家族について母を除いて話し合ってしばらくして、妹から手紙が来ました。



手紙には

「家もメチャクチャになったり、前みたいに夕食がないこともなくなりました」


「わたしも悲しい気持ちになる事も減りました」


「お父さんもお母さんもまたお酒をぼちぼち飲み出しました」


「今度親戚みんなで旅行に行きます」


「お姉さんが旅行を断ったのを聞いて、やっぱりな、と残念でした」


「みんなで心配もしています」



・・・・・


急に変な事を言いだした私の心配か。。


すぐに終わってしまった断酒でした。



いつの間にか、家族は私が母への恨みで酒をやめろと言っていると解釈したようです。


そんなふうに思われてもいいや、とも思いました。



手紙を読んだあと母に電話しました「また飲んでるんだってね?」強い口調で言った気がします。


「飲まない時間どうしていいかわからないのよ」


普段は何を聞いても返事もまともにない母が、そんな事を言いました。




私の調べたところでは、アルコール中毒の人は断酒して素面に入ってから2・3年で心の気付きがある、とありました。


酒で糖尿が出ているばあい、酒をやめたとき糖分を欲する事との戦いもあるらしいです。


心身の変化が摂食障害に似ている気がして、確かにそうなんだろう…今は先を説明するより取り合えず断酒なんだろう…と感じていました。



それでも、本人の気持ちとまわりの協力がなければ、心配どおりうまく行きませんでした。


まわりは断酒はおろか少しなら良いだろうという考えでしたし、母の姉たちは母にも私にも飲ませて変な仲直りをさせようという感じでした。


母はそのとき「なんで酒を止めなきゃなんないの?」「なんで私ばかりが?」と思っていたそうです。



それは、あの話し合いのあと、父は家に戻ったら、やっぱり母と話し合えなかったからです。母にいきなり酒を止めろとだけ言ったようでした。


ああしろ、こうしろ、指示しかできなかったのです。



しばらくそっちには帰らない…そう言って1年近くが経ちました。


母が思うように酒をやめれない事にいらつき、父がはじめて母の頭を手でたたいてしまったらしい…そん話をききました。


母はそれを自分の姉たちやみんなに「お父さんにたたかれた」と言ったらしく…


妹と久しぶりに会ったとき、
「お姉さんはお父さんの味方なの?私は二人は離婚して、私と弟はお母さんにつくと言ったんだよ」と言って来て、相当がっくりしました。


誰の味方とかない。。


そのあと、伯母たちから電話がかかって来ました。


「お母さんからお酒を取り上げたら可愛そう」

「そんなこと言うなら私もうさぎとは付き合えない」


私たち家族の問題なのに。


こんなの茶番だ・・・・!!



思い出すとその時期かなり精神的にやばい状態になったようです。


幼い頃からたまたま学校でカソリックに馴染んで来たせいか、死にたい思う事や、自分を傷つける事自体を「いけないこと」として心で強く禁じていたんですが


その時期そんなタガが外れて、死にたい…ではなく


いきなり死のう、と思ってしまいました。

でも大切な人に迷惑をかけると思うと止めることができました。



死にたい死にたい…
悲しいけれど耳や目にすることがあります。


それでも、本当に死んでしまう人はそのとき何も言わないものかもしれません。そんなふうに誰かに言ったりするうちはまだ救いなのかもしれない、そうも思います。


大切な人が自分を傷付けたり、死にたいと言えばやっぱり辛くなるけど、そう言いながらでも生きていて欲しいなと思います。