている人も多いのである。

報道もどうせなら、一過性のお祭り騒ぎではなく、そこまで徹底的に追求していってほしいものである。

 テレビコマーシャルでしつこいくらいに流されているナショナルファンヒーター。

これを買った人たちも災難である。一酸化炭素中毒による事故が起こる危険があるということで、メーカーは必死に注意のコマーシャル攻勢をかけている。静止画によるどんよりと暗いCMである。完全おふざけのバラエティ番組中にこれが流れると、最初の頃はあまりのギャップにのけぞってしまったものだ。しかし、さんざん見ているうちにもはや慣れてしまった、というくらいに放送しまくりである。

 これだけの量を流しているのだから、さぞや危険が大きいのだろうと思うが、松下のサイトを見たら相変わらず「場合によっては死亡事故に至るおそれがあります」と書いてあるだけ。「起こった」と過去形ではどこにも書いておらず、あくまで将来の仮定形である。CMを見ると既に何十人も死んでいるようだが、実際のところはどうなの? と突っ込みたくなる。

 そしてもっと不思議なのは、対象製品の製造が1985年から1992年にかけてのものであることだ。一番新しい1992年製でも、今から13年も前に作られたものである。1985年なら20年前だ。そんな昔の製品なのに、なぜ今事故が起こり、しかもそれが製品固体によるものではなく構造上の問題だということがわかったのだろう。このCMを見るたびに不可解な思いにかられる。

 とはいえこれも他人事だから私には関係ない、と思っていたのだが、ふと部屋にある石油ファンヒータを見たら、なんとNational製ではないか! しかも、検査済証というシールが貼ってあるのだが1992年と読める! おいおい。

 もっとも品番はOH-25C。今回問題になっているのはOKシリーズだから、一応私の生命の危険は免れたようである。

 話はまったく変わるが、「1985年~1992年」というのがなんとも一部の人の心をくすぐる年の区切り方であることを同好の士から教えられた。な、なるほど! と思わず私も膝を叩き、目から鱗が落ちた。

 同好の士とは、阪神タイガースファンである。1985年は、いわずとしれたバース、掛布、岡田、真弓らによる21年ぶりの優勝の年。そしてその後黄金時代を築くかと思われながらあっさり凋落したのだが、1992年に突然変異的に優勝に絡み、あと一歩というか、ほとんど手中にしながら逃がしてしまった。そんな阪神にとっての区切りの年、優勝とその一歩手前までの間に作られた製品に欠陥があったというのが、なんともすごい偶然的符合である。

そういえば松下電器は大阪の会社である。まさか設計者や工場の作業者が85年の優勝浮かれ気分で作り、92年の悔しさで目が覚めたのだろうか。もしそうなら、阪神ファンとしては許してしまいたい気分である。

また話は変わるが、92年の監督は中村勝広氏だった。このとき多くの阪神ファンは、後半の采配の迷走振りをみて、中村氏の監督としての度量や才能に疑問を持ったものだ。その中村氏が来年、約10年ぶりに監督としてオリックスで采配を振るう。この10年の間にコーチやGMなども経験しているのだから監督としても成長しているのかもしれないが、それにしても不安を覚える阪神ファンは多い。もっとも阪神の采配を振るうわけではなくチームはオリックスなのだから、これこそまったく他人事でどうでもいいのだか。

ちなみに92年の阪神の悲劇は、小川洋子著『博士の愛した数式』の舞台背景に使われている。その物語の素晴らしさもあいまって、阪神ファンは涙なしにこの本が読めない。

 うかつにも、風邪をひいてしまった。熱はないのだが、喉が痛くて咳が出る。そしてなんともやっかいなのが鼻水である。私の場合、風邪の症状はだいたいこのパターンが多いのだが、だからといって当然のことながら慣れるものではない。毎回毎回、風邪をひくたびに不快である。

以前会社勤めをしていたときは、社内に診療所があったので、どうしても我慢ができなくなると診療所に行って薬をもらっていた。しかしそれは、単に勤務地の中に所在していたからわざわざ医者に行くという手間がかからなかったからだし、診療費も薬代もタダだから行っていたに過ぎない。当時は時間も金もかからなかったのだ。

ところが今はフリーの身であり、かかりつけ医もいないから、どこの医者に行ったら良いかすらわからない。もともと医者という存在もあまり好きではないので、風邪ごときで探す気にはならない。薬という存在はもっと嫌いで、毒にも薬にもならないようなものが薬として大手を振って歩いているのが現実だから、ないならないで構わないし、OTCを買おうとも思わない。

風邪のときは、温かくして安静にしているのが一番なのである。と思ったら、書斎のストーブの灯油が切れてしまった! 昨年度の残りが少しあったので安心していたのだが、よりによって風邪をひいたこのタイミングですっからかんになってしまうとは。

灯油はこれまで、移動販売車がたまたま近所を通りかかったときに、専業主婦だった妻が家を飛び出して車を呼び止めて買っていた。しかしその妻も今はパートで働いているので、たまたま車が通りかかっても今度は妻のほうが家にいないことが多い。ということは、とりあえず今週は寒さに凍えながら、今度の土曜は用があるから、日曜に灯油を売っている店を探すしかないということのようである。

とりあえず今は、毛布にくるまってこれを書いている。

 昔から扁桃腺が腫れやすく、風邪をひくと唾を飲んだだけでも痛みが逆に喉から込み上げてくる感じになる。前述の診療所の医師は、口を開けた私の喉をペンライトのようなもので照らして覗き込み、「おお、見事に真っ赤ですねえ」と実に嬉しそうに言うことがしばしばあった。

あるとき、あまりの痛みに耐えかねて「いっそ手術で取りたいんですが」と思い切って言ってみたところ、「成人してからは勧められませんね。全身麻酔ですし」と、医師は却下するのだった。彼は、私の真っ赤な喉を見る楽しみをとっておきたかったのだろうと推測される。

ただ、全身麻酔という言葉には、私もびびったものである。たかが年に一度か二度、34日の痛みを除去するために、永久に眠り続ける危険を犯すことはさすがにできない。

 鼻の奥に滞留している、ドロリとした粘液が不快さに拍車をかける。もう何度も鼻をかんでいるので鼻の皮が擦り剥けてきている。左などは、出てくる鼻水が赤くなっており、鼻血が混じってほどいるのだ。それでも、鼻をかんで出てくれればその瞬間は非常な爽快感を得ることができるのだが、いくらかんでもしつこくその場に留まっている奴もいる。あまり強くかんだので、耳がキーンとなってしまっているのに、それでも出て行ってくれない奴にはほとほとまいってしまう。

 鼻水は、電車に乗っているときに非常に困る。私の場合、電車に乗っているときはほぼ必ず本を読んでいるので、立っていても座っていても、必然的に下を向いていることになる。そうすると、いつの間にかトロ~リと垂れてくることがあるのだ。しかも、唐突に。さすがにこれは恥ずかしいので、慌ててポケットからティッシュを取り出すのだが、たまに間に合わなかったりして本の上にベッタリ垂れたこともある。

 それまではズルズル鼻をすすっていれば大丈夫だったのに、なぜ突然垂れやがるのか不思議である。

 そんな迷惑な風邪ではあるが、風邪をひいて良いこともある。マスクだ。私は実はマスクが好きなのである。

 まずなんといっても暖かい。寒さに弱い私としては、防寒具としてマスクを高く評価したい。また、前述の鼻水が垂れることも、マスクをしていれば防ぐことができる。もっともその場合、マスクの内側に鼻水がつくことになり、これはこれで気持ちが悪いが。

 しかし、なによりもマスクの一番良いところは、素顔を半分隠しているというそのいかがわしさにある。マスクをすると、覆面レスラーが反則をしたくなる気持ちがわかってしまうのである。誰もが正体を隠して暴れたくなることがあるだろうが、現実にはなかなかできることではない。それがマスクをすると、ほんのちょっとだけ、その気分に浸れるのだ。あまりにもささやかな自己満足だが。

 もっともマスクも良いことばかりではない。上側の鼻の隙間から漏れる暖かい息が、その上のメガネを曇らせてしまうのである。何事も一長一短あるということか。

 広島と栃木で起こった小1少女殺人事件は、なんとも痛ましいニュースだ。子供が被害に遭うのは事故でもなんでも悲しいことだが、殺人事件となるとその悲しさがさらに輪をかけて大きくなる。地震や台風などの自然災害や、火事で逃げ遅れたといった災難は、ある意味仕方がない部分もある。しかし、邪悪な人間の手で殺されるなどは災難の中でも最大のもので、とうてい容認できない。勝手に少女の心境を推測すると、まさに死んでも死に切れない思いであろう。ぜひともあの世から、犯人を呪ってほしいものだ。

 少女殺人事件というと、どうしても思い出してしまう小説がある。貫井徳郎作『慟哭』である。

 単行本は1993年に刊行されたらしいが、私が読んだのは文庫本で、本棚から出してみると奥付には2002112912版とある。この小説が世に出てから、ほぼ10年後に読んだわけだ。文庫になってからでも2年半も経っているが、なぜかこの時期に書店がプッシュしていたようで、平積みになっていたと記憶している。ちょうどその頃に貫井氏の新刊でも出たのだろうか?

私は特別に「読みたい」という強い希望があって、この本を買ったわけではなかった。刊行当時この小説が話題になったかどうか私は知らなかったし、作者の名前すら知らなかったくらいだ。適当に平積み本を手に取って、カバーに書いてある簡単なあらすじを読んで、面白そうだと思ったから買ったのだ。

 新聞や雑誌の広告、あるいは書評を見て、特定の本を買うことを目的に書店に行ったとする。その場合、私は必ず、ついでといっては何だが23冊の本を一緒に買うようにしている。私は活字中毒のところがあり、常に何かの本を読みかけでないと落ち着かないからだ。何も読む物を持たずに電車に乗るなどは、恐怖以外のなにものでもない。今の本を読み終わったら何も読むものがない、こんな状態も耐えられないので、常に未読の本を最低でも23冊は用意しておく。そんな、面白ければもうけもの的軽い感覚で、いわば補欠のような扱いで買った本である。

 しかし、これは私にとって、そんな軽い気持ちで済ませられるような本ではなかった。

作家の北村薫氏がこの小説を読んで、「書き振りは《練達》、読み終えてみれば《仰天》」と驚嘆したという文句が、確か帯に書いてあった(帯は捨ててしまったので手元にない)。今本を見たら、最初の1ページ目にも、この文句が書いてある。

北村氏がそう書くように、要するに仰天系のミステリーであり、読者への挑戦なのだが、単なる犯人探しといった推理小説とはかなり趣が異なる。ミステリーだからネタをばらすのはご法度なので詳しく書けないのがもどかしいが、最後に読者を「あっ!」と仰天させるような仕掛けが施されているのだ。

この手の仕掛けに私が騙されたものに、筒井康隆氏の『ロートレック荘殺人事件』や、ジョージ・ロイ・ヒル監督の映画『スティング』などがある。それらを読んだ後、あるいは見た後、私は「いやあ、やられたなあ」と苦笑しながら、騙されたにもかかわらずなんともいえない心地良さを感じたものだ。

そして、『慟哭』である。これもまた私は、読み終わったとき「あっ!」と仰天して「いやあ、やられたなあ」と苦笑したのかというと、そんなことはなかった。

それどころか怒りがこみ上げてきて、心地良さどころかとんでもない不快感に包まれたのだ。この怒りをどこにぶつけたらいいのか、とりあえず抗議文を書いて出版社に送ろうか、そう思ったくらいだ。

そう、これは最低最悪の小説だったのだ。もっとも、北村氏のように褒めている人もいるのだから、あくまで最低最悪なのは「私にとって」であるが。

 読者に挑戦し、見事に騙して作家が悦に入るのは構わない。書いている間に、最後に驚かしてやるからなとフフフと笑っていてもそれも許す。それはある意味、作家と読者の真剣勝負なのだから。

ただこの小説の場合、そこに使われている素材が連続幼女誘拐殺人事件なのである。

いや、それもまだいい。犯人の苦悩や異常性がちゃんと浮き彫りになっていれば。ところがこの小説、ある事件のほうは最後まで犯人がわからないのである。子供を連続して殺していながら、動機どころか犯人のことが何も小説中に出てこないのだ。

これでは、殺された子供はなんなのか? 単なる作者のトリックを構成するためのちっぽけな要素に過ぎないではないか。

いくら小説とはいえ、作り話とはいえ、そんなことで幼女を殺す場面を書くことができる作者の人間性が、私は信じられなかった。きっと自分のトリックに酔いしれて、ニヤニヤ笑いながら書いているのだろうなあと思うと、殺人犯と同じくらいに非常に不気味な人間に思えた。

 最近の、現実の少女殺人事件の報道を見るたびに、この小説への怒りがまた込み上げてくる。

 毎週エディ・ゲレロのことを書いているが、これが最後。

「この番組は118日に収録されたものです」。

1129日放送のスマックダウンが、“生きている”エディ・ゲレロの試合を見られる最後の機会だった。冒頭の言葉は放送中に流されたテロップで、エディが亡くなったのは、それから5日後の13日のことである。

私はエディの最後の試合をしっかり目に焼き付けておこうと、厳粛な気持ちで録画していたDVDを見始めた。実際には、テレビ収録のないハウスショーが8日から13日の間に行われていた可能性が高いので、厳密な意味ではエディ最後の試合ではないかもしれないが、少なくとも私が目にすることができるのはこれが最後の試合となる。

私は厳粛な気持ちでいたはずだったが、対戦相手を知ったとき、愕然として体から力が抜けていった。あろうことか、最後の相手はレイ・ケネディだったのである。これを知ったとき、私は別の意味で泣きたくなった。私はケネディのキャラをまったく評価しておらず、DVDで見るときは、ケネディが出てくると早送りしてしまうくらいなのだ。よりによって、そんな選手が愛すべきエディの最後の相手だというのだから、私の失望は大きかった。

しかしまあ、それは仕方がない。今さら文句を言ったところでどうしようもない。私は対戦相手には不満を持ったが、試合自体は可もなく不可もなくといった普通の試合だったし、最後は椅子で殴られたふりをしての反則勝ちという、古典的正統的「ズルして頂き」のやり方を見せてくれたので不満はない。というか、結末といい、ローライダーでの入場といい、あの頃のエディがようやく戻ってきたところだっただけに、もう続きが見られないかと思うと無念さも大きい。

しかし、ここからの展開は、ノンビリ感傷に浸っていられるようなものではなかった。まるでエディの数日後の悲劇を暗示しているかのようで、私はなんともいえない嫌な気持ちになったのだ。

試合後に怒ったケネディが椅子でエディの脳天を本当に一撃し、エディは脳震盪を起こして気絶した。CM後、「エディの容態をお伝えします」とアナウンサーが言うと、カメラは医務室に切り替わった。エディは医師の診察を受けながら、心配そうに付き添うバティースタに向かって、口では「大丈夫だ」と強がりながらも、態度はフラフラで明らかに大丈夫そうではなかった。

もちろんこれはWWEのストーリーラインの一部であって、お芝居であることは明白なのだが、これがエディが番組に出た最後の姿とはなんとも皮肉なものである。それから数日後に、現実に突然死をとげたのだから、これがお芝居とは言い切れないような気持ちになったのは私だけではないだろう。どうしても、あの椅子の一撃の後遺症が出たのではないかと疑いたくなってしまう。

WWEのストーリーにはうんざりしてしまうものが多々あるのだが、このエディの脳震盪を、シナリオライターたちはどう次の展開につなげるつもりだったのだろう。思いもよらずにストーリーに現実のほうが被さってきたわけで、私としては「さぞや会心の展開でしょう」とライターたちに皮肉のひとつも言いたくなる。

 先々週に放送されたエディの追悼番組にレイ・ミステリオが出なかったことを私は疑問に思ったが、それは私のまったくの勘違いだった。追悼興行はてっきり一回だけだと思っていたのだが、実はロウ(RAW)版とスマックダウン版の2種類があり、レイはロウ版の方に出ていたのだった。

 ではなぜ、私はスマックダウン版を見て、ロウ版を見なかったのか?

 実は私の家ではスマックダウンは見られるのだが、ロウが見られないのである。スマックダウンはJ SPORTS1で、ロウはJ SPORTS3で放送されている。スカパー加入者ならいずれも見られるのだろうが、私の家はスカパーではなく江戸川ケーブルテレビである。江戸川ケーブルテレビでは、J SPORTS12だけで3が入っていないのだ。

 私は以前から、この江戸川ケーブルテレビのやり方に対して強い不満を持っていた。何しろ、J SPORTS12でも、ロウの番組CMが流れているのである。私だけでなく、江戸川区の人たちは番宣を見せられながら、肝心の番組が見られないという災難をこうむっているのである。

 これはもちろん、J SPORTSCMの流し方の問題ではない。中途半端な選局をしている江戸川ケーブルテレビが明らかに悪い。

 今までは我慢していたが、さすがにエディの追悼番組が半分しか見られなかったことには、激しい憤りを感じている。今の私は、これは本気で抗議するしかないという気持ちになっている。

 1122日放送のスマックダウン。エディ・ゲレロが生きている姿を見ることができるかと思ったが、それは適わなかった。

だからといって、失望したというわけではない。むしろ逆である。アメリカで急遽行われたエディ・ゲレロ追悼大会の模様が、日本でも緊急放送されたからだ。

それがいかに緊急だったかというと、普段のWWE番組は字幕放送なのだが、この番組は日本語の字幕を作る時間がなかったらしく、ノー字幕で放送されたことからもわかる(ちなみに、同番組の字幕付きは、後日に放送されるそうだ)。緊急放送を行ったJ SPORTS、そしてそれを許可したWWEに深く感謝である。

放送が始まって、追悼大会であることがわかった瞬間、私の頭に浮かんだのは、チャボ・ゲレロがどのような姿で登場するだろうかということだった。チャボはエディの実の甥にして、かつてはロス・ゲレロスというチームを作ってタッグ・チャンピオンにもなったパートナー。今回のエディの死の第一発見者でもある。ただ最近はカーウィン・ホワイトと名前を変え、白人中流階級キャラを演じている。今のままの姿で出るのか、かつての姿で出るのかが注目された。

登場は番組の中盤だった。「う~ん、ちゃ~ぼ~」という懐かしいテーマ曲がかかる。その瞬間、会場は大拍手に包まれた。こうでなくっちゃ、エディの追悼番組なのだ、チャボはチャボで、カーウィンではない。

チャボの対戦相手は、かつてエディからWWEタイトルを奪った因縁浅からぬJBLというのも良かった。試合の最後はエディが得意にしていたパフォーマンスを、チャボが連続して披露。ラティーノヒート・ダンスから、レフェリーの目を盗んで相手に椅子を渡しての殴られた振り、急所打ち、そしてスリーアミーゴスからのフロッグスプラッシュ。これはもう、涙なしには見られない光景だった。普段の格から言えばチャボがJBLをフォールすることはないのだが、この日ばかりは別で、JBLも敵役を充分にまっとうしていた。

チャボはこれからどうするのだろう? この大会が終わると、またカーウィン・ホワイトに戻るのだろうか? 私が見るに、必ずしも成功しているキャラとはいえないだけに、チャボに戻ったほうがいいと思う。だからといって、レスラーとしてのタイプがやや異なるだけに、エディの後継者をやらせるのも酷だろう。エディの真似は今回だけ、これからは新たなチャボ・ゲレロのキャラを追求していってほしい。

 メインはチャボかクリス・ベノワのどちらかだろうと思っていたが、チャボは中盤に出た。だとしたら、やはりクリスしかいない。しかも対戦相手はHHHという超豪華版だった。

 エディとクリスの若い頃からの友情物語は有名である。ともに若い頃は新日本プロレスを主戦場にしていたから、アメリカのファンよりもむしろ日本人ファンのほうが良く知っているかもしれない。レスルマニア20でともにシングルタイトルを獲得し、「俺たちもとうとうここまで来たな」とばかりにリング場で抱き合った姿が印象的である。その映像は、今回の放送でも何度も繰り返し流された。

 クリスはクリスのまま、特にエディの技を意識することなく、クロスフェースロックからの押さえ込みでHHHにフォール勝ちを収めた。これもまた番狂わせといってもいい結果だが、この日は特別な興行である。試合後はヒールのHHHも、クリスと抱き合って涙を流した。みんな、エディを愛していたのだ。

 番組の最後、クリスが残っているリングに上がったのは、現在はWWEのフロントにいるディーン・マレンコ。やはりかつて新日本に何度も来日し、WCWではクリス、エディとともにユニットを結成し、そのまま一緒にWWEに移籍した選手だ。

 現在はレスラーではないが、エディと強い絆で結びついたディーンの登場も、今回の興行に花を添えた。

 ただ、番組が終わって、何かが足りないことに気がついた。レイ・ミステリオは、一体どうしたんだ? まったく出てこなかったのは何故だ?

 1115日(火)、エディ・ゲレロの訃報を聞いて大層驚かされた。

私が最初に聞いたのは、日付が15日に変わったばかりの深夜0時過ぎ。たまたまつけていたラジオ番組で、そのニュースが流れたのだった。既にインターネットや夕刊紙などでは、その情報が掲載されていたらしい。

 夜が明けてからネットで検索したが、ただ死亡したという事実のみを伝えている記事ばかりで、詳細がわからない。実際、AP通信から第一報が入っただけで、続報がなかなか入ってこなかったらしい。ただどうやら、エディ特有の冗談でも、WWE特有の虚実織り交ぜてのストーリー展開の一部というわけでもないらしいということは分かった。

 15日の朝日新聞の夕刊で記事を見たときには、疑っていたわけではないが、事実であることを確信させられた。朝日に載っているのだから本当だと思うなんて、自分の権威主義が嫌になるが、エディが、朝日新聞が伝えるほどの有名人だったというのが意外な気もした。

 毎週火曜日の午後4時からは、衛星放送のJ SPORTSで「スマックダウン」の放送がある。15日は奇しくも火曜日である。私はリアルタイムでは見られなかったが、夜10時頃、家に帰ってからDVDに録画していたものをドキドキしながら見た。番組の最初に何か特別な映像が流れるかとも思ったが、タイトルバックに字幕が入っただけだった。「1113日エディ・ゲレロ選手が逝去されました。ご冥福をお祈りします。この番組は1025日に収録されたものです」。

詳細がわからないのだから、J SPORTSがこれ以上何ともしようがなかったのは無理もない。ただ、早速自社サイトで追悼メッセージを募集しており、その素早い対応には好感が持てた。WWEの番組はJ SPORTSにとって目玉商品であり、エディはその中でも飛びっきりのトップスターだったのだから、せめてできることということで、こういう対応になったのだろう。

 スマックダウンは日本では3週間遅れの放送だから、当然この日の放送にはエディも登場していた。DVDを見ながら、もうこの人はこの世にいないんだと思うと、リングを自由に跳ね回る姿になんともいえない居心地の悪さを覚えた。こんなにノンビリ見ていていいのだろうかと思うが、他に何もしようがないもどかしさ。しかもこの日は、久々にローライダーに乗り、ビバ・ラ・ラッソのテーマ曲での入場と、ラティーノヒートの復活を告げる演出がなされていただけに、余計に悲しみを誘った。

 エディは昔から、新日本に2代目ブラックタイガーとして来ていたときから私の好きなレスラーだったが、最近は完全に役者になってしまって、私は不満だった。これは彼のせいではなく、完全にWWEの、つまり彼の所属団体のせいなのだが、レイ・ミステリオとの子供をめぐっての抗争などは茶番という以外になく、こんなことばかりやらされて肝心のプロレスをおろそかにされているのがなんとも気の毒だった。レスラーなのに、リングに上がっても試合をせずに、マイクで喋るだけで退場したこともたびたびあった。本人はプロとして、これもまた仕事と割り切っていたことだろうが、彼のプロレスが好きだったファンにとっては、なんとも不愉快きわまりない役回りだった。

WWEは自らスポーツエンターテインメントを謳い、ショーであることを明確にしているから、登場するレスラーたちも役者に徹しなければならない。連続ドラマとして様々なストーリーが組み合わされて番組が構成されており、エディはここ数年、最重要とも言える登場人物としていろいろな役をこなしてきた。本人になまじっか役者としての才能があったばかりに、そんな役になってしまったのだった。

 しかしエディの本質は、ずば抜けた身体能力と卓越したプロレスセンスにある。170センチそこそこ、100キロないくらいの小柄な体で、2メートル近くあったり130キロくらいあったりする相手と戦い続け、何年もの間トップを張っていたのだから、その能力はおして知るべしである。

 16日(水)は、週刊プロレスの発売日だった。いくらなんでも13日の情報が入るわけはなく、エディの訃報のことは一切触れられていない。ただ、1030日にロサンゼルスで行われたエディの試合がグラビアで報じられており、私はまたまた激しい違和感を覚えた。

 来週と再来週の火曜日、私はまたスマックダウンを見る。後2回、“生きている”エディを見る最後の機会だ。