こんばんは。。☆彡
ペタとコメントありがとうございます(*^_^*)
突然ですが
「うわべ(だけ)の付き合い」
皆さんはありますか?
以前どこかのサイトで、
「どうせ、人とはうわべだけの付き合い…人を信じれない」
…よく見ました。
なんか嫌なイメージのある響きですが、
私はうわべだけの付き合い、大賛成派です。
人に関しては決定的な事がない限り、上辺でもなんでもつないどく…
ことにしています。
(異性関係は違いますが)
人と心から交わる…
昔は困難でした。いつもどこかで、こわばる気持ちがあったんです。
自分の素直な気持ちをつかめない
言葉で表現するのが慣れてない・ヘタクソ
素直な気持ちを伝えるのが恥ずかしい・人にどう思われるか気にしてしまう
この3つがありました。
以前どなたかのブログで、人と接する事には「心」と「テクニック(言葉をつかう慣れ)」の2つがいる…って書いてあって、うなってしまいました。
確かにそうだったように思います。心に思いがあっても、思うだけでは伝わりませんし。余計な言葉もゴチャゴチャしてました。
社会に出てからの私は「テクニック」の方が鍛練されていったと思います。それは後々とても役に立ちました。社会生活を送るにもある程度必要ですし…。
でも、テクニックがあり、場を読めると、心なしでも人と付き合う事ができました。
「大勢の中にいても、どこにいても一人」
「友達はいても親友なんていない」
変わらぬ状態でした。
人に素直な心を見せる意味を、むかし付き合っていた彼に教えられた私でしたが、やっぱり友人にもいきなりは心を見せられませんでした。
それどころか、人付き合いなんて2の次に、食が安定するまでは、自分ばかりを見て来ました。それも大切な時期だったと思います。
自分の容姿が気になって、洋服を見に行って店員さんの態度の違いに傷付いたり…何も知らない親戚からの電話に泣いたり…
色んなグチャグチャが流れて出て、人の言葉に勝手に傷付いていました。
2年ほどして食が楽しくてしかたなくなった時、感謝の気持ちと共に、頭で考えなくても
人はどうでも(ありのまま)いい
人にどう思われてもいい
人が気に入らない事をしようが関係ない
自分は人を思いやれれば良いんだ
心底からそう変わりました。
それから、いろんな人、すれ違っただけの人とも自然に心から接することができた気がします。
私はずっと友達でいてくれた子と、その頃急に親友になれた気がしました。その子はいつも私を見ていてくれたのに、私は逃げてさえいた気がします。
失った友人何人かには、メールだけでも、年賀状でもつないでおけば良かった…と思いました。今ならきっと違った接し方、楽しむ事ができる気がするんです。
こんなふうに自分が相手に心を開くまでの困難さとは別に、
相手だって心を開いてくれなければ、一人よがりでは付き合いは成り立たない事にも気付きました。
今の友人の中にはあの頃とは逆に心を見せてくれない子もいます。
それでも、時間が経てば変わっていくんじゃないか…
そう期待しています。
だから、うわべだけの付き合い…というより
その状態は
いつか心から接することの予備段階
みたいに思っています。
読んでくださりありがとうございました。
おやすみなさい☆彡
ペタとコメントありがとうございます(*^_^*)
突然ですが
「うわべ(だけ)の付き合い」
皆さんはありますか?
以前どこかのサイトで、
「どうせ、人とはうわべだけの付き合い…人を信じれない」
…よく見ました。
なんか嫌なイメージのある響きですが、
私はうわべだけの付き合い、大賛成派です。
人に関しては決定的な事がない限り、上辺でもなんでもつないどく…
ことにしています。
(異性関係は違いますが)
人と心から交わる…
昔は困難でした。いつもどこかで、こわばる気持ちがあったんです。
自分の素直な気持ちをつかめない
言葉で表現するのが慣れてない・ヘタクソ
素直な気持ちを伝えるのが恥ずかしい・人にどう思われるか気にしてしまう
この3つがありました。
以前どなたかのブログで、人と接する事には「心」と「テクニック(言葉をつかう慣れ)」の2つがいる…って書いてあって、うなってしまいました。
確かにそうだったように思います。心に思いがあっても、思うだけでは伝わりませんし。余計な言葉もゴチャゴチャしてました。
社会に出てからの私は「テクニック」の方が鍛練されていったと思います。それは後々とても役に立ちました。社会生活を送るにもある程度必要ですし…。
でも、テクニックがあり、場を読めると、心なしでも人と付き合う事ができました。
「大勢の中にいても、どこにいても一人」
「友達はいても親友なんていない」
変わらぬ状態でした。
人に素直な心を見せる意味を、むかし付き合っていた彼に教えられた私でしたが、やっぱり友人にもいきなりは心を見せられませんでした。
それどころか、人付き合いなんて2の次に、食が安定するまでは、自分ばかりを見て来ました。それも大切な時期だったと思います。
自分の容姿が気になって、洋服を見に行って店員さんの態度の違いに傷付いたり…何も知らない親戚からの電話に泣いたり…
色んなグチャグチャが流れて出て、人の言葉に勝手に傷付いていました。
2年ほどして食が楽しくてしかたなくなった時、感謝の気持ちと共に、頭で考えなくても
人はどうでも(ありのまま)いい
人にどう思われてもいい
人が気に入らない事をしようが関係ない
自分は人を思いやれれば良いんだ
心底からそう変わりました。
それから、いろんな人、すれ違っただけの人とも自然に心から接することができた気がします。
私はずっと友達でいてくれた子と、その頃急に親友になれた気がしました。その子はいつも私を見ていてくれたのに、私は逃げてさえいた気がします。
失った友人何人かには、メールだけでも、年賀状でもつないでおけば良かった…と思いました。今ならきっと違った接し方、楽しむ事ができる気がするんです。
こんなふうに自分が相手に心を開くまでの困難さとは別に、
相手だって心を開いてくれなければ、一人よがりでは付き合いは成り立たない事にも気付きました。
今の友人の中にはあの頃とは逆に心を見せてくれない子もいます。
それでも、時間が経てば変わっていくんじゃないか…
そう期待しています。
だから、うわべだけの付き合い…というより
その状態は
いつか心から接することの予備段階

みたいに思っています。
読んでくださりありがとうございました。
おやすみなさい☆彡