食べたい気持ちと向き合って2年半して、はじめて後ろを振り返りました。見ないようにしていた体重を冷静に見たのがきっかけだったかもしれません。


それから、はじめて自分は治ったのかな?と思いました。一日中あたまの中が食だったのが、もう生活の中の一部に戻っていました。体調不良はまだありましたが、もう食の囚われに振り回されることはなく、こころが本当に自由でした。


一生なおらない。。。そう感じていたことを思うと、案外早く楽になった気がしました。生きること以外のこだわりを捨て、無我夢中だったこともあります。


湧いてきた感謝の気持ち。
自分ばかりに向かっていた意識が外に向きました。


同時に罪悪感を感じました。まわりに何もしてない自分。これから恩返しをしなければ。。

誰かの役に立ちたい、心のことを勉強して誰かのためになれたら、と思ったりしました。


そのころ、以前逃げ出した摂食障害のサイトにまた参加しました。


その時はもう気持ちが引っ張られる感じはありませんでした。


拒食的な心境にもどらない安心感が出来ていたからかもしれません。


ところが、今度は悩んでいる方に同調してしまい、心配で夜一睡もできない日がありました。嘔吐や拒食的心境がまだ生々しく記憶にあり、苦しさがリアルに想像できたからです。



回復中の方とも知り会い、心の事をいっぱい考えました。まるで鏡を見るようで、それは良いことだったようです。


その後やはり去りました。「自分のことばかり話す」と言われたこともあり自然と…。


色々想像すると、何も聞けも言えもせず、自分の事を話すしかなくなるのが常だったんです。


たしかに奮闘中ではないのでリアルな投稿もできない、押しつけでしかないな、と認める自分がいました。





それにサイトに参加している間、私は実生活の身近な人をそっちのけで、サイトに熱心になりました。生活が手抜きになり、いつも頭ではサイトの事が気になっていました。


感謝の気持ちが足りなくなると、それは相手にも伝わりました。身近な人を大切にできないんじゃ何もならないな…と、ある日はっとしました。身の程をこえて、また欲張りすぎでした。


その後、先生に摂食障害のことを初めて聞きました。驚いて、色んなことに感謝しました。

でも、「もう病は昔のこと。でも今は人よりも自分をもっと良くしなさい」のひと言で、病を忘れる方向に行こうと思いました。



記憶を取り出して整理したり懐かしむのではなく、もう新しい自分なんだ…という方向に。


1年くらいは一切ネットも見ず、苦しんでる人たちの事も考えませんでした。家族の問題と向き合いながら体を回復させ、身近な人や生活を大切にようと思いました。


そのうち摂食障害のリアルな苦しさを忘れて行きました。


それまでは「治ったのかなぁ」と思う自分がいましたが、もうそれすらも考えなくなりました。



摂食障害が過ぎると辛い記憶は消えてしまう…と聞いた事があります。


そんな感じでした。もちろん考えていた事や行動はよく覚えています。でも、まるで鳥になったように ふかんして昔の自分を見るようになりました。リアルな苦しみは流れて、大切な事だけが心に残りました。


ブログを書き出して、今回はどうなるのかなぁ?と思いました。初体験だし、はじめはびくびくしていました。



今度はまた違う自分がいました。人の気持ちを勝手に想像する事が余計なお世話だと思うようになった事もあります。


自分を冷たい・申し訳ない…と感じることもありました。

適当に何かで空腹を満たし、ブログを書いたり見ていること。



それでも、それは特別なことじゃない。
どんな方でも回復をたどれば、病の記憶から遠ざかることさえ必要な時が来るのでは?と感じます。

まわりと楽しんだり生きている喜びを心から感じるのは、その後にとても大切なことな気がします。




昔は人のために何かたいそうな事をしようと考えたりもしたけれど、今は特別なことじゃなく


まずは自分と身近。
すぐにできる事があれば、もう少し誰かを大切にできれば充分なんじゃないかと思ったりします。