1995年1月17日に起こった阪神淡路大震災。


ここ徳島でも大きく揺れましたが、テレビでその惨状を知るまでは、そこまで大きな地震だとは思ってもなかったです。


今でもテレビでその日が近くなると映像をみますが

そんな時、いつも旦那は言っていました。


「あの時の女の子、元気かなぁ」って。



旦那は子供の頃から阿波踊りのグループに参加していて、それが近所だったので、踊りがなくても年中集まって顔を合わせていたそうです。

とても結束が強く、地震発生後すぐにみんなで炊き出しのボランティアに行ったそう。


大きな鍋でおでんを作って行ったり、近所のスーパーに協力してもらって大きなお釜でご飯を炊いて貰い、カレーといっしょに持って行ったり。

そのボランティアは数回に渡って続いたそうです。


今ではその時筆頭に立ってた人も高齢になり、その頃と同じ覇気はないですが

ボランティア先に視察に来た当時の官房長官がスーツで現れたので

「その格好で何ができるんや!」

と大勢の前で怒鳴ったという、その人らしい武勇伝に笑ったり。

旦那はときどき思い出しては私に話してました。



先日の週末キャンプで、またその話をするので、淡路島一周して帰るんだったら寄ってみたら?と提案し、行ってみることに。



ボランティアした当時の小学校へ到着したら、

さらにいろいろ思い出したようです。



旦那の言う「あの女の子」はきっともう30代半ば。

ボランティアが途絶えても、一度徳島へ来てくれたりして、しばらくは交流が続いていたんだそうなんですが、それも自然と途絶えてしまったようです。



「“あの女の子”がどうしてるか知りたかったら

ナイトスクープに依頼したらいいん」


って私は言うんですけどね。

ははって笑って流されます。


でも今回「その場所」に行けたのは

嬉しかったんじゃないかな。



私もますます“あの女の子”が気になりますけどね笑