母には

「嘔吐って段々しなくなって治るものなの?」とか

「どういう感じに止められないの?」とか

「そんなに大変だった時、心の支えは一体どうしたの?」


とか色々聞かれたりしました。


嘔吐は拒食よりある意味危険なこと、半年もすれば「飢餓の状態」が深刻になって来て、止めたくてもきびしい状態になってしまうこと。安易に嘔吐するのはとても危険だという話をしました。



母はそれから

「あの人の家族はあんなに痩せて当然気付いてるわよね?何も言わないのかしら?」

「仕事をしてるような雰囲気ではないけど、あのままで心配じゃないのかしら?」
と言っていました。



私は
本人が思うまで、周りは何もできないけど、放っといて治らない病だということを話しました。休養が必要なことも。。



「摂食障害に家族がなったら、どうすればいいのかしら?」

と聞かれて、何だろう?って考えてしまいました。


逆に
「お母さんはどう思う?」
ときいてみました。




そうしたら
「きっと時間をかけて、一緒に生活のやり直しね。」とのことでした。


生活=生きる
そういうことかもなぁ、って私も思いました。



母に色々聞かれて、
以前知り合った拒食の回復中の方のことばも思い出しました。


「時々食べすぎる日もある。今はそういう時期」
ていう淡々とした言葉でした。


知り合った回復者の方達はみんな、それぞれに食欲を解放していて、それを受け止めて来ているように感じました。食を肯定しているので、過食とも違う感覚。


最近ある方にプチメをいただいたりして、自分の昔も思い出しました。


いつからか食べ過ぎることを含めて体が安定してきて、「今はそういう時期なんだ」って自然に受け止めるようになったこと。

そのうち食を心から楽しみ、治って行ったこと。


よく摂食障害の治療は
「焦らないで」とか「時間がかかる」とか言うけど、何だか曖昧で聞き流していた気がしました。



でも母に何を理解しておけばいいの?か聞かれたとき



心身の飢餓をゆっくりと満たすのに必要な時期があって、

いつか当たり前に満たされる時がくる


ってことだ、って改めて思っていました。


家族に出来ることって、それをリアルに共有できるようにすることかもと思いました。。


正直 妹の心配があってかなり熱心に摂食障害の話をしたりしたのですが、

最近はそんなことから自然に心のことや、単純に生きるってこと、ちょっとしたことを話したりもするようになりました。


母とこんな話が静かにできる日が来るとは正直思いませんでした。母も変わっていくのでしょうね。。