私の父は65歳で子供を授かった。母は45歳。お互い再婚だった。昭和42年1月7日だった。双子の男の子だった。





10歳の時、父は亡くなった。胃がんだった。その葬儀で、父の先妻の子供の話しを聞いた。





義理の兄は、戦争で満州で戦い、最後はロシアのシベリアで「抑留」されてしまう。極寒のシベリアでほとんど食べ物も与えられず、過酷な労働を強いられた。死と隣り合わせの「強制労働」だ。





そのシベリアで亡くなったと聞いた。遺体は無い。





とても頭がよく、天才肌の父を受け継ぐ才能溢れる人だったと聞いた。父は建具職人だった頃は「天才肌の職人」と評価が高かったと言う。佐賀県木工組合の所長が言うのだから本当だろう。





無念で亡くなった義理の兄の分まで、生きたい。大和魂を持って。




神様の為、亡き父、亡き母の為、日本の為いつでも命懸けで戦うつもりだ。