「代筆屋」 辻仁成 | 「非現屋」

「代筆屋」 辻仁成

罪名、私文書偽造。動機、恋心。

 年賀状以外に、他人に当てた手紙を書いたためしがない。
いや、正確には書いたことはあるんだけど、渡したことがな
いのだ。手紙を書くきっかけはまぁ、それぞれ。何か失敗を
して謝らなきゃって時とか、当時の恋人をびっくりさせよう
とか。

 そういう度に紙とペンを取り出してくるんだけど、何を、
どう、どれくらい書いてもイマイチしっくりこない。そうする
うちに手紙はどんどん長文になっていって、結局、全部書
き直し。2、3日そんなことを繰り返していると、当初の想い
とはウラハラに手紙は机の奥に置きっぱなし。

 結局のところ、この原因は「考えすぎ」ではないかと思う。
侘び状のお返しに「何、白々しいこと言ってんの?」、サプ
ライズレターのお返しに「似合わない」と言われるのを恐れ
る類の。あなたの机にもありません?「いつか出すから」
って、捨てられない手紙。

「ありがとう。嫌いです。」
 ―――辻仁成氏が代筆したお別れレターより

 そんな捨てられない手紙を、もしかしたら完成させてく
れる人がいるかも知れない。名前は辻仁成。うそのような
本当の話だけど、彼は「代筆屋」をサイドビジネスでやっ
ていたらしい。

 代筆屋―――手紙の代筆を行う人。手紙といってもラブ
レターから別れの手紙から励ましの手紙までさまざまで、
本書ではそんな家業をしていた時代、著者が扱った仕事を
10篇ほど紹介している。

 他人に書いてもらってまで手紙を出そうというのだから、
動機は尋常ではない。時には相手を知るために素行調査を
し、手紙にどんなレトリックを施すかを考えめぐらせなけ
ればならない。

「では、この65年間の思い出を今から全て
 私に語ってください。」

 ―――辻仁成(離婚を決意した88歳の老婆に向かって。)

 代筆屋の面白いところは、言われたとおりに書けば良い
だけではないということだ。例えば65年間付き添った夫
との別れの手紙を依頼した老女の場合、動機が見えなかっ
た。そこで、思い出を全部語ってもらい、逆に離婚を思いと
どまらせることに成功する。その後に辻氏の粋な計らいが
あるのだが、それは読んでのお楽しみ。

 また、病床に伏せる依頼人の母と、事故死してしまった
息子に成りすまして手紙のやり取りをした時には、最後に
思いのかけない出来事に遭遇することになる。

 大切な手紙を受け取った時みたいに、こころがほっと
温かくなる。これはそんな本だ。