突然だが、

アメリカという国について書こうと思う。

とは言っても、別に思想的なことや政治的なことを書くつもりはない。

ただ、

私という個人が感じたことを書くだけだ。

それこそが、価値があり

意味があることだと、私は今、思うから。


アメリカという国に、理由あって十代から二十代半ばにかけて比較的長く住んでいたのだが、日本に帰って来てつくづく思うのは

アメリカは乾いた国だったなあ~、

ということだ。


勿論、それは悪い意味でも良い意味でもなく

ただ、乾いた国だったなあ~、と、思う。


空気も乾燥してるし、

考え方も乾いているし、

何だか言語体系や発音すらドライに思える。


要するに、

基本的に深読みする文化ではない、という

ことだ。

目の前に起こる事実と

発した言葉と現実での行動だけが

存在出来る国、アメリカ。


勿論、アートやエンターテイメントも

盛んだし、感性が無いという意味でなく、

日本と根本から違うのだ。感覚が。

アリゾナかどこかよく知らないが、

何マイルも赤土色した広大な大地が広がり

乾いた風が吹いて土埃が舞っている、そんなイメージがやはり私とっては、アメリカっぽい。


勿論、個人差やパーソナリティーによって考え方の違いは勿論あるが、

基本、自分の幸せは

自分で勝ち取らないといけないし、

自分の人生をより良くするには、

自分でアクションを取らないといけない。

誰もお節介に関わって来ないし、必要以上に

踏み込んで来ない。


自分からアクションを起こさない限り

誰も見つけてはくれないし、

耳を傾けてはくれない。

良くも悪くも日本のように、思い測るような

ことはしない。それはなぜか?

だって、思い測るって結局、

どこまで行っても主観じゃん?

本人以外、その人の本当の気持ちなんて

分かることはないんだから、余計なことを言う人の方が、ありがた迷惑だし、

大体において見当違いになる。


だからこそ、本人がちゃんと自分で考えて発言して行動したことには、敬意を払う(ように教育されている)。

何故なら、それこそが、尊ぶべきオリジナリティであり、オリジナリティへの尊敬こそ人権の根本にあるから。


だからこそ、言葉を最重要視する。

それがアメリカ。


私は日本も大好きだが、

基本マイペースで理屈好きの人間だから

アメリカの、自分の意見や生き方を主張する事がそもそも肯定される感覚の方が

理解しやすい。いわゆる、リーズナブルです。


悪く言えば、頭でっかち。

けれど、日本特有の

なんとなく、とか

皆がそうだからとか、

雰囲気で、とかの

ふんわりして、

けれどその正体が何なのか分からないことを

掴めと言われる方が至難の技だ。


そのふんわり加減の優しさに

助けられることも、勿論沢山あるので、

まあ、これはいわゆるバランスで、

恋に悩む友人には日本的コミュニケーションを用い、

仕事では、クリア、ロジカル、正確さ、を

追及したアメリカン的コミュニケーションを

用いると、切り替えている。


要するに、

感情と個人の意見を

混同せぬよう、意見は意見として

形通りにそのまま受け止めよう、

ということです。

変に空気詠んだり、裏を読もうとすると

脳ミソの余計な部分に負荷がかかり

しんどくなりますよ。と。


この、愛すべき優しい気質が根本にある

日本で

そう割りきって考えられる人が増えたら

もっと風通しよくなるのになあ~、と思う

今日この頃。


優しさと論理性がタッグを組めたら、

最強やん!