デジタル大辞泉「暗黙知」の解説

あんもく‐ち【暗黙知】

 主観的で言語化することができない知識。言語化して説明可能な知識(形式知)に対し、言語化できない、または、たとえ言語化しても肝要なことを伝えようがない知識のこと。ハンガリーの哲学者マイケル=ポランニーの提唱した概念。→形式知1
 ナレッジマネージメントにおいて、社員や技術者が暗黙のうちに有する、長年の経験やに基づく知識。経営学者、野中郁次郎の定義による。→形式知2
[補説]1は、具体的には自転車の乗り方や知人の顔の区別などがある。いずれも自転車を乗りこなすことや顔を区別することは可能であるにもかかわらず、どのように自転車を操作するのか、どのように他の顔と区別するのかを明示的に言葉で語ることはできない。そこでポランニーは「自転車に乗れること」や「顔を区別できること」を「知っていること」と見なし、その意識下の認識を暗黙知と呼び、形式知の背後に存在する知識と位置づけた。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

 親鸞聖人

 

悪性さらにやめがたし  こころは蛇蝎のごとくなり  修善も雑毒なるゆゑに  虚仮の行とぞなづけたる

(「正像末和讃」『註釈版聖典』六一七頁)

現代語訳

悪い本性はなかなか変わらないのであり、それはあたかも蛇やさそりのようである。だからたとえどんなよい行いをしても、煩悩の毒がまじっているので、いつわりの行というものである。

 

浄土真宗本願寺派 総合研究所HPより引用

 

 

 

以下は、浄土真宗東本願寺派 本弘寺 HPより引用

 

親鸞聖人はご自身のお心を深く深く見つめられて正像末和讃の巻尾に悲嘆述懐和讃を示されました。いくつか紹介しますと
「悪性さらにやめがたし こころは蛇蝎のごとくなり」
「無慚無愧のこの身にて まことのこころはなけれども」
「小慈小悲もなき身にて 有情利益はおもうまじ」
とお示しくださっておられます。


「悪いことだとわかっていても止めようとは思わないし止められない。心は蛇や蠍のように恐ろしい毒気を含んでいる。」
「悪いことを悪いとも思わず、それを恥ずかしいとも思わない。私のどこを探しても真心など見つからない」
「人を哀れみ悲しむ心など持ち合わせない私です。人を救おうなどと思う心はまったくありません」
簡単に言うとこのような意味になります。

 

 

 

 

 

2022/3/28 月曜

2345 クシム