ずっと付き合っていた彼を失って痛い目を見たことで


心を素直に見せる意味と自分と人の心の境目に自然に気付いた私でした。頭より心で。


でも、まだ重要なことにも気付いていなくて、そのあと摂食障害になった気がしています。


食が安定して、落ち着いて来てから自分の心を意識して客観視するようになりました。心のねじれ…





私にはかなり不必要な(ネガティブ)思いがありました。





その1つは
人の言葉や行動を

現実・「ありのまま」だけで受け止められない事です。



目の前に起こってもいない

実際相手から聞いてもいない

いらない想像力…が働く


ことです。


って言うとヒドイ妄想…みたいに思うかもしれませんが(行きすぎるとやっぱり妄想かな)


皆さんはありますか?

人の1つの行動や言葉だけを受けて、

「間違ってる」とか
「~に違いない」
「~思われてるんじゃ」
みたいに想像が膨らんでしまった事・・・・



これが私にとっては、要らない想像力の1番だった気がしています。


この人こんな人かな、とか


こんなふうに考えてるんだろう…とか

いったい何を考えているんだろうか…(これが最高に無意味だったかな)


心を素直に見せられず

言葉で問いも伝えもせず

気付かないウチに想像と観察だけを重ねていたので、

いつの間にか人の性質やパターンを読むことに長けて来ました。経験が増えるとかなり当たる確率もあがった気がします。


人を分かった気になる…先入観です。


摂食障害を抜けた時は、自分も、人も、ありのままで良い!…と自然に思えるようになっていたのですが、


身に付いてしまった人を察する力を、思いやりの方に使おう…とした事もありました。


でも、それもしばらくして止めました。


いずれも実際には有るか無いかも解らない決め付けだと気付いたからです。


他人の領域を侵す…今の私にはタブーです。


人がどう考えてどう行動するかを想像して、もし当たっていても、あまり生きる事を楽にするには意味の無い事だったと思います。


そういう想像力を働かせていた時、言葉も会話もいりませんでした。自分の中でふくらませば良いだけでした。


それが当たり前のようになっていた時、本当に無意識にでしたが、自分自身にも人からの想像力を求めていた気がします。


言葉にしてないのに(状況から)解って欲しい・解ってくれない…という気持ちです。



それか、人に対して

~思われてるんじゃないか?と気にしたりする原因にも成りかねなかった気がします。(自意識過剰になる)



今はあまりないんですが、人に対してどうしても悶々とした時は、相手に話し掛けてみます。


それまで、何かを勝手に決め付けないことにしています。話し合えないなら、心でも棚上げします。




良い・悪い・許せない…より、どうしたら相手も自分も楽になるか?が重要な気が今はしています。


先入観は恐かったです。
今も出来るだけ持ちたくないです。


人は変わります…。いつも素直な気持ちで、ありのままの相手を見ていたい。



いろんな想像をするのを止めたら、疑問や不安を感じた時には自然に相手に「言葉で伝える・問う」ことが必要になって来ました。


会話、
人と自然に関わること
の必要性でした。



特定の相手に対し、ひどかった時は、自分の中で相手についてを想像して、結果まで行き着いていた時もあった気がします。



そんな時は一人部屋にいてさえ、自分が作り上げた相手に振り回されていました。



私の母はよく「気持ちはある」と、言っていました。

でも実際言葉や行動がなければ、伝わっては来ませんでした。



相手を知る
自分を伝える
お互いに気付く




その為に言葉があるんだな、と思います。


昔は出来なかった大切な事かもしれません。。



一言でいうと考えすぎない…

本当にいただいたコメントどおりです。


どうもありがとうございます♪♪