さいきん摂食障害ではなく、あらためてアルコールのことを考えていました。。
たびたびこのことを書いているのですが、だからと言って酒を飲むことや人を嫌っている訳じゃないんです。
むしろ自分もそんな素養がある気がしていました。
実は私も酒が相当強いのです。そんな体質だからです。
強い=常習しやすい、にうすうす気付いたのか昔から一人では酒を飲みませんでした。
今も一人では滅多に飲みません。誰かと楽しむ時以外は必要にしません。
むかし家族の話になった時、私はよく母の飲酒や家事育児放棄のことを言っていました。
でも彼にいつだったか言われてしまいました。
「おまえだって会ったばかりの頃、酒の飲めない男の人なんて…とか言ってたよ?」
・・・・
そうなんです。確かに。
お酒が飲めない人が気の毒くらいに思ってる節がありました(汗)
「それにお父さんは何も言わないの?うちなら考えられないな」
その会話以来、自分のそれまでの環境を人と話すたび考え直すようになりました。
母方の親族はみな酒が大好きで、何かというと酒でした。子供の頃は足りなくなると、お酒をよく自販機に買いに行かされました。
母の兄弟も、アルコールの常習性がありました。
困ったことは、誰もそれを異常と思わなかったことかもしれません。そういうのが普通な環境に私自身もいました。
でも
「付き合いに酒を当たり前にする」
「定期的に飲まずにはいられない」
「酒に飲まれる」
そんな状況がたびたび揃うと…心や体は気付かないうちに悪循環になります。
母の事から、私自身のことをよーく考えていました。
親のひどい見本を見て、あのようにはならない。自分は違う
そう思って安心していました。
でも、自分にもやっぱり付き合いに酒を当たり前にする考えがあったんだ…と愕然としました。
若い時から友達とは限界を試すような飲み方もしていたのに冷静に気付きました。
先日薬物やアルコールの話を身近でしました。
昔は薬物や酒も常習性が認められると、中毒…とだけ言われていたそうです。
ですが、最近よく〇〇依存という言葉がお手軽に使われるようになりました。
でも医学的にはこういったニュアンスの使われ方は違う…と言われているようです。
それは、アルコールや薬物のもつ性質は置いておいて
入って行くときには
「好きでもないのにやってしまう」のではなく
「好きだ・やりたい・受け入れられる」
というのが基本だからだそうです。アルコール中毒者の多くが、中々じぶんで認めないうちに進行してしまうのかもしれません。
テレビをぼーっと見ていたら、薬物中毒の治療施設の様子をやっていました。三十代の女性で、今問題になっている薬物の中毒でした。。
禁断症状と闘いながら段階的に体から抜くようすでした。
でも薬を血中から抜いてもそこはまだゴールではありませんでした。
残ったやりたい気持ち…。
私の母も始めはただお酒が好きで強かったのでしょう。
だから何回も話し合おうとしても無理でした。自分は好きにやっているだけで、問題だとは全く認めませんでした。医者に止められたわけでもない…が決まり文句でした。
でも医者が止めるときは命のやりとり。。色んな話を先生から何回も聞いていました。
それでも私が家にいるかぎりは聞く耳をもちませんでした。子は親の加護のもとだから無視しつづける事が可能だったんです。
用意したり、飲む…
作業にただ時間が使われました。
人を傷付けた記憶も、大切な人と心から関わることもありませんでした。
聞くと、妹も昔の私と同じような飲み方をしているようです。
母と後々話し合ったとき、祖父にも酒の問題があった事をききました。自分が酒で嫌な思いをしたはずなのに、結局は同じことをしてしまったのよ…。そんなことを言ってました。
人間なぜか自分だけは大丈夫…やらない、そう思ってしまうものなのかもしれません。
たぶん妹も今そう思っているでしょう。彼女にも自分を大切にしてほしいです。
色んなことが過ぎてから、心の問題は出かたが違えど、紙一重だと感じるようになりました。自分は無関係、心は完全…と思うのはとても恐ろしい。。。
自分が気付いてないことはたくさんあるのだろう、といつも思うようにしています。
たびたびこのことを書いているのですが、だからと言って酒を飲むことや人を嫌っている訳じゃないんです。
むしろ自分もそんな素養がある気がしていました。
実は私も酒が相当強いのです。そんな体質だからです。
強い=常習しやすい、にうすうす気付いたのか昔から一人では酒を飲みませんでした。
今も一人では滅多に飲みません。誰かと楽しむ時以外は必要にしません。
むかし家族の話になった時、私はよく母の飲酒や家事育児放棄のことを言っていました。
でも彼にいつだったか言われてしまいました。
「おまえだって会ったばかりの頃、酒の飲めない男の人なんて…とか言ってたよ?」
・・・・
そうなんです。確かに。
お酒が飲めない人が気の毒くらいに思ってる節がありました(汗)
「それにお父さんは何も言わないの?うちなら考えられないな」
その会話以来、自分のそれまでの環境を人と話すたび考え直すようになりました。
母方の親族はみな酒が大好きで、何かというと酒でした。子供の頃は足りなくなると、お酒をよく自販機に買いに行かされました。
母の兄弟も、アルコールの常習性がありました。
困ったことは、誰もそれを異常と思わなかったことかもしれません。そういうのが普通な環境に私自身もいました。
でも
「付き合いに酒を当たり前にする」
「定期的に飲まずにはいられない」
「酒に飲まれる」
そんな状況がたびたび揃うと…心や体は気付かないうちに悪循環になります。
母の事から、私自身のことをよーく考えていました。
親のひどい見本を見て、あのようにはならない。自分は違う
そう思って安心していました。
でも、自分にもやっぱり付き合いに酒を当たり前にする考えがあったんだ…と愕然としました。
若い時から友達とは限界を試すような飲み方もしていたのに冷静に気付きました。
先日薬物やアルコールの話を身近でしました。
昔は薬物や酒も常習性が認められると、中毒…とだけ言われていたそうです。
ですが、最近よく〇〇依存という言葉がお手軽に使われるようになりました。
でも医学的にはこういったニュアンスの使われ方は違う…と言われているようです。
それは、アルコールや薬物のもつ性質は置いておいて
入って行くときには
「好きでもないのにやってしまう」のではなく
「好きだ・やりたい・受け入れられる」
というのが基本だからだそうです。アルコール中毒者の多くが、中々じぶんで認めないうちに進行してしまうのかもしれません。
テレビをぼーっと見ていたら、薬物中毒の治療施設の様子をやっていました。三十代の女性で、今問題になっている薬物の中毒でした。。
禁断症状と闘いながら段階的に体から抜くようすでした。
でも薬を血中から抜いてもそこはまだゴールではありませんでした。
残ったやりたい気持ち…。
私の母も始めはただお酒が好きで強かったのでしょう。
だから何回も話し合おうとしても無理でした。自分は好きにやっているだけで、問題だとは全く認めませんでした。医者に止められたわけでもない…が決まり文句でした。
でも医者が止めるときは命のやりとり。。色んな話を先生から何回も聞いていました。
それでも私が家にいるかぎりは聞く耳をもちませんでした。子は親の加護のもとだから無視しつづける事が可能だったんです。
用意したり、飲む…
作業にただ時間が使われました。
人を傷付けた記憶も、大切な人と心から関わることもありませんでした。
聞くと、妹も昔の私と同じような飲み方をしているようです。
母と後々話し合ったとき、祖父にも酒の問題があった事をききました。自分が酒で嫌な思いをしたはずなのに、結局は同じことをしてしまったのよ…。そんなことを言ってました。
人間なぜか自分だけは大丈夫…やらない、そう思ってしまうものなのかもしれません。
たぶん妹も今そう思っているでしょう。彼女にも自分を大切にしてほしいです。
色んなことが過ぎてから、心の問題は出かたが違えど、紙一重だと感じるようになりました。自分は無関係、心は完全…と思うのはとても恐ろしい。。。
自分が気付いてないことはたくさんあるのだろう、といつも思うようにしています。