「大人の学び直し書道」

 

今回の漢字は「下」です。

 

空を表す線の下に点を書いたもの。

線の下にあるという意味でできた漢字です。

 TODAY'S
 

 


 

 

下手であれ

「誰にも見られたくない」

 

書道教室でこのように話す方を見かけます。

 

実は、これ。

ちょっと前の私なんです。

 

大人になってからスタートした書道。

私の実力はなんと小学生よりも下手で、人に見られることがとても嫌でした。

 

大人なのに、こんなに下手だなんて。

 

「バカにされる…」

 

 

 

 

今にして思えば、初心者なのだから当たり前のことなのですが。

無駄に歳だけ重ねてきた、妙なプライドだったのでしょう。

 

 

 

大人になってしまった私は、子供よりも下手であることが恥ずかしいことだと感じたのです。

 

 

 

しかし、教室の子供らは私の下手な字をみて

 

「うわぁ!上手だね」

 

と褒めてくれたのです。

 

 

 

 

 

そうなんです。

 

自分の字を一番多く評価するのは、自分自身。

 

 

どれだけ、自分が失敗したと思っていても、

 

見る人によっては、「すごいな」と思ったする。

 

 

彼らは純粋に、年齢や性別で判断するのではなく、ただ私の書道を自分なりに評価しただけなのです。

 

 

子供だった私たちは、いつの間にか、いろんな鎧をつけて弱い自分を守ろうとしています。

 

 

一番私をバカにしていたのは、私自身でした。

 

 

書道は自分なりに「そこそこできた」の繰り返し。

 

でもそれでいいのです。

 

 

 

「完璧だ」と思えるものは、きっと一生書けません。

 

死ぬ直前でも、消えない向上心。

 

それが、書家の愛すべき一生なのです。

 

 

勇気をくれた酔っ払い

 

人に作品を見られたくない書家であった私。

 

 

そんな私が、今ではブログやSNSで「自分なりのそこそこな書道」を日々配信するまでになったのには、きっかけがありました。

 

それは王義之の「蘭亭序」。

 

蘭亭序は言わずと知れた、王義之の代表作の一つです。

 

 

そんな神様と言われた人が残した作品、実は酔っぱらって書いたものでした。

 

 

蘭亭序の作品は、息を飲むほどのしなやかで美しい動きのある行書。

独創的でバリエーションの多い作品が、まさかお酒の力も入っていたとはとても面白い話です。

 

 

この、話を知ってから、自分が書道に対してどれだけ「身構えて」いたのか知りました。

 

「人に見られる」

「人に評価される」

 

そればかり考えて書いていたのです。

 

評価されるための書道。

 

添削に怯え、人をうらやみ、自分を責め、落ち込む。

 

無駄な承認欲求の負のループ。

 

 

 

「大人から挑戦している」というのは素晴らしい勇気のはずなのに、いつの間にか、自分にとっては負い目となっていました。

 

 

 

蘭亭序に秘話を知ってからは、

「もっと自由に書道する」

 

というのが、私の目標となりました。

 

 

下手でいいのです。

むしろ、下手がいいのです。

 

下手であると言うことは、もう伸びしろしかない。

 

下手であると言うことは、人よりもっと多く成長できる楽しみがあるということ。

 

 

下手である自分に感謝です。