山
比べる恐ろしさ
どうせうまくいかない。
私だけかもしれませんが、
書道界にいると、定期的にふて腐れたくなる日が来ます。
見渡せば才能に溢れる人ばかり。
自分がそこらに落ちている石ころのように感じます。
何年やっても上手くなったような気がしない。
周りを意識し過ぎでプレッシャーを感じ「自分はダメなんだ」と自己批判してしまう。
これはどの世界においてもそうですが、人は他人と比べて自分がどの順位にいるのかを確かめて、群れから追い出されないように必死です。
書道界には「段級制度」が存在します。
自分の作品が評価され、段級が上がっていくのはとても楽しくモチベーションも上がります。
しかし、私はここに全力投球しすぎるのは、あまり良しとは思っていません。
ただ段級制度を利用し、自分の継続力の糧にすることはとても良い事だと思っています。
気をつけてほしいのは「段級がすべて」にならないこと。
好調に階級が上がっていくときは最高な気分ですが、じゃあ、逆は?
後から習い始めたはずの人に追い越された時の気分は?
段級にこだわっている人ほど、大きなダメージを食らいます。
悲しみ、妬み、疑心暗鬼。
ときにはやる気を失い、もう書道を辞めてしまおうかと思う人さえいます。
これだけは知っていて欲しい。
段級制度というものは、各団体の審査する方によって全くレベルが違います。
同じ段級の人であっても「同じレベル」ではないのです。
でも、それって何のための段級なんだろう?
結局、段級制度といくのは、生徒さん達に長く継続してもらうための書道界のマネジメントなのです。
そう考えると「段級が上がらない自分なんてダメなんだ」と落ち込むことが馬鹿らしくなりませんか?
どんなに大きな賞でも、上手だからもらっているのではなく、その時の審査員との価値観が合致する作品が選ばれる。
「じゃあ、ただラッキーだったってこと?」
と言いたくなるでしょう。
ただ、それは違います。
その人たちは、数少ないラッキーを勝ち取るために常に書き続けている。
その時、その瞬間、価値観の合う審査員に見てもらう偶然に賭けている。
ということです。
その努力をやり続ける人たちがラッキーを勝ち取れる。
どれだけの上手い人でも、書き続けている人にしか「チャンス」というものは降りてこない。
「私なんて」
とふて腐れる時間があれば、今すぐにでも書きましょう。
みんな、最初は誰でも石ころ。
泥臭い練習を続けられる人たちが上の方にいるだけなんです。
それでは、このへんで。