総選挙の投票日まで一週間を切った96日、連合が傘下の58産業別組合に、推薦候補への投票を電話で全組合員に呼びかけるよう、文書で通達したという。各産別の2万8500組合の職場委員らが、約700万人の組合員と家族に電話で呼びかけるのだそうだ。しかも、かけた反応を連合本部の選対に報告することも求めるという(朝日新聞96日付東京本社版夕刊より)。推薦候補は、ほとんどが民主党である。

記事を読んですぐ私は、電話をかけさせられ、しかも結果を報告させられる職場委員たちにはなんて迷惑な話なんだろうと思った。「なんで俺がこんなことしなければいけないの?」とブツブツ言いながら、嫌々電話をかける姿が目に浮かんだ。そして、電話をかけて来られる一般組合員や家族にとっては、もっと迷惑な話だということが容易に想像される。労働組合員と一口に言っても、政治への関わり方は人それぞれであり、どこの誰に投票するかなんてほっといてくれという人が、圧倒的多数のはずだからだ。

もちろん、政治の大きな枠組みが労働者の生活に直接的にかかわってくることは否定しない。しかし、だからといって自民党がまったく労働者のことを考えていないかといったらそんなわけはないのだし、民主党が労働者だけの利益代表かといったらそんなこともない。もはや資本家vs労働者などという図式は過去のものであって、そんな二元論では何も論じられない。労働組合員が社会主義者や共産主義者だなんて、いまどき誰も信じていないだろうし、組合員の中に首相の靖国神社公式参拝を支持する人がいてもまったく不思議ではない。いや、700万人もいたら、いないほうがおかしいだろう。

そんな価値観の多様化した現代日本で、労働組合員は本部の指示に従って組織推薦候補に投票せよなどという上意下達が通用するわけがなく、そんなことまで言われるくらいなら組合を辞めようという人がいてもおかしくないと思う。一般の組合員がなぜ組合に入っているのかといえば、勤務先での給与や待遇などの目先の労働条件の改善を求めてであって、社会体制の変革なんかを考えて組合に入っている人は、もはやごく少数のはずだから。

そもそも、こういうことを決めた連合本部の選対の人たちは、自分でも電話をかけまくるのだろうか。当然、決めた以上は、自分たちが率先して電話をするに違いない。そうでなければおかしい。まさか、いくらなんでも、自分たち幹部は指示する立場であり、特権階級であり、そういったドロ臭いことは部下がやることだなどと思っている人は、ひとりもいないですよね>連合幹部の方々。

一方、創価学会には「F(フレンド)作戦」と呼ばれるものがあるそうだ。学会員が友人や知人宅をまわって、公明党への投票をお願いすることをそう呼ぶらしい(これまた朝日新聞9月4日付東京本社版朝刊より。検索したら、ネット上にもF作戦のことが結構書かれていた)。

私の家にも、学会員と思われる近所の人が突然来たり、最近はあまりないが、以前は何年も会っていないかつての同級生から選挙になると電話が来ることがよくあった。この場合、学会員の人たちはおそらく迷惑とは思っていないだろう。それどころか自ら積極的に行い、良いことをしたという充実感に浸っているのだろう。

しかし、呼びかけられる方はやはり迷惑だったりする。最近傑作だったのは、朝の犬の散歩のときのこと。いつも犬の散歩で顔を合わせて、すれ違いざまに「おはようございます」という挨拶を交わす程度の仲だったオジサンが、ある朝、立ち止まって話しかけてきたのだ。「旦那さん、比例区は公明党お願いしますよ」

労働組合の場合は、一応政治的目的も併せ持った同じ組織に属しているというつながりがあるわけだが、F作戦の場合は、近所のよしみとか昔の友情とかを引っ張り出してくるのだから、ある意味非常にタチが悪い。むげに断ると気まずくなって、日常生活に支障をきたすのだから本当に迷惑だ。

もちろん、近所の人や職場の人と政治談議を交わすことは悪いことではないし、むしろ日常的にもっともっとどんどん行われるべきだろう。日本人は生真面目だから政治論争になるとお互いが引かなくなって関係が険悪になる、だから政治の話はタブーといった風潮があるが、それが政治への無関心さを生み、一部の人たちが密室で行うものになってしまった。

しかし、意見が異なってもお互いの立場を尊重するということを前提にすればいいだけのことで、身近な問題として政治が語られる社会の方が、覆い隠す社会よりはるかに健全である。政治のワイドショー化はまったく悪いことではなく、むしろそこから興味を持った人が候補者の政策を読んだり聞いたりし、さらに他候補の政策と比較するようになれば、それに越したことはない。政治に無関心者が多い社会よりも、ミーハーが集まってくる社会の方が民主主義的には絶対的に正しいのであって、それで衆愚政治に陥るならその程度の国民だったということで仕方がないだろう。

そう考えれば、連合の電話作戦や創価学会のF作戦も悪いことではないのかもしれないが、問題なのは、そこで本当に政策の説明や論争が行われるかどうかということだ。

他人に投票を依頼するからには、それなりの政治知識を持ち、推薦する党、または候補者の政策が他党と比べてどこがどう優れているかを説明できなければいけないはずだ。しかし、はたしてそんな人が、どれだけいるだろうか? 依頼された側が疑問を提示したときに、的確に答えられる人がどれだけいるだろうか?

「情」に訴えること自体は悪いことではないと思うが、政治においては、そこには必ず「理」がセットでなければならない。突然の来訪や電話で、政治を「情」だけで語られると、語られた方はやはり迷惑以外の何物でもない。