昨日の話。

先月の行動分析学会以来、ずーっと考えてきていたことがあったんですけれども、昨日、ぴっかーん!ときました。
思わず叫んだもんね。
「うおー!うわー!」って。
もう全然結論なんか出ないんじゃないか?と思いつつも、それでもやっぱり諦められなくて、考えて考えて考えてたらぴっかーん!ときたんですよ。

でもそれって、実は普段から僕が言ってることだったりするので、周りから見れば「え?何が違うの?」ってな感じだろうと思うんですけど、違うんですよ。全然違うの。
こう「質感を伴ってわかる」って瞬間がですね、あったんですね。

5年前に立命館大学で望月先生の講義を聴講したときから、幾度となく先生の講義を聞いたり、直接お話をさせていただいたりして、他にも色んな先生のお話なんかをたーっくさん聞いてきてるんですけど、それらがですね、ストンと落ちたわけです。
なんていうの?
「知識として知っていたことが、知恵(智恵?)になった」みたいな。

これは快感ですねー。快感ですよー。

「勉強するってのは、こういうことなんだなぁー」とか思いながら、昨日からずっとテンションあげぽよなあたくしてございます。

「で?何がわかったの?」って聞かれると、今はまだちょっと困る感じ。
うまく言語化できてないんですよね。


 「繰り返し視る」
 「繰り返しの果てにある理解」
 「一人称でも三人称でもない、二人称的理解」
 「なぜ、行動分析学を選ぶのか」
 「お湯加減いかがですか?の科学としての行動分析学」
 「気持ちがわかるなんて言っちゃいけないという立場を
 選択することで生まれる強み」
 「理解してると思ったところから誤解が始まる。
 誤解してるかもしれないと思ったところから理解が始まる」
 「三項随伴性で記述することの意味、意義」
 「相手に寄り添うとは、つまりどういうことか?の行動的な定義」
 「倫理」
 「ドッグトレーナーという仕事が持つ機能、そして文脈」
 「行動を変えるのではなく、成立させる」
 「イヌをトレーニングするのではなく、飼い主に教えるのでもなく、両者を支える」
 「イヌと飼い主との関係、イヌと飼い主と世界との関係を支える」
 「行動を視るのではなく、関係を視る」
 「行動とは表現であり、すなわちコミュニケーション」
 「行動とはコミュニケーションであり、すなわち相互関係」
 「イヌと飼い主の間で成立しているコミュニケーションを、尊重する」
 「コミュニケーションとは、終わりのないプロセス(過程)であり、結果なんかない」
 「終わりのないプロセスだからこそ、繰り返し視る」


キーワードとしては、まあこの辺なんですけどね。
最後にぐるりと回ってきた感じ。

ま、ま、ま、そのうち言語化できるでせう。

いずれ言語化できたら、またどこかに書きます。
すんごい大事なところが、ストンと落ちた。

当分、行く先々でこの辺の話をしまくるかもしれませんが、ま、ご容赦ください(すでに何名かの方が餌食に)。

うふふふふふふ。
生まれてはじめて勉強が楽しいー!!


そして今は、故佐藤方哉先生のこの言葉を噛みしめてます。


 「随伴性とは縁である」


ほんと、縁です。縁。
ではではー。