さゆあめのセルフトーク

さゆあめのセルフトーク

喜怒哀楽豊かでピュアな表現者しし座(月星座)

好きなもの好きなこと
踊ること。
習い事。(仕舞のお稽古はじめました)
伝統武術、ヨガ、着物、編み物、手抜き料理、人間分析、
✡️人生のマジックアワーを
謳歌満喫したい



去年の秋のこと。

ヨガのレッスンの後

同じ方向へ帰る生徒さんの一人と一緒になり

歩きながら、話が弾み、通りすがりのカフェでお茶でも、という流れになりました。


ほとんど初対面です。年は私よりうんと若い。

通っている医院のことなどでお互い情報交換するような話になったのですが


明けっぴろげなのか、

「えらくプライベートなことまでお喋りする人だな」と感じながら


まあ、警戒心強い人よりは好きだけど、。

くらいの気持ちで一時間ほど話しました。


驚いたことには

そのなかで


「一昨年愛犬が亡くなって、メンタルを病み、心療内科でお薬をもらって飲んでいた」


なんて話まで出てきました。😱


私も思わず

「お薬って。。抗不安薬とか?」と聞いてしまいました。


「色々もらったけど、そうそうメイラックス、とか」


いやあ。。おどろいた。

犬も歩けば。。どころじゃないな

こんな行き当たりばったりでも

メイラックス服用者にぶち当たるのか。。😨


「やめるとき、なんともありませんでした?」


自分の事だけ包み隠すのもイヤなので

減断薬体験を少し話す。



あまりこちらの話には関心示さず

服用期間短かかったのか

あるいはまだ飲んでるのか、

特になにかあったような様子もない。


メール交換などして別れ、じきに私はヨガ教室をやめてしまったので、会うこともメールすることもなかったのです。


年明けてお正月にはじめて

あけおめメールを送ってみました。


すると。おめでとうの挨拶どころか

「冬から鬱状態になり、ずっと引きこもりの生活で、ヨガもお休みし、家事もなにも出来てません、人とも会ってません」というような返信。


鬱のしんどさは擬似体験ずみの身なので

「しんどいときは、返信などは気にしないで。でも連絡が出来るようになった時は、お力になれることがあるかもしれないので遠慮なくね」というような返事を返し


そのまま音信は途絶えていました。



半年後のごく最近になって


彼女から、元気になったので、またあのカフェでお茶しませんか?というメールが来たのです。


OKしました。


そしたら、さらにこんな文面のメールが。


「今断捨離をしてます。食べきれない食材がたくさんあるので、よかったら貰ってもらえませんか?今度会うとき持参しますので」


食材の内容聞いて驚きました。


賞味期限半年も過ぎたポン酢!🥵


あとの数件も、賞味期限切れてるか、間近のもの。



「私は一人暮し。期限までに使いきれません。それに、賞味期限きれたものは捨てましょうよ!」と

返したのですが


ひとつだけ切れるまでまだあと数ヶ月の

ベルのジンギスカンのタレがある、と

いうので


それを貰うことにしました。


娘に話すと、

「失礼なひとやね。本来なら捨てるものを、1度だけ会った相手に勧めたりする?。。私なら、お茶の誘いから断るわ」


たしかに。。

と思いつつも、とりあえず会うだけは会うことにしました。元来、人とつきあうのは好きなので、単純に、会ってもみたかったのです。


久しぶりに会った印象は、元気そうでした。

着てるものも若づくりで

肌も艶々してニコニコ笑っていた。


けれど。。

座ったとたん


まずは近況報告でもしようとした私の言葉を遮って、

なんの前置きもなく唐突に

半年前に遡った自分の病状の経緯を

なだれをうったように話しはじめたのでした。



(おいおい、ここは診察室か?私医者でもカウンセラーでもないんだけど。。)



昔の私なら

「そっか、そうだったの、大変だったんやね」


なんて合いの手入れてたかもしれない。


この時は、耳は傾けても、

頷くことも、相づち打つことも、しませんでした。



誰かに聞いてほしい気持ちはわからないではないが。。。


具体的相談ごとなら、何か言えるかもしれないけれど。

もう治ったんじゃなかったの?





私は、抱えきれない闘病体験はすべて

ブログに吐き出したよ。

聞いてくれる親しい人がいなかったからだけど。

いなくて、人を巻き込まずにすんで

よかったと思う。



親友だと勘違いするような

関係でもないよね。会うの二度目。


もしかして、誰でもいいんでは?


いやいや

明らかに距離を保ってくる人には

まさか雪崩をうつようにしゃべりかけたりしないでしょうから

誰でもいい、んでも、ないね。



私だから、いいの?

ひとのレセプターにでもなるタイプと、

やはり、値踏みされたのか。

「お力になれるかも」のメールを読んで


聞き役買って出たと、解釈されたのか。




賞味期限切れは、テスト?やはり伏線?

ありがたくないものでも受け入れるかどうか。


とまあ、被害妄想かもしれないことも

頭をめぐる。



午後のまったりティータイムとは思えない

病気の話以外でも、私の知るよしもない親族とのいざこざの話など、延々と続くので


さりげなく世間話に転じようと


料理の話題を振ってみた。


彼女、以前から料理が得意で、

大好き、と言っていたので。


私「ねえ、この辺りでお魚やさん知ってたらおしえて。なかなか見つからないの。新鮮なのまるごと一尾買ってみたくって」


彼女「へえ。。。。お魚捌けるんだ。でも一人暮らしなんでしょ?スーパーの切り身で充分じゃない」


私「まあね。。。」



彼女「最近わたしレトルトに凝ってるの。麻婆豆腐とか、美味しいよ、中村屋の食べたことある?」


私「あるよ。あそこのは、甘味が少なめやね。でもうちは、たいてい手作りしてしまうのよ。簡単バージョンだけどね」


彼女「甘味がほしいなら、レトルトに砂糖加えればいいじゃない、手作りなんかしなくても」


(なんか、ひっかかるねー。私とて料理苦手という人になら手作り料理の話なんかしないんだけど)




そのうち

ふっと隣の席の子供に目線を据えながら


「たとえば、わたしさ、衝動的に人を殺めてしまうんじゃないか?とかこわくなるのよね自分のことが」



怖いんですけど。。。こっちが。



でも



「えーーっ!なんてことを。。そんな変なこと言わないで!」


などと

茶番台詞の応酬は、できないわたし。


その恐れって。本音じゃないね。

悪趣味の台詞だよ、かまってちゃんか。


どうでもいいけど

私に言うてどうせよと。


隣の席の人に聞こえたら

困るなあ。。


そろそろおひらきにする潮時か


という空気になった矢先。


彼女

えらくパタパタと扇子で顔を扇ぎだして

黙りこくってしまいました。


「暑い。まだこんなふうに体温調節がよくおかしくなるの。そうなったら、とてもしんどいの。。」



汗もかいてはいず、顔色も悪くなく、過呼吸発作的なものもなさそうなのだけど


何かを、必死で耐えてそう。。


メンタルが正常でないときの

体調不良の苦痛は、

見た目ではわからないもの。

ということはイヤというほど理解できてしまうので

騒がず

冷たいお水を汲んで来たり

タオルを絞りにいったり

してあげてたのですが。


お店出ましょ!と彼女、やにわに立ち上がり

外の木陰のベンチに場所を移しました。


動くほうがいいらしく

しゃがんだり

ストレッチなどしています。


体は元気そうでもやっぱり

まだ人と話すのはしんどいんだろうな。

配慮するべきだった。

長話しすぎた。。と私も反省。


ここで私と早く別れて一人になったほうが

この人ラクなのかな?と思いつつも

しゃがみこんでる人を尻目に

ほっといて立ち去るわけにもいかず。

しばらく様子をみていたとき


「いま一番わたしの頭のなかをめぐってるのはね。。。」

と彼女が言い出します。


「こんなふうだと、三回目はもうないだろうな、ってことなの」


つまり、

今日は二回目のお茶、できたけど

迷惑がられて、

三回目は誘っても、断られるんだろう



ということらしいのです。


昔の私なら、

「そんなことないよ。私は全然迷惑なんかじゃないから、そんな心配しないで。また調子のいい日にはお茶しましょうよ」


と言ってしまったかもしれない。


この時は

「今そんなこと考えなくていいんでは?」

としか言いませんでした。



あれが、心の声、ならば

わかります。私もそういう気持ちを持ったことはあるから。


しかし、心うちだけで思うのと

相手に面と向かってその言葉を発するのとでは

意味合いがかなり違ってきませんか。



こうした場面で

相手になにか言える状態なら


たとえ本人も不測のことであったとしても



「こんなことになって、おどろかせて世話かけて、ごめんね」


もし相手に対してなにか言うなら

これ以外にないだろう


というのが、私などの感覚で。




これに懲りてこの人今後

もうつきあってはくれないだろう、という

予測失望は

自分だけの問題。


口にしたのは、独り言の

寂しさの吐露ではないでしょう。


相手に向かっていう場合

それは、返事の誘導

ひいては

操作になります。




そこが狙い目じゃないかとも勘繰ります。


「そんなことない、また会いましょうよ」

自分の気に入る、思惑どおりの言葉を

相手に言わせようと目論んでいるのではと

疑うわけです。


病気には

人は寛容になります。

病人にむち打つようなことをいう

人は、まずいません。


少なくとも

次がない理由を、病気のせいにしておいたら


自分が仮に拒絶されても

ひどいのは

病人を切り捨てた相手、ということにできます。


自分を、かわいそうな立場、にできます。


相手が離れていく本当の理由、にも

目を背けることができます。


ほぼ無意識なんでしょうけどね。



こういう言い方をする人の願望とは


お茶に付き合ってほしいことではなく


相手に

自分の思い通りの言動をさせること。

それがメインのように感じます。

(彼女だけのことでなく、これまでの対人体験から)



具合が落ち着いたのを見て、そこで別れ

あとから

メールを入れました。

やはり体のことは心配だったので。


「その後大丈夫ですか?お茶も、リハビリの意味もあったんですよね。つい失念してお喋りしすぎ、私もうかつでした。回復には時間が大事と思うので焦らずにゆっくりね」


スルーでした。


メールも読めない、打てないほど

また悪化したのか

突き放されたと感じたのか

それとも


思い通りの相手でなかった、と

むこうが私を切り捨てたのか



今回のことでは


過去の自分も浮き彫りにされました。

私も一昔前は、きっとこんなだったかもしれない。


家庭問題で孤立無援のとき

ベンゾの常用離脱時


たまたま、お茶した友人つかまえて

何やかやとと自分の辛さを

ぶちまけていたこともあるのです。


聞かされる相手の立場や気持ちを

考慮するゆとりを持っていませんでした。


(ベンゾショックのときは、むしろ人と会うこともできなかったので、他人に迷惑かけずにすんだのが幸い)



彼女も向精神薬から解放されたら

もしかしたら、言動はぐんと変わるのかもしれないのかも。。。




彼女自身の予測どおり


おそらく今後私は、この人と


三回目のお茶会をもつことはしないです。



どこで、決めたか、といえば


それこそ「三回目。。。云々」を

口にした時です。


理由は上述の分析。


最も苦手なのは依存されること。


皆さんは、こんなとき

どの時点で、距離置くものなのでしょうか?


娘のように

「賞味期限。。」の段階が正解なのかな?



でも



正しく賢明で、健全な人間関係を作っているひとは


人や、事例で、振り分けるのではなく


いつでも、誰に対しても

適度な

ディスタンス、空間を


息するように自然に保っているのではないか、と。


推測します。


それならたまたま袖すり合った相手が

依存気質であろうがなかろうが

自分の身に、なんの支障もないのですよね。



「空間」に凭れかかることはできないわけだから。







私も、距離のとりかたを失敗しました。