女性学と育児と妻とを考察する

女性学と育児と妻とを考察する

女性として生まれ、
娘となり、
妻となり、
母となり、
普段感じることを書きます。
備忘録。

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離婚はしちゃいけないと思いながらやってきた。


旦那との出会いから結婚まで1年もなかったため、


結婚が決まってからも、入籍して一緒に住み始めても、私の中ではどこか

他人感がなくならずいつまでたっても新しい生活に自分の場所を見いだせずにいた。

結婚5年目を迎えた去年ごろから、やっと落ち着き始めたほどで。


子どもができてから結婚したから、

私たちが結婚した目的は、社会的役割の一つである「子育て」である。


子どもを日本の労働力の一つとして立派に育て上げることが役割としてあった、


私たち日本人は日本国のピースで、その一人ひとりが国力となる。

日本が豊かになれば、住んでいる都市も豊かになり、勤めている会社も豊かになり、地域が豊かになり、

家庭も豊かになる。そして、自分が豊かになる。


子どもを育てるのに父も母も必要だと思うから、離婚はしちゃいけないと思ってきた。


今もそう思う。


父役割だとか、母役割だとかいう難しいことではなく、

ただ、男の人(父)と女の人(母)のセットが、世間的に家族の形にあって当たり前だからという理由で。

それが「子育て」をまっとうするためパートナーであり、また「家族」の一般的な形であるからです。


どこかに敵を作るつもりは一切ないが、

私が自分に決めてしまっていることだ。



小さな子どもにマイノリティを背負わせるのは考え込んでしまう。


とまあ、

我が家の旦那さんがなかなか立派なひとで、

DVやら虐待やらなく、はたまたへんてこな性癖など(あるかもしれないけど(;^_^A)私は感じなかったし、

金遣いが荒かったり、生活費を入れなかったり、生理的に無理だとか、性格の不一致だとか


そんな離婚の理由も見つからなかったから、そんな決め事が決め事として

やってこれたのだと思う。


いわゆる「夫婦生活」なんて必要ないから、

ただ大切な同居人であるのが

夫婦なのかなと思ったりする。


本当に、大切な同居人で。大切になるほど、いなくなることを考えて怖くなるんだ。



ところで、そのいわゆる「夫婦生活」のモチベーションの保ち方はどうやっているんだろう、みんな。


なかなか聞けない問題だよね。






家族は、人間が初めて体験する小さな社会だ。



社会にでたら厳しいというけれど、家族はもっと厳しいと思う。



社会は結構あたたかい。



女性は結婚したら一般的には姓がかわり、

結婚式の前日なんかに、両親に挨拶をしたりする。

違う家の子になるからだ。

旦那の家に嫁ぐということは、旦那の家の人間になるということで、

軽々しく実家に帰ってはいけないし、



たとえば、実家の悪口を言われても実家をかばうわけにはいかないのだ。

そして、旦那の家の味を覚え、伝えていく。料理の味だけではない。

文化、習慣、生活のすべてを一から勉強しなおし

よその家の人間になっていくのだ。



私の場合は、本当に残念なのだけどお姑さんがいなかったため、

よくある洗礼を受けることはなかったのだけれど、

それでもやはり、旦那から様々なことを学ぶこととなった。

掃除の仕方、洗濯の仕方、料理の作り方も材料も、

スナック菓子の食べ方、休日の過ごし方、外出先から帰ってきてから初めてすること。

いまではそのすべてが折り目正しく行われることがとても心地よい。

よその人間になって初めて、

実家について知ることとなる。





私の実家はだらしのない家だった。



住んでいるのは公営住宅。

結婚してもすぐに離婚して帰ってくればいいよといい、

掃除は一年に一回。

洗濯物はなんもかんも一緒。

お菓子を食べながらぽろぽろこぼしても平気だし

休みの日はずっとだらしなく過ごしている。

外から帰ってきたらすぐごろんと横になる。

無神経で怠け者でだらしがない。礼儀がない。

家族が特別な関係と勘違いし、

家族だからいいよねという。



私の結婚式には貸衣装代がかかったんだし、お祝儀はなくていいよね。

といった。

恥ずかしかった。

なにかお祝いごとがある度に恥ずかしく思った。

しわしわの祝儀袋にはかすれた筆ペンで書かれた父親の文字。

中からはしわしわの一万円札。

この何とも言えないざわざわした感じはなんだろう。





そうだ、

私はずっとこの家族が恥ずかしかった。

それでもいいという洗脳をされていたことに気付く。

私たち家族は特別だと思わされていたのだ。

母親によって。

よその家を知らない兄弟たち、父親は

母親が作り上げたこの家庭こそが至高だと考え、よその家を見て批判をする。

自分たちが幸せだと洗脳されていたのだ。



吐き気がした。

反吐が出る。



家族でも人間同士だから

礼儀、尊敬があるべきだと思う。



よその家の人間になれたつもりでも、

おばけのように家族はついてくる。



夢に出てくる。



おばけ家族から逃げられないのだろうか。

人間のいろいろな感情が絡み合いおどろおどろしいものに

なってしまったおばけたち。



自分たちのことしか考えられなくなった腐った人間。



おばけ家族はいつまでもついてくる。








どうして私たち女性にとって、

この世の中は生きにくいのだろう。


その理由は、女性が無能だから?女性が有能だから?


ハートハートハートハートハートハートハートハートハートハートハートハートハートハートハートハートハートハートハートハートハートハート

母の教育により、

私は小さいころから女性が自分の志を持って生きることが大切だと

教えられてきた。


今年還暦を迎える母にとってちょうどそんな時代だったのだろう。


女性の社会的な立場がのらりくらりと変化している時期。

母たちは子育てと自分の時間とそれから主婦としての時間と

なんとかやりくりしなければならなかった時代。



まあ、それは今も変わりませんが(@Д@;



それを時代が後ろから後押ししてくれた時代。




あの頃の母親に足りなかったものは

圧倒的に情報量だと思います。

もっと言えば、勉強していない。


子育てにたいして不勉強だったように感じる。


その頃の子育てといえば、ただの経験値によるもの。

代々受け継がれてきた、間違った情報。未確認の情報。なんのプルーフもないもの。


あの人たちは、それをかたくなに信じてきた。

それを今の時代に子育てしているお母さんに言われても、困ってしまうわけで。


それはまた記述するとして。




女の人が仕事を頑張りたいと思えば、離婚のリスクは増え、子育ては後回しになり、


子育てを頑張りたいと思えば、会社での居場所はなくなり、社会から必要とされていないような気がしてくる。


一人で子どもにご飯を食べさせ、お風呂に入れ、絵本を読み、寝かしつけて

それから家事を片づけはじめ、洗濯物をしまうときにふと、


今頃夫は、キャバクラで楽しく飲んでんのか。。とか思って不公平を感じる夜もある。

仕事で行っているとわかっていても・・・(^_^;)


「わたしたち、母で、妻で、女です!!」


なんてキャッチコピーありましたけど、

そんなの歯を食いしばって頑張っている女の人のみが言える言葉。


女は、結婚という人生の選択を機に、

人生の道を選ばなければならない。


でも全部を完璧になんてできません。