たびたび両親と会うようになり、何を話したかといえば、


自分のことはほとんど何も話しませんでした。理解しがたいかもしれませんが…なにか難しいものがありました。


話すのでもなく、集まって何をやるかといえば、何かを食べたり、見にいったり…でした。


そんな「会うための目的」を作り、 こなしてバイバイ…の繰り返しでした。それでも毎回何かしら感じて帰れればと思いました。


父と母、別々に会ったときは、私はお互いへの感謝と思いやりを持って欲しい…とばかり話していました。

でも「感謝」や「思いやり」、当たり前すぎる言葉が二人にはリアルに思えないようでした。

3人で会うときは、二人とも自分にばかり意識が行っていました。お互い

~して欲しい
なんで自分が…
の粗さがし・固い状態に入っていました。 でもそれも必要だったのかもしれません。


それまでは、そんなこと自体も思わず、まったく二人の会話も無かったようです。毎日顔を合わせてさえ。

あとからようやく飲酒が繋がりを錯覚させ、ほんとうは心が触れ合う時間をつぶす結果になっていたことに気付いたんです。


二人は私のために遠くまで会いに来ているだけ、と思っていたかもしれません。

でも本当は違いました。私はやめると言いながら二人が飲酒していたのを知っていました。


私に会いにくる時だけは、酒を抜かざるを得ず、往復の車の数時間、二人きりで話さずを得ないと知っていました。



両親もなんでだか、3人で会い続けることの必要性を感じていたのかもしれません。


何だかわからず、来てくれた両親には感謝の気持ちでした。



少しずつ何かが変われば…と思いました。