昨年の10月20日に、左上のある一本の歯に異常を感じ、21日に歯医者に行った。それから3ヶ月、ようやく私の歯医者通いが終了した。長い長い戦いに終止符が打たれた。
たかが歯一本なのに、あのときに感じた痛みはこの世の終わりにも匹敵するほどの強烈な衝撃だった。脳天にまで激痛が走り、目からは涙が流れ、夜は痛くて眠れず、やっと寝たと思ったらまた痛みで目が覚める、たまらずに歯医者に飛び込んだわけだが、そこでまた地獄の責め苦が待っていた。
歯の治療というものはまさに拷問技であって、痛い歯を治してもらうんだ、痛みを取り除くためなんだと思うからなんとか我慢できるわけで、そうでなかったら絶対に受けたくないものの最右翼に位置する。私がどんなに重要な国家機密を持っていたとしても、歯をギュイ~ンと削られたら、すべてをゲロしてしまうだろう。
そのくらいの痛みに耐え、ようやく、歯が治った。
なんでこんなに時間がかかったのかというと、まず治療が週に一回だったことによる。今回の痛みは、かつて治療済みの歯の歯肉が炎症を起こしていることが原因だったので、まずは被せ物をはずして歯肉の炎症を治さなければならない。これに時間がかかったのだ。
最初の治療のとき、拷問によって被せ物がはずされ、拷問によって歯が削られ、開いた神経の穴に薬を入れて綿をこよりにしたような詰め物をした。
一週間後にそれを取り出して見たら、白かった綿が茶色に変色していた。いかにも、“汚い”ということをうかがわせる色だった。しかも匂いを嗅ぐと“臭い”のだという。私が嗅いだわけではないからどんな匂いがしたのかわからないのだが、歯科医が臭いと言うのだからきっとそうなのだろう。汚くて臭いものが口の中にいるというのは、おぞましいものである。歯科医は「これはまだ菌がいるということですね」と言い、また薬を入れてこよりを詰める。そしてまた一週間の様子見。これを何度も繰り返した。チェックするためには、やはり一週間くらいは必要だということで、自然と治療は週一回ということになったのだ。
その日の治療が終わった後に次回の予約をするのだが、行くのを忘れたらいけないので、毎週同じ曜日の同じ時間に通うことにしていた。月曜日の朝10時。私の生活の中に、週の初めに歯医者に通うというリズムができたのだった。
私の歯肉に潜んだ菌は相当にしつこい奴だったようで、何回も通っているのになかなか色がなくならなかった。また色はなくなっても、匂いを嗅ぐと臭かったりして、やはりまだだめ。この段階で新たな被せ物をしても、まだ菌が残っているうちにそれをすると同じことの繰り返しになってしまうため、完全に無菌になるまでは先へ進めないのだった。
こうして2ヶ月が経ち、ようやく次のステップに進むときがきた。やっと菌が消え失せてくれたようで、取り出した綿は白く、匂いもなかった。口の中が清潔になったような気がして嬉しい。今度は、ピンク色をした柔らかい粘土のようなものを噛まされて型を取られた。その型に沿って新たな被せ物が作られるのである。
ところがそこからがまた長く、結局何回も型を取られたのだが、一体あれは何だったのだろう? なぜ一回で済まなかったのか今でも疑問であるが、こういうとき、なぜか医者には聞きにくいものである。本来なら患者は疑問点をどんどん医者にぶつけるべきであり、聞けば医者だって答えてくれるはずである。私は以前から医療ジャーナリズムに関係した仕事をしており、インフォームドコンセントの重要性を充分認識しているはずなのに、いざ自分が患者になると“まな板の鯉”になってしまうのだからなんとも情けない。
とにかく、ようやく新しい被せ物が私の口の中に設置され、治療が終了した。年末年始を挟んで、2年越しの治療だった。新しい異物が口中に入ってくると、最初はたいてい違和感を覚えるものだが、今回は思ったほどの違和感がなく見事にフィットしている。型取りがうまくいき、歯科技工士が優秀で、前の被せ物と寸分変わらぬものが作られたのだろうと想像される。良かった、良かった。
しかし、これで私の口内がすべて平穏になったのかといったら、そうではない。実は右上の一番奥の歯に穴が開いていることを私は知っている。舌で触ると確かに感じる。
今回の治療中、ついでにこの歯も治療しようかどうしようかという葛藤に常に悩んでいたのだが、治療の痛みを思うとついに言い出せなかった。痛んでから治療すると痛みが2倍になるが、痛まないうちに治療してしまえば、痛みは一回で済む。冷静に考えればそういうことなのだが、問題を先送りすることにしたのだ。
カール・ゴッチは総入れ歯である。あるとき、歯の痛みを嫌って、どうせなら全部抜いてしまえばいいんだと思い立って、二日間で上下のすべての歯を抜いてしまったのだという。私には、カール・ゴッチの度胸のかけらもないことが実証された。
おそらくそのうち、この歯がまた激痛をもたらし、私はのた打ち回ることになるのだろう。