dogmanXの小説 -2ページ目

サッカー小説!「相撲ストライカー」-23-

「ど、ど、どうしたんだよ。なんかまた視野の狭い面倒な話を始めるんじゃないだろうなあ」
「視野が狭くて悪かったなあ。俺は視野の狭いただの馬鹿かもしれんが、貴様はスポーツマンシップに悖る狡猾漢だ!」
「す、す、すぽーつまんしっぷ?」
「宿敵韓国との戦いを避け、ワールドカップに出場して何になるんだ!そんな根性で本大会で世界の強豪と渡り合えるか!」
「こ、こ、根性って」
「韓国を破ってこそ出場する意義がある!」
「で、でもな。仮に韓国に勝ったって、その次に当たるのはサウジだぜ」
「まだ分からんのかー!韓国だろうがサウジアラビアだろうが、アジアで勝ち抜けぬ者にワールドカップに出場する資格は無ーい!」
「資格ってそれはお前が決めることじゃないだろうーよ」
詰め寄る国松に向って田伏は両手を広げ、近付いた。そして親鳥が小鳥を包み込むように両肩に手を置いた。
「いいか国松。お前の純粋な気持ちは良ーっく分かる。だがな、戦いってのはな一試合一試合じゃないんだ。大会全てを見通して考えるのが世界標準なんだよ。分かるか?世界標準。グローバルスタンダードって言うんだよ」
田伏は国松を諭すように言った。
「国松。ここまで来たらもう戦術の問題じゃ無い。戦略的思考が必要なんだよ。お前の言う通りアジアの国を恐れていては、ワールドカップで世界の強豪と渡り合うなんて出来ない。でも出場することに意味がある。出場することで俺達は成長するんだ。クーベルタン男爵だって言ってるだろ」
クーベルタン男爵はオリンピックの話だ、と国松は思った。しかし一人のスポーツマンとしてクーベルタン男爵の言葉には共感するところがあった。国松は、田伏の言葉に同意すべきかもしれない、と思い始めた。が、次の田伏の一言で全て吹き飛んだ。
「今回のワールドカップが惨めな結果に終わっても、初の出場を果たした俺達は協会の何階級も特進で幹部になれる。そうしたら俺達の理想の代表を作ればいいじゃないか」
やっぱり!こいつは前々から怪しいと思っていたのだ。サッカー選手だというのに所属するハンマー製作所では営業係長などという肩書きを貰っている。普通の社員でも二十代前半では異例の出世だ。しかし聞くところによると異常な営業上手、接待上手で抜群の営業実績を上げているというのだ。営業部では”マシンガントークのタブちゃん”という異名まで頂いていると言う。
『こいつはアジア予選どころか、己が人生全体を見通して行動している。サッカーを立身出世の具としようとしているのだ。あのピッチ全体を見通すようなキラーパスの先にサッカー界を我が物にしようという姦計があったとは!』
国松の頭の中で血管が弾けた。血が逆流するのを感じた。このような悪辣漢に日本のサッカーを自由にされてたまるか!少年の日、テレビアニメ「若き血のイレブン」を見てサッカー選手を志した国松にとって、サッカーは根性が全てだったのだ。
「田伏!貴様死にゃらせ!」
国松が田伏に殴りかかった。それと予測していた田伏はひらりと身を翻し、廊下に飛び出した。
「待て!成敗してくれるわ!」
国松も廊下に踊り出ると田伏の後を追った。視野の広いファンタジスタ田伏は、国松の予期せぬ方向に身を翻しては逃げ回った。何度も逃しそうになりながらも”一人攻め達磨”の異名を持つ国松は持ち前の執拗さで田伏を追い回した。その鬼ごっこは深夜まで続き、翌朝、チームメートが朝食に起きてきた時、二人は庭の芝生の上で絡み合っていた。遂に国松が田伏を捕らえたのだ。しかし二人とも戦う体力は残されていなかった。ただ国松が
「この野郎この野郎」
と田伏の頭を叩いていた。

ドログバ!

 ドログバがアルゼンチンゴール前にようやく辿り着いたのは後半に入ってからだった。一点のビハインドを追い、繰り返しペナルティエリア内への侵入を試みたのだ。しかし百戦錬磨のアルゼンチンデフェンダーは、ドログバへのパスを許してはくれなかった。それが後半も半ばを過ぎた頃、繰り返し試みた努力が報われたのか、ついにペナルティエリア内で味方のパスを受けることに成功した。

 しかし、老獪な狩猟者の如きアルゼンチンデフェンダー達は、たちまちドログバを取り囲んだ。それは罠だったのかもしれない、と思われるほど、ドログバがボールを持った瞬間、アルゼンチンデフェンダー達は幾重にも網を張り巡らせ、ドログバの退路を断った。ゴール左隅に突進したドログバは、本能的に危機を察知、一気に反転した。しかし足を滑らせ転倒する。慌てて立ち上がった時、屈強なアルゼンチンデフェンダー達が一瞬、凍り付いたように立つすくんだ。

 彼らは、猛獣の姿を見たに違い無い。人間の浅はかな罠など、想像を絶する力で食い破る危険なけだものの姿。その幻影が幾多の戦いに勝利してきたアルゼンチンデフェンダー達をして恐怖に慄かせたのだ。その瞬間、ドログバには時間が止まっているように見えた。しかし、身体は動くのを確認すると一気に体制を立て直し、ゴール前にトラップ、右足を振りぬいた。

 残念ながらシュートはデフェンダーの左足に当たってゴールを反れた。

サッカー小説!「相撲ストライカー」-22-

ロッペン凄いね。今大会注目選手の一人には違いないけど注目された通り活躍するのは凄い。

ドログバ、惜しかったね。ペナルティエリア内で百戦錬磨のアルゼンチンデフェンダーに囲まれ、切り返しで自ら転倒しながらも罠を食い破る猛獣のごとくのた打ち回りシュートまで持っていくなんて人間の肉体じゃないよね。

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「どうすればいい?」
「細かく動き回ることだ」
つまり、デフェンダーから逃げ回ればいいのだ、と市太郎は理解した。試合の再開を合図する主審の笛の音が響いた。中山がセンターサークルから一端ボールを自陣に戻した。市太郎は促されるまま国立浜川のゴール前に向った。鬼のような顔になった三人のデフェンダーが市太郎を待ち構えていた。基本的に気の弱い市太郎は、彼らの顔を見るだけで怖くなった。
『こりゃあ、大変なことになるぞー』
と心の中で呟きながら、なるべくデフェンダーと目を合わせないようにした。
 しかし、それがデフェンダーの仕事というものだろうが、国立浜川の最終ラインを守る三匹の鬼は、獲物を狙うハイエナの群れのごとく密かに市太郎に接近してきた。市太郎がセンターに陣取り睨みを利かせる二人に気を取られているうち、残る一匹に背後を取られていた。
「ひひひ」
耳元で笑い声がして、振り返ると彼がいた。中浦を叩きのめし退場に追い込んだ、あの目付きの鋭い男だった。こうして間近で見ると目付きが鋭いというより、目付きが悪いと言った方がいい。まるで手の付け様のない非行少年か暴走族のように怖れを知らぬ目をしていた。首を横に傾げ、市太郎を下から覗き上げて今にも噛み付いてきそうな勢いである。市太郎はサバンナを失踪するシマウマのごとく、目付きの悪いハイエナの追跡から逃れようと走った。しかし心臓が三つもあるのではないかと思われるほどにハイエナは疲れを知らず、追跡は執拗だった。
 相撲取りはスタミナが無いのだ。市太郎は中山の教えに従いピッチを駆け回ったが、重い肉袋を幾つも抱えて走っているようなものである。あっという間に汗だくになり、顔は真っ赤に上気し、息は上がった。対するハイエナ野郎は、走っても走っても平気な顔をしている。それどころか余裕の薄笑いすら浮かべているのだ。市太郎が振り返り、スタンドの中央席の背に立つ時計台を見ると、まだ残り時間はたっぷり三十分以上あった。
ぷぷーっ
市太郎は唇を伝い口の中に入り込んでくる汗を噴出した。もはや市太郎の体力が限界に来ている証拠である。国立浜川に一点取られて以来、市太郎はボールに触っていない。にも関わらず汗だくで体力は既にゼロなのだ。周囲を見渡すと、自陣で味方がボールをぐるぐると回していた。繰り返し人から人へボールが渡る。あんなにパスを回すことに何の意味があるのだろう?と首を傾げているうち、足と足が絡まって転びそうになった。
おっと
と呟き体勢を立て直す。幸い転ばずに澄んだ。が、顔を上げた時、ハイエナ野郎と目が合った。彼はにやりと口元だけで笑みを作った。無表情な冷たい目と対照的で、顔の上と下で別の人間の持ち物のような付す気味悪さを感じた。更に彼は下を出すと上唇をペロリと舐めた。市太郎は背筋に寒気が走り、慌てて目を逸らし、彼の入る方向とは反対に走り出した。しかし、ハイエナはいつの間にか市太郎にまとわり付き離れようとしない。次第に身体を擦り寄せ、腕を絡め、ユニホームに指を掛けてきた。絶体絶命のシマウマ、それが今の市太郎だった。
「湊君!ロングボールが来る。僕の方に落として!」
中山の声が耳に入った。慌てて市太郎は空を見た。ボールはまだはるか彼方の宙を舞っており、いつ、どの当たりに落下するのか見当も付かない。市太郎は困惑した。
 しかしハイエナはこの時を待ってましたとばかり、市太郎にしがみ付いて来た。右側からしがみ付かれ、市太郎は動こうにも身動きが取れない。すると残る二人のうち、もう一人が反対側からしがみ付いてきた。気付くとボールは徐々にこちらに迫り、どうやら今、市太郎がたち尽くす当たりに来そうだった。中山の位置を確認すると、相手ゴールを背に自陣を向いた市太郎の真正面にいた。
「そのまま真っ直ぐ返せばいい!」
中山が叫んだ。市太郎はヘディングの体制に入った。するとすかさず三人目が市太郎の背中から首根っこにしがみ付いて来た。市太郎は三人に羽交い絞めにされたのだ。
「ひひひ、このまま押し潰してやる!」
耳元で国立浜川デフェンダーの囁きが聞こえた。たしかにこれでは身動きが取れないどころか、ヘディングに乗じて三方から身体をぶつけてこられたら、ひとたまりも無い。絶体絶命だ!と市太郎は心の中で叫んだ。叫んだ直後にボールが頭に当たったのを感じた。叫んだ時、口を空けてしまった為に、ボールが当たった衝撃で舌を噛んでしまったらしい。口中に激痛が走った。市太郎は目の前に星が幾つも飛び、もんどりうって地面に転んだ。転んだ瞬間、中山がドリブルしていくのが見えた。中山は苦も無くドリブルし、ゴールに向ってボールを蹴った。あっけなくボールはゴールに吸い込まれた。ハイエナ達はどうしたんだ?と市太郎は首を傾げた。あれほど執拗な彼らが中山をやすやすと突破させるなど考えられないことだった。第一、自分も何も危害を加えられてい無い気がする。
「やったー!湊君。ありがとう。凄いポストプレーだったよ!」
市太郎は立ち上がりながら中山に抱き付かれた。
「中山君。凄いじゃないか!あのしつこいデフェンダーを楽に振り切るなんて」
「何言ってんの。湊君のお陰さ」
言いながら中山が指差す方を見ると、三人のデフェンダーがひっくり返っていた。まるで突風に吹き飛ばされたように、酷いダメージを受けているようだった。
「湊君のパワーは凄いね。三人がかりでも止められないよ」
市太郎はまたしても狐に摘まれた思いがした。

 国立浜川の監督・国松剛史が静かにベンチから立ち上がった。白髪の目立つ頭、太りじしの身体は彼の貫禄を示すに十分だった。実際、彼は名将と呼ばれるに相応しい実績を有している。高校選手権での度重なる優勝のみならず、数多くのJリーガーを輩出し、更に日本代表においても多くの彼の教え子がいる。サッカー専門誌が彼を紹介する際に使う”名白楽”の称号こそ相応しいと他人だけでなく自分も認めていた。当然、Jリーグの監督に誘われることも多かったが、Jリーグの現チェアマン田伏幸一と仲が悪かったのだ。それは現役時代にまで遡る因縁で、猪突猛進型のストライカーだった国松から見ると視野の広い司令塔・田伏は世渡り上手のセコイ奴としか思えなかったのだ。
 思い起こせば1968年スコットランド大会アジア予選でも二人の意見は衝突した。それは更衣室での出来事だった。田伏の発案で練習後、選手全員が更衣室で緊急ミーティングを行ったのだ。
「明日のパラフスタン戦、負けちゃおうよ」
田伏が言い出した言葉に国松は耳を疑った。
「貴様!八百長をやろうってのか!」
「違う違う。隣のF組みがさ、何を間違ったか韓国が二位になっちゃったでしょ。ってことは明日俺達が勝っちゃえばG組一位通過ってことで最終トーナメントの一回戦で韓国と戦うことになっちゃうんだよ」
国松には田伏の言う意味が理解出来なかった。少し理解できる気もしたが、理解したくなかった。
「つまり貴様は、強豪の韓国戦を避ける為に明日負けて意図的に二位になろうって言うのだな?」
「ぴんぽーっん。その通り。頭の固い国松にしては珍しいな。得失点差で考えても、五点差以内の負けで二位通過。相手がパラフスタンだからさ、余裕だよ余裕。」
「ああ、そのくらいは俺にだって分かる。つまり二位になれば決勝まで韓国と当たらない。でアジアの出場枠は三だ。つまり決勝で負けてもワールドカップの出場権は得られる」
「イエーイ!国松。お前いつからワールドクラスになったんだい?それだけ頭の回転が速ければワールドカップ後に欧州移籍も夢じゃないぞ。そうだな。お前はパワーが売りだからイングランドが合ってるかもな。マンチェスター辺りはどうだ?ま、それは置いといて、とりあえずそういうことで明日は負けよう。ま、ニ対一くらいならそれっぽいだろ」
田伏は屈託無くニコニコ笑った。他の選手達も笑った。国松も一応笑った。が、次の瞬間
「ふざけんな!この野郎ーーー!」
と国松は大声を張り上げ、田伏を睨み付けた。

サッカー小説!「相撲ストライカー」-21-

皆が中山の顔を見た。一度消えかけた気力が再び沸き戻り始めていた。しかし監督が
「おいおい中山、いい加減なことを言うな。仮に誰か出てくれるって奴がいたってな。これは公式戦だ。登録してない選手は出場できないんだ。うちの登録選手は十一人。だから交代枠は無いんだよ」
と中山を諭すように言った。
「いいえ監督。登録してあるんです。実は昨日の夕方、連盟にファックスを送って追加登録して貰ったんです」
ベンチのやり取りは応援席にも聞こえた。中山の言葉に、ほんの数人ではあるが集まった応援団から「おおー」という気勢が上がった。
「おい中山!貴様、いい加減なことを言うな!誰だ?いったい誰だよ。俺は見たこともねえぞ、そんな奴」
と中山に詰め寄る監督に、中山は観客席を指差して答えた。
「彼です」
監督は首を傾げた。選手達も、客席にいた応援団も皆、首を傾げた。
「誰のことだ?中山。こいつか?」
監督は真奈美を指差した。
「お、お、おれは違うだろーろ。これでも女だぞ。お・ん・な」
「な、な!貴様女だったか?」
「失礼な!セクハラで訴えてやる!」
ざまあみろ、とほくそえみながら市太郎は二人の会話を聞いていた。だいたいショートヘヤにジーンズに黒いTシャツに同色の野球帽という出で立ち以上に、凹凸無くただ手足が長いだけの体型で乱暴な言葉遣いをしていれば、誰だって男だと思う。そのまま男と間違われて試合に出てさんざんに叩きのめされれば少しはお淑やかになるかもしれない、などと市太郎は考えると自然、笑みが零れてきたのだ。
「ちょっと、笑ってないで早くユニホームに着替えてくれよ」
普段、大人しく自信が無さそうにおどおど喋る中山が、毅然として言った。その見る先に真奈美は居なかった。中山の視線の先には市太郎がいたのだ。
「お、おれ!?」
「こ、このデブか!?」
市太郎と監督が同時に驚きの声を上げた。
「そう、市太郎君を昨日の夕方、急遽選手として登録したんです」
中山は微笑を浮かべながらそう言った。

市太郎は新品のユニホームの短パンを上に引き上げた。
「まったく、よくお前に合うサイズがあったもんだな」
真奈美のからかうような声援を無視し、市太郎はピッチに向かって走り出した。その方向には中山がいた。中浦と交替で入る市太郎は、そのままフォワードの位置に入ったのだ。ポジションについては
「どうするかなあ」
と監督は大分悩んでいた。
「これだけのデブをどこに置けばいいんだ?」
しかし悩んだ結果、デフェンスラインや中盤には置けない、という結論になった。強豪・国立浜川を相手に守備的なポジションに素人を置く訳にはいかないのだ。結果、市太郎は中山とツートップを組むことになった。
「おい湊!貴様ゴール前から動くな!とにかくそのどデカイ身体でゴール前に立ってろ!」
監督は市太郎にそう指示を与えてから、他の部員を呼び、小声で
「あのデブに思いきりぶつけろ!間違って入るかもしれん」
と指示していた。
 ピーッと試合再開のホイッスルがグラウンドに鳴り響いた。あっという間に市太郎の周りの選手が動き始めた。敵も味方も目まぐるしく動き始め市太郎はそれを見ているだけで目が回りそうだった。よく考えると市太郎は球技などやったことが無かったのだ。もともと運動神経が鈍いただのデブだったので、サッカーなんて誘われることは無かったのだ。それでもなんとか格好くらいは付けられるようにと、周囲を見渡した。相変わらず敵味方が入り混じって走り回っている。一見、滅茶苦茶に走っているように見えるが、良く見ると何らかの秩序が存在しているようにも見えるのだ。市太郎は皆がどういうパターンで動き回っているのかと何人かの動きを見詰めてみた。しかしさっぱり動き方の根拠が見つからない。素人が簡単に理解できるほど単純なものでは無いらしいのだ。そうしているうちボールを見失った。慌ててボールを捜す。が、どこにも見つからない。それとともに自分の周りの選手達の動きが更に目まぐるしくなった気がする。市太郎はその場でぐるぐると回り始めた。三六0度を二回、三回と周るうち、ボールを見つけるどころか相手のゴールがどこにあるのか分からなくなって、更には自分が今、相手のゴールを向いているのか味方の方を向いているのかさえ分からなくなった。それどころか自分の周りの選手達が年十人、何百人に増え始め、皆が同じ方向に向かってぐるぐるぐるぐる走り回り始めた気がした。
「みなと!」
誰かが呼んだ気がした。次いで中山の
「湊君!」
という呼び声も聞こえた。振り向いて中山を探そうとするが、目の前がぐるぐる回って見付からない。そのうち右足が左足に絡み付き、気付くと目の前に空が広がっていた。次の瞬間、目の前に広がった青空の中に白い点が現れた。白い点は徐々に大きくなり、遂には球体になった。あれは何だろう?と市太郎が首を傾げるうち、それはどんどん大きくなって、とうとう市太郎の視界を全て覆い隠したのだ。
がーんんっ!
と頭の中で大きな音がした瞬間、顔面に鈍痛が走った。市太郎はそのままもんどりうって背中から地面に倒れこんだ。受け身を取る余裕も無く、したたかに背中を地面に打ち付けた。
「惜しい!」
何人かが同時に叫んだ気がした。
「惜しい!凄いヘディングシュートだ!」
中山の顔が視界に現れた。中山が指差す方を見ると国立浜川のキーパーが倒れこんで必死にボールを掴んでいた。どうやら世の中にはまぐれというものが本当にあるらしい、と市太郎は思った。

「いいぞ!市太郎!なかなかやるじゃん!」
どこかの男の声援かと思ったら真奈美だった。
「お兄ちゃん、凄っごーい!」
とは留美子だった。いつも市太郎を馬鹿にしている二人に応援されるというのは薄気味悪いことだった。それに、自分としてはただ目が回ってひっくり返りそうになったところに偶然、ボールが当たっただけなのだ。そう思うと二人の声援も、市太郎にはただ自分を馬鹿にしているだけに聞こえた。
 市太郎はユニホームに付いた土ぼこりを払いながら立ち上がった。同時に国立浜川のキーパーが高々とボールを蹴り上げた。ボールは宙を舞い、守備を固める星雲ゴール前に落下した。地面に落ちる寸前、音も無く走り込んできた国立浜川のフォワードが、音も無くボールをトラップ。ボールを地面に付けずに再び高々と蹴り上げた。星雲デフェンダーの目の前でボールは太陽と重なり日食を作った。それにより、星雲のゴール前は暗闇に包まれた。暗黒の中で右往左往する星雲デフェンダーの眼前に、ほどなくして光が戻った。慌ててボールの行方を探す星雲デフェンダー。次の瞬間、彼らの見つけたボールは、自陣のゴールネットに深々と絡み付いていた。
ピーーーーッ
ゴールを示す主審の笛が鳴り響いた。市太郎のまぐれ当たりのナイスプレーの直後、十秒を経ずして国立浜川は点を入れてきたのだ。これこそ強豪の真価なのだろう。いつでもゴールを奪えるというデモンストレーションにさえ見えた。そのワンプレーですっかり星雲は凍り付いてしまった。格の違いを見せ付けられ、萎縮してしまったのだ。星雲の誰もが下を俯き、溜息を吐いた。しかしそれを吹き飛ばすような大声がした。
「ドンマイ!とにかく一点取りに行こうよ!」
重苦しい空気をつんざくように中山が叫んだのだ。星雲イレブンは一瞬、驚いて動きを止めたが、次の瞬間には我に返ったように生き生きとした表情が戻っていた。中山の一声が星雲イレブンを生き返らせたのだ。星雲イレブンは誰もが顔を上げ、大きく息を吸い込み、小刻みに足を上下させ、まだ自分の身体が十分戦えることを確認した。
「全部、湊に合わせていくぞー!」
キャプテンの宮友が大声で叫ぶと、一斉にイレブンが呼応した。星雲は再び戦う集団に戻ったのだ。
「中山君は大したものだ」
市太郎は心の底から言った。身体が小さくて運動神経が鈍くて、でもサッカーが死ぬほど好きで誰よりも練習熱心という可哀想なほど格好悪い奴と思っていた中山が、今は最高に格好いい奴に見えてきた。
「僕なんて全然大したこと無いよ。それより市太郎君の方が凄い。初めてサッカーやったのに、あのシュートだもの」
羨ましそうに目を細める中山に、市太郎はただ目を回していただけの自分が恥かしかった。
「あれはまぐれなんだ。ひっくり返りそうになったところへ、ボールが勝手にぶつかって来ただけだ」           」
「いや、違う。君は気付かなかったかもしれないけど、デフェンダーを二人跳ね飛ばしてたんだ」
市太郎はまるで気が付かなかった。知らない間にそういうことがあったらしい。
「やっぱり気が付かなかったんだね。彼らはJリーグから誘いを受けているほどの選手達さ。スピード、テクニック、パワー全て一級品だ。その彼らを君はピンポン球みたいに跳ね飛ばしたんだよ」
こうして回転しながら、と言いながら中山は市太郎がそうしてであろう動きを再現して見せた。
「途方も無いパワーだ。少なくともパワーは彼らを遥に凌駕している」
中山が真実を言っていることは、国立浜川デフェンダーが揃って市太郎を睨み付けていることから想像出来た。高校サッカー界、最高の3バックと謳われる国立浜川デフェンダーが目付きが凶暴になっていた。中山がセンターサークルでボールに足を掛けたところで、市太郎に囁くように言った。
「気を付けた方がいい。彼らは本気で来るよ。中浦の二の舞にならないように」

サッカー小説!「相撲ストライカー」-20-

 国立浜川のキーパーが図ったように星雲デフェンダーの密集地に向ってボールを蹴った。まるで星雲側にパスするようなボールだ。実際そうなのだ。わざと星雲にボールを渡しているのだ。ボールを受けた星雲デフェンダーは、中央の中出に預ける。中出は尾乃江とともに細かくパス交換しながらボールをキープ、右サイドの梶に展開した。梶はサイドを突破、中央の中浦に長いパスを入れる。中浦はまたしても相手デフェンダーと競り合いながらボールをキープ、中山へのラストパスの出しどころを探した。その時だ、三人付いていた中浦へのマークが突然外れた。そしてそれと交代するように、先ほど中浦と言い争った鋭い目のデフェンダーが中浦の前に立ちはだかった。中浦もそれと気付いた。次の瞬間、二人の一騎打ちになった。開いたスペースを強引に突破しようとする中浦に、鋭い目のデフェンダーが肩をぶつけに来た。一瞬、身体を固めて衝撃を受ける中浦。弱小チームとはいえ中浦はエースである。屈強な国立浜川デフェンダーの強烈なタックルにも簡単には倒れなかった。伍して戦っているようにすら見えた。
 しかし、中山が相手デフェンダーの表情を見て背筋を凍らせた。鋭い目付きのデフェンダーは、中浦と競り合いながら微笑を浮かべているのだ。まるで猫が鼠を弄ぶように、悦楽の表情で中浦を攻め立てていた。やがて中浦はボールこそキープしているものの次第に追い詰められ、行き場を失って行った。必死で中山を探すのが分かった。中山もパスコースを開けるべく右へ左へ動き回るが、そこは百戦錬磨の国立浜川。ことごとくスペースを潰された。遂に身動き取れぬほどに取り囲まれた中浦が、一かばちか強引に突破を図ろうとした瞬間、鋭い目のデフェンダーがカウンターで中浦に肩をぶつけた。一瞬、宙に中浦の身体が浮いた。そのまま崩れ落ちるその瞬間を狙って再び鋭い目のデフェンダーが身体をぶつけてた。中浦の身体が吹き飛ばされた。しかし吹き飛ばされた方向には、別のデフェンダーが立ち、吹き飛ばされた中浦の身体を弾き返した。そこへもう一度、鋭い目のデフェンダーがショルダータックル。先ほどのシーンを再現するように、反対側に立ったデフェンダーが弾き返した。そんなことを三、四回も繰り返したろうか。中浦はノックアウトされたボクサーのように崩れ落ちた。

「ファ、ファールじゃないのか!」
市太郎は思わず立ち上がり、叫んでいた自分に気付いた。気付いた瞬間、芝生に足を滑らせ転びそうになった。
「危ねーなー。気を付けろよ!昼飯が潰されるところだったぞ」
乱暴な口調で叱られ、市太郎は慌ててペコペコと頭を下げた。下げ終わって見ると真奈美と留美子がハンバーガーを咥えながら座っていた。市太郎と目が合った瞬間
「あ、やべ!」
と言って二人は逃げようとしたが、すかさず市太郎は二人の襟首を捕まえた。
「貴様ら、何しにきた!」
「何しにって、応援に決まってるだろ」
相変わらずの男言葉で真奈美が答えた。
「応援?誰のだ」
「おいおい、星雲高校の生徒なんだぜ。星雲高校の応援に来て何が悪い?」
言われてみるともっともな話で、市太郎は言い返せなかった。市太郎が返答に困っている間に真奈美と留美子は襟首を掴んだ市太郎の手を振り解いた。
「まったく。何だってんだ。乱暴な奴だな」
と真奈美が言いながら芝生の上に座った。留美子も一緒に座ると、つられて市太郎も座った。何か言い返そうとする市太郎に真奈美が言った。
「ところであれはファールじゃねえぜ」
市太郎は自分の心を見透かされたようで不愉快だったが、さっき「ファールだろう!」などと大声で野次を飛ばした自分を思い出した。それにしても、あんな酷いぶつかり方をしてファールじゃないなんておかしい、とも思った。
「あんなに酷い当たり方をしてるのにファールじゃないなんておかしいだろ?」
「おいおい、子供のお遊びじゃねえんだぜ。サッカーがボールを使った格闘技ってのは、世界の共通認識」
「え?格闘技?」
「そう、それがグローバルスタンダード。あれは審判の目から見ればボールを挟んだ競り合いだ。中浦は競り負けて倒れただけだよ」
「ううーむむむっ」
市太郎は納得出来なかった。相変わらず中浦はグラウンドの真中に倒れ込んだままだ。もしかしたら気を失っているかもしれない。真奈美の言うようにあれがただのせ競り合いだというなら、これは球技ではない。格闘技だ。
「だから格闘技だって言ってるだろうよ、さっきから」
真奈美にまた心の中を覗き見たような言い方をされたので市太郎は不愉快になった。その顔を見て真奈美が畳み掛けるように
「お前の心の中なんぞ全てお見通しよ。ったく、お前ってばほんと単純なことしか考えてねえからなあ」
つくづく腹立たしい奴だと市太郎は憤慨した。こうして市太郎はずっと真奈美に苛められてきたのだ。
「ほんとお兄ちゃんって分かり易いよね」
真奈美の悪影響で妹の留美子まで市太郎を馬鹿にするようになった。市太郎がなんとか一矢報いようと、言い返す言葉を考えているうち、真奈美がグラウンドを指差して叫んだ。
「おいおい中浦の奴、駄目か?」
選手達が円を作る中で、中浦は相変わらず倒れている。覗き込んでいた審判が立ち上がり、星雲側ベンチに向って両腕で×の字を作ったのだ。
「ええー」
ほんの数人とはいえ星雲側の応援席にいる応援団から驚きの声が漏れた。星雲側の選手がちょうど十一人しかいないのを皆が知っているのだ。一人でも欠ければ試合にならない。
「あれれ、退場じゃ無くて単なる人数不足でもいいんだったかな?」
真奈美が独り言のように言った。いつの間にか星雲の選手達はベンチに戻って監督と話し合いをしていた。
「どっちにしろ一人足りないんじゃ試合にならん。仕方ない、棄権だ」
監督の言葉に選手達はうな垂れた。張り詰めていた気力が失せて行った。その時、中山が叫んだ。
「大丈夫。一人いるよ。そいつに中浦の替わりに出場して貰えばいい」

サッカー小説!「相撲ストライカー」-19-

 後半終了から攻撃に転じた星雲高校の前に国立浜川は強大な壁として立ち塞がった。それはまるで少数のレジスタンスに対し、圧倒的な兵力差を誇示する帝国軍のごとき振る舞いだった。前半、一点をリードされた星雲に残された選択肢は名誉ある敗北か奇跡の逆転勝利か、いずれにせよ攻撃以外に星雲の活路は無い。百戦錬磨の国立浜川には手に取るように分かっていたのだ。両サイドから、あるいは中央からゴール前に迫る星雲イレブンを自陣深くまで誘い込むや、一斉に取り囲み圧倒的なパワーで押し潰した。まず左サイドを掛け上がった須都が三人掛かりで囲まれ、三方から同時にショルダータックルを浴びた。次に中盤の尾乃江がペナルティエリア前で吹き飛ばされる。次いで梶が、中出が地面に叩き付けられた。
「中山!デフェンスは俺が引き付ける!折り返しをシュートだ!」
エース中浦が叫んだ。そこへキャプテン宮友がロングボールを入れる。中浦はデフェンダーを三人背負ったままポストプレー、ヘディングで中山に絶好のパスを出した。中山は懇親の力をこめて、右足を振りきった。
 しかし、悲しいかな歴戦のつわもの達にその程度の攻撃は通用しないのだ。中山のシュートは楽々とキーパーにキャッチされた。
『くそっ!』
中山は心の中で呟き、悔しがった。中山は高校サッカーの最後に訪れたこの充実した時間に酔いしれながらも、己が悦びと試合内容の大きな隔たりに胸を締め付けられていた。
 下手糞!誰もが中山に対し思う言葉だ。いや中山自身が一番そう思っていた。自分は下手糞なのだ。だからこれまでも試合に出してもらえなかったし、練習の時だって誰も自分とコンビを組みたがらない。パス練習すらいつも相手がいなかったのだ。でも、それらの全てが単に自分の思い込みに過ぎなかったのではないか、と中山は考え始めていた。自分は下手糞なのだと思う劣等感がいつしかチームメイトを見る眼を歪め、下手糞な人間など相手にしてくれない嫌な奴等と思い込んでいたのかもしれない。人一倍謙虚に生きてきたつもりだったが、それすら劣等感の裏返しだったようだ、と中山は自戒した。
 中浦は何度もポストに立ち、国立浜川デフェンダーを引き付け、競り合いながら中山にパスを出し続けた。その都度、屈強な国立浜川デフェンダー二、三人に取り囲まれ、アメリカンフットボールさながらの強烈なショルダータックルを前後、左右から繰り返し受けた。中浦はまるで土砂崩れの中にでも彷徨い込んだように前後、左右に身体を跳ね飛ばされながら、しかしボールを死守し、一瞬の間隙を点いて中山にパスを出してくるのだ。それは両サイドの須都も梶も、中盤の尾乃江も中出もセンターバックの宮友、中川も、ダブルボランチの白元、服東も一緒だった。みんなが国立浜川の強烈な当たりに耐えながら、必死でゴール前の中山にボールを繋ぐのだ。
 全員の信頼が身体中にひしひしと感じた。これまで一度も試合に出たことの無い自分を信じてくれるチームメイトに、中山は心の中で手を合わせた。劣等感から彼らを歪んだ目で見ていた自分が恥かしかった。何度も何度も国立浜川に叩きのめされ地面に叩き付けられながらもパスを通そうと努力するチームメイトに、なんとか報いたいと中山も必死に動き回った。
 何度目かの中浦からのパスが、ペナルティエリア付近にいた中山の目の前に通った。今度こそと思い、中山は必死に右足を振り切った。ボールはゴール左隅に飛び今度こそゴールかと思われたが、キーパーに簡単にキャッチされてしまった。その時、国立浜川デフェンダーの一人が、独り言のように呟いた。
「まったく、守備の練習だと思って手抜いてやってんのに。もう少しまともなシュートできねえのかよ」
そのデフェンダーは中山を嘲笑うかのように顔を歪め、鼻をすすった。鋭い目を斜に構えた男だった。
「何だと!お前、もう一度言ってみろ!」
中浦が声を張り上げた。中浦は普段穏やかなのに、突然人が変わったように怒り出した。言われた国立浜川デフェンダーは一瞬驚いた顔をしたがすぐに
「練習にもならねえんだよ。下手糞すぎてな!」
と言い返してきた。中浦が「何を!」と詰め寄ろうとしたところへ審判が割って入り人差し指を立てて左右に振った。これ以上やったらカードを出すという合図だ。中浦は我に返ったように呆然として立ち竦んだが、相手の国立浜川デフェンダーは蔑むように微笑んだ。
 後半に入りこれまでのところ星雲が一方的に攻めている。しかしそれは星雲が押しているのではない。国立浜川が意図的に星雲に攻めさせているのは誰の目にも明らかだった。つまり、星雲は国立浜川の手の平の上で遊ばれているだけなのだった。しかし星雲もそんなことは百も承知で挑んでいるのだ。とにかく一点、国立浜川に何点入れられようが一点取ろうと考えていた。点を取ること以外、活路が無いのだ。

サッカー小説!「相撲ストライカー」-18-

『馬鹿か!お前の前半のチャンスなんて、向こうに仕組まれたものなんだぞ!』という言葉が全員の胸に一瞬湧き上がった。しかし、それは一瞬にして消え去った。まるで燃え落ちる紙屑のように、言葉ごと真っ黒な燃え滓となってイレブンの心から消え去って行った。先ほど頭の中に浮かんでいたおかしな白昼夢も、誰もが忘れ去ってしまった。今、自分たちが求めるものは唯一得点であると、誰もが認識したのだ。
「中山の言うとおりだ。攻めよう。全員で」
キャプテンの宮友が立ち上がった。その声につられて全員が立ち上がった。
「全員でぶつかっていけばきっと活路が見出せる」
エースの中浦が言った。
「よし、ワントップ・ナインバックの超守備的なシステムを捨てる。攻撃的に行こう。中浦、中山でツートップを組め。中出、尾乃江が中盤でゲームを組み立てろ。須都、梶が両サイドバックだ。センターバックの宮友、中川と白元、服東のダブルボランチがゴール前を固め、それ以外の六人で徹底的に攻めろ!」
監督の指示に全員が大声で
「うおー!」
と答えた。その時ちょうどハーフタイムの終了を告げるホイッスルが鳴り響いた。

 応援が少なく芝生の緑が目立つ星雲側観客席の、ベンチ裏に市太郎は座っていた。サッカーを見るのは勿論、初めてだったが、緊張に心がざわめくのを感じていた。点差は一対0という最小得点差だったが、それ以上に大きな差があるのは明らかだった。しかし、選手達がどう思っているのか知れないがなんとか勝ちたい気持ちが時間を追う毎に膨らんできた。ハーフタイムの時間がもどかしく、ベンチの中を覗き込んだりしたが、中で何を話し合っているのか聞こえなかった。そして選手達が突然奇声を上げるやハーフタイム終了の笛の音が聞こえてきたのだ。
 どうやら選手達以上に緊張してしまったらしい。手の平は汗でべっとりしていたし、高鳴る心臓の音が耳を塞ぐようだった。ベンチを飛び出す選手達の中に中山の姿を探したが見つからない。交替させられてしまったのか?と思ったが、よく考えると十一人ちょうどしかいないのだ。そんなことを思っているうち中山が飛び出してきた。市太郎は声を掛けようとしたが緊張にカラカラの喉は容易に声を発してはくれなかった。中山がそれと察したのか、ふいに後ろを振り向いた。そして右手を上げ市太郎に向かって振った。いつも悲壮感に包まれていた中山の表情は、満面の笑みを湛えていた。これまでの苦労や苦難の全てをぶつける場がついに与えられたかのような笑顔だった。まるで祖国の未来を信じ戦場に向かう兵士のようにも見えた。
 市太郎は「中山がんばれ」と心の中で精一杯呟いた。

サッカー小説!「相撲ストライカー」-17-

 ほどなくして前半終了のホイッスルがグラウンドに鳴り響いた。両チームの表情はまるで対照的。というより別の競技をしてきたようにすら見えた。
 星雲イレブンは、いかにも激しいスポーツをした後らしく汗だくで激しく肩で息をしていた。何人かはげっそりと頬がこけてすらいた。戦いが厳しかったことが窺い知れた。対して国立浜川は、誰一人呼吸を乱しておらず、そればかりか全員が無表情だった。しかしそれは、試合を優勢に進め尚且つリードしたチームの選手には不似合いな深刻な表情にすら見えた。その理由はすぐに分かった。突然、国立浜川の監督の声がグラウンド全体に響いたのだ。
「おい、佐々木!高木!おまえら交代だ!」
あれほど優勢だったにも関わらず、国立浜川は満足出来ないらしい。名門には名門なりの高度な要求があるのだ。選手達はその要求に答えるための戦いをしていたのだ。そして星雲の誰も、観衆の誰も気付かなかったことだが、佐々木と高木という二人の選手は要求に答えられなかったようだ。
 続いた監督の怒声に、星雲ベンチも観衆も更に驚いた。。
「星雲にクリアさせた時プレッシャーを掛けるタイミングが早いんだよ。もう少し星雲側に自由を与えてやればゴール前に張り付いたデフェンスラインまで浮き上がらせることが出来たろう。そこを突けばロングボール一本でゴールできたのだ」
どうやら星雲のあのチャンスは仕組まれたものだったのだ。ゴール前に九人で壁を作った星雲に対し、国立浜川は意図的に奇跡のようなチャンスを与え、星雲が攻撃に気持ちを向けて壁が崩れるのを待っていたのだ。そこを一気にカウンターで攻める為の罠だったのだ。中山が思いがけずゴール前までドリブルできたのも、アレッサンドロ・デル・ピエロが中山の身体に降臨したからなどではなく、単に国立浜川の作戦だったに過ぎない。
「やっぱり駄目なんだ」
という焦燥感に星雲ベンチは包まれた。監督の高度な戦術とそれを忠実に実行する選手の高い能力、そんな国立浜川に星雲がかなう筈がない。前半、唯一のチャンスすら国立浜川の掌中で躍らされていただけなのだ。
「どうする?」
誰かが呟いた。しかしその問いは誰の胸の中にも湧き上がったものだ。それは、後半攻めに出るか守るかを選択するものだ。圧倒的な実力差のある相手に対しては、守りを固めるのが定石である。やはり徹底的に守り抜くのが正解だ。第一、攻めに出たら再びカウンターを食らい一体何点取られるか分かったものではない。そんな惨めな敗北を喫するくらいなら、なんとか前半の一点で留めておけば強豪・国立浜川に対し一対0と健闘したことになるのだ。一点差の敗北であればなんとか面目は立つ相手だ。
 誰もがベンチに座ったまま俯き、土が剥き出しの地面を見詰めながら名誉ある敗北に心を動かされていた。
『あの浜川に一点差で負けちゃってさ』
と言えば、誰もが
『すっごーい!もしかしてもうちょっとでJリーガーだった訳?』
と驚いてくれるに違いない。更に
『まあな。あの時、浜川にいた○○がさ。あのほらジェップ千葉にいる奴。あいつと競り合って作ったのがこの傷さ』
とか言って猫に引っ掻かれた傷を見せても様になるだろう。
 誰もがそんな誘惑に駈られていた。そんな夢見心地な雰囲気を、中山がぶち壊したのだ。
「攻めましょうよ!」
まだ、夢の中を漂っていたイレブンは中山が何を言ったのか理解できなかった。ただ、口をぱくぱく開いたり閉じたりしたのが見えただけだった。しかし、中山は繰り返し言った。
「攻めましょう!何点取られても。攻めてさえいれば奇跡が起きるかもしれない。一対0で負けるより、十点入れられても一点取って負けた方が意味がありますよ!」

サッカー小説!「相撲ストライカー」-16-

監督の叫び声だ。まったく、アレッサンドロ・デル・ピエロの美しいシュートを台無しにするような品の無い物言いだ。そう思って中山が声の方を振り返ると、国立浜川の屈強なデフェンダー達が中山の後ろに迫っていた。中山は慌てて振り上げた足を降ろし、シュートをうとうとするが、国立浜川デフェンダー等の恐ろしい形相に気圧されたのか足が下りてこない。何しろ国立浜川のデフェンス陣は、子ウサギを狩る狼の集団のごとき残虐な表情で、尚且つ薄笑いを浮かべていたのだ。
「あ、あ。いい、ううう」
中山は声にならぬ声を上げ、後方に上がったままの足を必死で振り下ろそうとした、しかし降ろそうとするほどに筋肉は硬直し、動かなくなった。そうこうするうち、国立浜川デフェンダー陣が中山を取り囲んだ。絶体絶命のピンチ。蟻の抜け出す隙間も無くなった。
「こっちだ中山!」
その時、中山を救うがごとくチームメートの声がした。真中、左右に一人づつ、中山の後方から全速力で走ってきたのだ。中山は一瞬で三人を見渡し、敵デフェンダーの間隙を縫ってパスを出した。左サイドを掛け上がって来た須都にパスが通った。須都はボールを受けるとそのまま左サイドを掛け抜けた。中央を走ってきた中浦がその後方から追い掛ける。須都がバックパス。中浦がゴール方向に走りこみながら上手くパスを受けた。逆サイドを掛け上がった梶がゴールまでに突進。ゴールエリア付近でおろおろしていた中山も、相手デフェンダーに押される形でゴール方向に飛びこんだ。遂に中浦がセンタリングを上げる決定的なチャンスを迎えた。
 しかし、それらは全て計画されたことだったのだ。筋書きのあるストーリーだった。そしてその筋書きを書いたのは国立浜川だった。浜橋のデフェンス勢は、ゴール前に集まった中山、須都、中浦、梶の四人を取り囲んだ。惨劇はそこから始まった。まずボールを持った中浦が二人掛かりで左右から、こぼれたボールを拾いに行った須都が前後から、助けに入った梶は四方を固められ、いずれもアメリカンフットボールでもここまでしない、と言わんばかりのショルダータックルを浴びせ掛けられた。それは繰り返し執拗に行われ、倒れそうになる者は下から突き上げられ倒れることを許されず、逃れようにも行く手を先回りされ阻まれた。更にクリアされないボールはいつまで経っても彼等がキープしているように見えるのだ。
 その光景を中山は立ち竦んだまま、すぐ傍で見ていた。しかし何もしなかった。恐怖に身体が硬直し何も出来なかったのだ。頭の中では神に恨み言を並べ立てた。アレッサンドロ・デル・ピエロが乗り移ったなど嘘だったではないか、と。しかし、それは単に中山の勘違いに過ぎなかったのだ。それから驚くほど長い時間が過ぎた気がする。味方の三人は襤褸切れのようになって、夢遊病者のようにさ迷っていた。気付くとボールは星雲ゴールの間際まで行っていた。あれほど強固だった星雲の守りがすっかり穴だらけになっていた。それもその筈である。九人いた守備陣は六人に減ったのだ。
 国立浜川の一人が軽がるとボールを蹴った。さほど威力のあるボールに見えなかったが、星雲の誰一人手も出すことは出来なかった。ボールはやすやすと星雲ゴールのネットを揺らした。
「ピーッ」
ゴールを示す主審の笛がなった。中山の耳に、突然、割れんばかりの声援が飛びこんできた。しかしそれは国立浜川の応援団が発したものだった。中山は夢から覚めたように星雲応援団を見た。芝生の緑ばかりが目立つ観客席には五人ほどしかいなかった。その誰もが口を開けて呆然とした後、中山と目が合うと必死で苦笑いを堪えていた。

サッカー小説!「相撲ストライカー」-15-

 中山は小学校三年生でサッカーを始めた。テレビでアレッサンドロ・デル・ピエロを見、すっかり魅了されてしまったのだ。その日のうちにサッカークラブに入ることを両親に許可して貰った。次の日曜日には少年サッカーチームのユニホームを着ていた。中山の脳裏には憧れのアレッサンドロ・デル・ピエロのイメージが満ち満ちていた。しかし、ボールに触れた瞬間、身体は硬直した。ボールは思ったより固く足に振れた瞬間、見知らぬ生き物のように中山の元から離れて行った。それだけはない。中山は二年生の子等より下手な自分を発見した。いや、一年生より下手だった。つまり、誰より自分が一番下手であることに気付いたのだ。
 普通はそれで挫けてしまう。いや挫けてしまった方が幸せなのだ。挫折はより自分に向いた道を探すきっかけになるのだから。ところが中山は挫けなかった。むしろ運命に逆らうように才能の欠片も見当たらない棘の道を歩き始めたのだ。それから中山は、毎朝一時間のリフティングを欠かしたことが無かった。本当は「百回続けられたら終わり」という決まりにしたいのだが、生憎才能の無い中山は小学校三年以来、高校三年に到るまでの九年間に二十回以上続けられた試しが無かった。だから百回などといえば永遠に終了できないのだ。
 そんな中山だから小、中、高と一貫してサッカー部に所属した。当然、レギュラーにはなれなかった。控えどころか、ベンチに入れてもらえたことすらなかった。そんな中山にも、幸運は巡ってくるものだ。高校生活最後の年にそれは訪れた。幸か不幸か星雲高校はサッカーが弱かった、だから毎年入部も少なかった。今年はそれが更に少なく、ついに部員数は十一人ちょうどになってしまったのだ。部にとっては残念なことだが中山にとっては初のベンチ入り、いやレギュラー取りが叶ったといえる。しかし、好事魔多しのことわざのごとく、中山のレギュラー取りは大会直前になってにわかに雲行きが怪しくなってきたのだ。同級生や後輩である選手達こそ露骨に口には出さなかったが、数学の教諭も兼ねる監督が
「誰か中山の代わりいねえかなあー。サッカーなんかやったことなくたっていい。人間なら誰でもいいや」
などという中山にとって屈辱的な言葉を口にしたのだ。しかしサッカーを愛する中山は、それがチーム全員の総意であると納得した。なにしろ中山が試合に出るようになってからというもの、相手チームは中山がいるサイドを大穴の開いたザルをくぐるようにやすやすと突破し得点を重ねるのだった。
「誰もいないほうがマシ」
というチームメイトの無言の呟きが中山の耳にも聞こえるようだった。
 それから今日まで、中山は全力でメンバー探しを行った。既に三年生が出場する大会を終えた運動部の選手からあたり、ついには文化部にまで対象を広げた。市太郎に声を掛けたのもこの時である。しかし残念ながら、否、幸運にも誰も参加してくれなかったのである。
 そしてついに中山は出場機会を得、あろうことかフォワード、それもワントップとして起用されたのである。相手が強過ぎるので、中山が守りにいたら邪魔というのが真相だったが、そんなことはどうでもいい。花形のポジションでピッチに立っているだけで眩暈がするほど嬉しかった。きっとこの日のことを自分は一生忘れないだろう、とまで中山は思った。そんな中山に思いもよらぬチャンスが訪れたのだ。おそらく今後一生訪れないほどのチャンス。強豪・国立浜川を相手に得点を取るチャンスが訪れたのだ。
 亀のように守りに徹する星雲高校を責めあぐね、強豪・国立浜川はデフェンス・ラインを上げ過ぎたらしい。一瞬の隙を突いて星雲高校のデフェンダーがクリアしたボールは国立浜川のデフェンス・ラインの頭上を軽々と超え、しかしゴールキーパーがゴールから飛び出してクリアするには危険過ぎるほどの位置、つまり攻撃側にとっては絶好の位置にボールが転がったのだ。更に、攻撃に気を取られた国立浜川デフェンダー等より、はるかに早いタイミングで中山は飛び出していた。国立浜川デフェンダー等が、中山に気付いた時には既にボールまであと一歩というところまで迫っていた。中山は走るスピードを下げず、しかし慎重にボールを迎えに行った。その時、中山は驚きに心臓が停止しそうになった。おそるおそる出した足は、まるで別人の足のようにボールを吸い寄せたのだ。アレッサンドロ・デル・ピエロが自分に乗り移ったのだ、咄嗟に中山はそう思った。これまでの自分の努力を神様が見ていてくれて人生の中で一度だけヒーローにしてやろうと考えたに違いない、とさえ思った。それほどボールは中山の足にふわりと乗り、歩を進める毎に中山の足に馴染んで行った。ふと顔を上げると国立浜川のキーパーが見えた。彼には、既にJリーグの三クラブほどが獲得に名乗りを上げている。将来の和製カーンなどと持てはやされている男だ。昨年は二年生にして五十試合無失点記録を達成した。しかし今日の中山には、そんなビッグネームのキーパーの表情さえ窺う余裕があった。何しろアレッサンドロ・デル・ピエロが乗り移った足を持ったのだ。キーパーも中山の足が尋常で無いことに気付いているらしい、どこかしら不安げな表情をしている。そんなことを考えているうち、ゴールエリアが見えてきた。いよいよシュートレンジに入ったのだ。シュートってこんなに楽なんだ、などと中山は心の中でほくそえんだ。サッカーを始めた小学校三年生の頃から中山はついぞシュートというものを放ったことが無かった。中山が振りかぶった瞬間、ボールはそこにない。相手に軽々と奪われてしまうのだ。しかし、今日の中山は違った。自分でもゆっくり過ぎるくらいゆっくりと、いや、ゆったりと振りかぶっているいるというのに、誰にも邪魔されない。いつもこんな風に打てば良かったのだ、などと中山は反省した。これはアレッサンドロ・デル・ピエロが乗り移っているからに違いないのだが。
 その時、思い掛けない声が耳に入ってきた。
「馬鹿野郎!早く打て!」