今朝の元旦の日経の九州特集で、少し取り上げていただきました。

 

新型コロナの感染で、社会は大きく変容し、私たちの価値観も大きく変化したと思います。私たちは安易に外出できなくなり、仲の良い友人や家族とすら交流がこれまでのようにできなくなりました。(良し悪しではなく)「生活に絶対必要なもの」と「そうでないもの(便利さや豊かさを求めて存在するもの)」とが区別された気がします。そして、社会構造の変化と共に徐々に退潮の傾向にあった産業をことごとく責め立て市場からの退場を加速させました。

 


1999年、32歳の時に僕は九州に戻ってきました。12歳から長く東京に住んでいましたが、郷土愛が根強く残っていたからです。当時は「数年九州で人脈をつくっておいて、また、東京に戻り、貯金でもして、老後に阿蘇のふもとで暮らせればハッピーだな」という程度の気持ちで戻ってきたわけですが、結局、それからずっと20年以上九州を離れずに暮らしています。なぜかと言えば、ここには誇れる仕事があるし、ここは暮らしやすいから。

だから、この20年間、一貫して、東京にいる若者たちにも、「我慢して東京で働く時代はもう終わったんだよ。定年まで、大きな組織でやりたくもない仕事を粘り強くやらなくてもいいんだよ」と言い続けてきました。

 

「東京で頑張るのが勝ち組だとか、東京にしかチャンスがない、情報がないと思っているのは、明治維新後の中央集権による殖産興業時代の名残(余韻・惰性)に過ぎないと思うよ。だから、むしろ自信があるのなら、九州に帰っておいで」と言い続けてきたのです。

 

でも、東京で活躍する九州出身の若者たちには、「帰る企業のイメージが湧かない」、という声が根強くあったので、日野さんとともに九州の企業情報を伝えるメディアとしてQualitiesを創りました(2020年6月)。

 

 

そして、(意欲ある若者は地方へ帰ろうという)その思いをまるでコロナは、後押しをしているかのように加速させ、多くのUターン転職の相談を受けることになりました。九州に戻るべきかどうしようかと悩んでいる若者には、強く、地方にいることはハンディキャップじゃないんだということを伝えたいと考えています。

 

8年前、2012年に発刊された「2050年の世界(エコノミスト誌は予測する)」を読んだ際、「距離は死に、位置が重要になる」という章に強く感銘を受けました。通信技術の進歩や交通手段の発達で距離は関係なくなった、でも、九州にいることそのことが大事なんだと励まされたのです。

 

確かに、オンラインでのコミュニケーションが日常になりましたが、オンラインで社会的な活動がすべて円滑に動くわけではありません。新しい人間関係を形成したり、とても重要な話し合いを行う場合には、膝を付けあわせて話し合う必要があると思いませんか。そんな話相手が身近にいたらいいと思いませんか。そこにビジネスのチャンスがあると私は感じています。



 

さて、私は、東京の高校を卒業し、九州に戻り浪人生活をしていたときに、100年前に書かれた(講演された?)小泉八雲の「極東の精神」の一節に出会い、九州精神というものに触れ、これだ!と衝撃を受けました。自分も九州の人間なんだと強い誇りを感じたのを昨日のことのように覚えています。

IT技術の進展で、世界は小さくなっています。この国の将来は、若い人たちの一歩踏み出す勇気にかかっていると思います。もちろん、そんな若者たちに負けないように僕も、まだまだ走り続けたいと思います。
 

2021年1月1日 ㈱ドーガン 代表取締役 森 大介

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極東の将来 “THE FUTURE OF THE FAR EAST” <Webから抜粋> (1894年1月27日)
ラフカディオ・ハーン Lafcadio Hearn
  
 さて、諸君にこんなこと――単に私自身の考えだけでなく、私のとうてい及ばない聖賢たちの考え――を述べているうちに、私は「九州魂」といわれているものについて考えてみた。私は質素な習慣と誠実な生活は古来熊本の美徳であったと聞いている。もしそうであるなら、将来、日本が偉大な国になるかどうかは、――九州魂あるいは熊本魂、――すなわち素朴、善良、質素なものを愛して、生活での無用な贅沢(ぜいたく)と浪費を嫌悪する心を、いかにして持ち続けるかどうかにかかっているのだと申し上げ、結論にしたい。

-- Well, in making these remarks to you, -- representing not merely my own ideas, but those of wiser and better men than I can ever be, -- I thought of what has been called "the Kyushu Spirit". I have heard that simplicity of manners and honesty of life were from ancient time the virtues of Kumamoto. If this be so, then I would conclude by saying that I think the future greatness of Japan will depend on the preservation of that Kyushu or Kumamoto spirit, -- the love of what is plain and good and simple, and the hatred of useless luxury and extravagance in life.

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