初日のできごと 5月19日(土)
前兆はあった。前夜12時頃、いざ寝ようとしたときのことだ。
トイレを出て寝室に入り、ベッドのところまで来た瞬間、右足の親指に違和感を覚えたのだ。
ただ、違和感といってもそれはほんのちょっとしたもので、それで医者に行くとか薬を飲むとか、特別にどうこういうするというレベルのものではなかった。私は瞬間的に「おや?」と思ったものの、特段気にも留めずにそのままベッドに入り、横になるといつものように掛け布団を身体の上に掛けた。ただそのとき、足の指を鳴らせばよかったかな、とふと思ったことを覚えている。
私には、手や足の指の関節をポキポキ鳴らすという、あまり行儀が良いとはいえない習慣が子供の頃から身についている。何もないときでも鳴らしているのだから、20本のうちのどの指であっても、違和感を覚えたときは当然のように鳴らしている。それがいつもの私の癖なのだが、このときはどういうわけか、鳴らさずにベッドに入ってしまったのだ。足の指を鳴らす余裕もないくらいに眠くて仕方がなかったというわけではない。それなのになぜしなかったのか、それが自分でも不思議で、妙に心に残っていた。
とはいえ、既に身体を伸ばして掛け布団も掛けていたので、わざわざ身体を屈曲させて右足を左手が届くところまでもっていってポキンと鳴らすのは面倒臭い。わずかに気に掛けながらも、総体的には何もなかったように、私はそのまま平穏な眠りに沈んだ。今からこのときのことを思い返すと、無意識のうちにこの後に起こる悲惨な災難に怯えて、思わずいつもと異なる行動を取ってしまったという心理学的説明が成り立つかもしれない。
それはともかく、異変は夜中に起こった。いや、正確には既に明け方と言ったほうが良いだろう、5時頃のことだ。私は、足が痛くて目が覚めたのだ。右足の付け根の辺りが、違和感などという得体の知れない感覚ではなく、今度ははっきりと痛いのである。
もっとも、あまりの痛みに絶叫しながら飛び起きたというわけではない。それどころか、とても寝ていられないというほどの痛みでもない。ではなぜ目が覚めたかというと、最近の私は睡眠障害気味で、眠りが浅くなっていて、ちょっとしたことでも簡単に目が覚めてしまうのである。夜中に目が覚めるのはいつものことなのだ。
このときも、右足の付け根が布団に接触すると痛いというくらいで、何もしなくてもズキズキ痛むというほどではなかった。したがってまだまだ余裕はあり、軽く「まいったなあ」と思った程度で、それほど大げさには考えなかった。あと2時間くらい寝て、起きたら治っていたらいいな、などと能天気に考えていたくらいだ。
その後はベッドの中で、ウツラウツラと半睡半眠状態で2時間ほどをすごし、7時過ぎに本格的に起きることにした。布団の中で右足を動かすと、付け根が布団に当たるとやはり痛い。さすがにこれは少しまずいな、やはり治っていてくれなかったか、と思いながら、ベッドに腰掛けるようにして足を床に降ろした。
そしてまず、左足に重心を載せて、ゆっくりと立ち上がってみた。大丈夫だ、2本足で立つことに成功だ。それから右足のかかとに重心を掛け、恐る恐るつま先のほうにも体重を移動してみた。
グェ!
かなり痛いのである。
昨日一日を振り返っても、右足をどこかにぶつけたという覚えはまったくない。無意識の記憶の奥底を探っても、そんな事実は出てこないはずだ。したがってこれは外因性のものではなく、あくまで私の身体の内側から発する痛みである。
これは本当にまずいぞ!
私の朝は、犬の散歩から始まる。足が痛いから勘弁してくれなどと言っても、犬は到底理解してくれないだろう。
この日も私はいつものように、リードを片手に玄関を出て、犬小屋に向かった。足は痛むのだが、家族に弱音を吐くのが嫌だったので、意地でもすべてのことをいつも通りにやるつもりだった。寝室からここまで、右足は踵のほうに体重を掛ければなんとか歩けることが確認できていた。これなら散歩に出てもなんとかなるだろうと、タカをくくっていたのだ。
ところが、いざ犬と歩き始めた瞬間に、現実は想像以上に厳しいことを痛感したのだった。ウチの犬は、ゴールデン・レトリーバーのメス犬である。体重が30キロ以上あって力が強く、しかも犬一倍やんちゃなものだから、いつも散歩の初っ端は嬉しくて仕方がなくて、グイグイ引っ張っていこうとする。普段なら「ダメ」と叱って好きにはさせないのだが、今日の私は下半身の踏ん張りが利かない。かといって、引きずられて小走りになるのはもっと辛い。なんとか腕の力だけで駆け出そうとする犬を制御したのだが、これが想像以上に辛かった。
それでもなんとか、逸る犬を押さえながらゆっくりと歩を進めたのだが、私の限界は予想をはるかに上回るスピードでやって来た。犬のせいではない。犬がいようがいまいが関係なしに、とても長い時間歩けるような足の状態ではないことを、私はすぐに悟らされたのだ。右足を引きずりながら、ゆっくりゆっくり歩いていたのだが、いくら気をつけても右足の付け根に少しも力を掛けずに歩くことなど不可能であり、一歩ごとにズキンズキンと痛みが全身を貫く。
ギブアップである。私は犬の気持ちにはお構いなしに、早々に折り返して家に戻った。普段の朝の犬の散歩は30分くらいだが、今日は5分で終了である。犬は、なんでこんなに早く帰るんだと文句を言いたかっただろうが、こちらの身にもなってほしい。5分でも散歩できただけ、飼い主に感謝してほしい。
特別な医学的知識がなくても、この症状が痛風であることは、誰にでも予想が付くだろう。もちろん私もそう思ったが、どうしても認めたくないことでもあった。
というのも、犬の散歩から帰ってから足の痛みを告白したときの、妻の冷徹な一言。あまりにも散歩から帰るのが早過ぎたので、つい言い訳のように話してしまったのだが、妻は簡単に言ったのである。「ビールの飲み過ぎだよ」
そんなこと、言われんでも充分自覚しとるんじゃい! でもこれからもビールを飲みたいから、痛風は認めるわけにはいかないんだよ!
幸いにしてこの日は土曜日で、仕事の予定は何もない。そして幸か不幸か、健康診断に行く予定があった。まったくの偶然であるが、この日、区が行っている健診に、私は予約を入れていたのだ。だからそれまでは、じたばたするのはやめておこう。健診のときに問診があれば、そこで相談してみよう。そしてそこで診察してもらえるならそれでいいし、できなかったら近所の適切な医者を紹介してもらおう、そう思い、午後1時からの検診を待つことにした。午前中は動くことをせずに、録画して溜まっていたプロレスをテレビで見ながら、自宅でじっと安静に努めた。
午後になり、健診の開始時間が近づいてきたので、出かけることにした。交通手段は、自転車である。普段なら、会場まで徒歩15分というところだが、今の足の状態なら30分はかかるだろう。ところが自転車だと、足のつま先に力を入れる必要がまったくないから、普段通りの自転車の乗り方ができると思った。
実際に自転車を漕ぎ出してみると、実に快適であり、あまりの快適さに意外な感がしたほどだった。歩行が不自由な分、かえって爽快感が押し寄せてくるのだ。朝から制限されていた移動の自由とスピードを私は満喫することができ、自転車ならこのままどこまでも行けそうな開放感に浸ることができた。健康なときには健康のありがたみを感じないという言葉が脳裏に浮かぶ。普通に自転車に乗れることが、こんなにありがたいことだとは思ってもみなかった。
しかしそれは、束の間の幸せである。
健診センターに着くと、私はまたもや足を引きずりながら、建物の中を身長・体重測定、血圧測定、尿採取、血液採取とそれぞれの場所に移動した。そして、いよいよ期待していた問診かと思ったら、なんと採血ですべてのメニューは終了だという。ありゃりゃりゃ…
一応受け付けのところで、普通の診察はしてもらえるのかと問い合わせたところ、ここは健診センターなのでできませんとのこと。残念ながら、家に帰って仕切り直しである。
いったん自宅に戻って、ここでようやくネットで痛風を検索して情報を集めた。
あるサイトに、こう書いてあった。『痛風発作は夜中から朝方にかけて襲ってくることが多いです。夜寝ようとする時に「おや、足の指がピリピリするような…」と違和感を感じるかもしれません。実はそれが発作のサインなのです。でも大抵の場合「まあ、いいや」と寝てしまいます。ところが深夜に激しい痛みを感じて飛び起きます。眠るどころではない痛さなのです。』(e痛風治療ガイド
)
おいおい、まるで俺が書いたのか?と言いたくなるような、私が経験した症状そのものではないか。私の場合は、激しい痛みで飛び起きたわけではないが、似たようなものである。
痛風とは、血中の尿酸値が高い場合に、尿酸が結晶となって関節部位に付着し、痛みと炎症を引き起こす病気である。肘や膝などにできる場合もあるが、70%が足の親指の付け根である。ときたら、私の症状はもう間違いないだろう。そしてこの尿酸を作るプリン体がビールに大量に含まれているから、痛風患者にビールはご法度なのである。
痛風発作自体はほっておいても治るもので、一週間から十日くらいで、痛みは治まることがほとんどだという。しかし、いったん罹ってしまうとその後発作が頻発する可能性があるし、そのうち別の合併症を引き起こすこともある。いや、そんな先のことより何より、今の痛みだ。とにかくこれをなんとか取り除かねばならない。私は仕事柄、医者や薬が嫌いなのだが、こうまで確実に痛みに苛まれている場合はそうも言っていられない。
ということで私は再び自転車に乗り、再び開放感を満喫しながら、やはりネットで検索した比較的近くのリウマチ科のある診療所に向かったのだった。
ちなみに診療所は、ついさっき行って来たばかりの健診センターのすぐ近くだった。同じところに行ったり来たりを繰り返したわけで、普通なら二度手間に憤り、なんで最初から調べておかなかったんだろうと悔やむところだが、このときの私は普通ではない。思考回路にやや変調をきたしていたため、再び自転車に乗る用ができたことにむしろ喜ぶという異常な心理状態だった。
診察はわずか1分ほど。
「どうしました?」「右足の親指の付け根が痛くて」「靴下脱いで見せてください」「はい」「ああ、これは痛風でしょうねえ」「ええ、そうだと思うんです」「採血して尿酸値を計ってみないと確定できませんが、土曜の午後は採血できないんですよね。最近、健診受けました?」「実は、つい1時間ほど前に。でも結果は1ヶ月後らしいです」「それまで待てなければ、また来週採血に来てください。今日はとりあえず薬出します」
これで終わりで、医者は患部に触りもしなかった。これが医療現場の現実である。普通の人は、こんな医者のおざなりな診察態度に怒るかもしれないが、私はそうは思わない。最初から医者の診察などはこんなもんだろうと予想していたし、むしろむさくるしい中年男に体を触られなくて良かったと思ったくらいだ。だいたい、触られたら痛いのだ。「どうですか、痛いですか」なんて言われながら触られるのは、美人女医ならともかく、男では真っ平である。私は診察なんかはどうでも良くて、とにかく今の痛みを和らげるための薬がほしかっただけなのだ。
処方されたのは、消炎鎮痛剤のロキソニン、エンビナース、胃粘膜保護剤のセルベックス、そして貼付剤のアドフィード。
もっとも、私は薬にも過度の期待はしていない。ないよりはましだという程度の期待しかしていないのだが、そんな態度がいけないのかもしれない。病は気から、鰯の頭も信心からであって、薬も利くと思う人ほど利くのである。バイアグラが良い例だ。今回ばかりは利いてほしいと、私は切に願った。