摂食障害が遠くなってから、心のことをよく思うようになって


何のめぐりあわせか
今まで気付かなかったことを見るようになったり、そんな問題を相談されたりする機会に恵まれました。


いじめやストレス、病、死…について考える事は特別でも忌むべきことでもなく、身近なんだと思い始めただけかもしれません。


それでも一番はじめのキッカケはありました。伯母との交流です。


以前書いた私の大切なイトコの母親、母のすぐ上の姉さんです。


伯母はイトコがお腹にいるとき離婚し、女手ひとつでイトコを育てあげました。情に厚く、おおらかで明るい人です。


イトコが二十歳近くになったとき、伯母は再婚したのですが、相手の人は生い立ちから心に大きなキズを負っていました。


伯母もそれを知っていて再婚したのですが、トラウマから予想もしなかった一触即発の修羅場をふんで来たようです。


伯母が私のところに度々たずねてくるようになって、そんな話を初めて聴きました。


それから二人でいろいろ調べたり、彼のことをきっかけに親子関係や人間の心について考え始めました。


伯母は彼の心を楽にしてあげたい一心でした。どうしても彼を病院に連れていくことができない理由もあり、一人でがんばっていました。





思い出すと、私も摂食障害の時は自分が病んでいる感覚もなく、夢のなかにいるようで、


自分の都合の良いとき以外は、なかなか大切な人の気持ちにさえ立ってみたり思いやることができませんでした。食や自分の思いに支配されていました。


そんな時、よけい自分にばかり意識が行ってしまうこと・その仕方なさ・自分を見つめ直す必要性を体験していたので、彼は余計にそうなのだろうな、と感じました。

伯母は相当大変な思いをしてるだろう。。


それでも、伯母はいつも見返りなんてどうでもよく、彼が楽になれば…という思いだけのようでした。







心を病む人に寄り添う人の大変さ。


伯母が彼に同調して一緒に病んでしまいやしないかと心配しました。


大切な人の長丁場に寄り添うとき、私の周りにいた人たちのように「受けて、心中で流せる」ってなかなかないのかもしれません。


つきはなす冷酷さでもなく、「相手に寄り添う自分」を守るために必要な冷静さ・鈍感さみたいなもの。。

心が一緒に揺れて壊れてしまっては、支えることもできなくなるか。。離れていくでしょう。



伯母はというと、
やはり彼と一緒になり悩んだあげく、どうにもできない自分もくたくたになり、離婚も考えたそうです。そんな時期を乗り越えて、ある日、精神科の先生に相談したそうです。自分の無力さも訴えました。


でも、そこの先生に


「あなたがどうにかしてあげようと思いつめなくても、あなた自身が彼と生活を続けられること自体が彼の救いになってるんですよ」

とひとこと言われたそうです。
そうしたら、とっても心が楽になったそうです。



なんだか先生のおっしゃった意味がわかる気がしました。


苦しんだり、心のみにくさを流しながらでも、生きて生活を続けられたこと自体が、自分をこの先も支えてくれそうな気がしています。たぶん、傷が深いほど時間はじっくりとかかる、その方があとあと頑丈になる気がします。周りの優しさや辛抱強さなしでは難しいこと。。


ちょうど今日、身近で心の病やゆがみの話になって…相手に解らないように優しくすることや、直接的ではなく接すること、もっと大きな気持ちでとらえること、を改めて考えさせられました。


もし自分の大切な人の心が病んだら…そんな見返りを求めない強さを持てるかな。




優しさや愛で病は癒せない…と言いますが、伯母の見返りを求めない優しさで、彼は明らかに変わって行きました。


私も今は愛なしでは生きていけそうにありません。といっても恋愛やら大げさなことでもなく。自己愛だけでは生きられない、とただ思います。



懐疑心や先入観に支配されずに色んな人と関わって生きて行きたい。そう単純に思えること自体が幸せな気もします。



これも誰かの優しさが私を変えてくれたお陰なのでしょう。



いま心の病に寄り添われている方にも感謝の気持ちでいっぱいです。


貴方と大切な人が、心から笑える日が来ますように。