こんばんは。ペタ・コメントありがとうございます。
ディズニーみたいなタイトルです…。
私は20代に入る前から、色んな健康や美容に関しての情報を知ったり集めたりして、かなり詳しくなりました。
摂食障害も含めそれにかなり振り回された時期もあったかなぁと思います。とにかく頭で考えていました。
先生や彼と、よく人間の心身と食も含めた環境の事を話しました。
私の食に関する疑問は
「揚げ物やケーキやジャンクフードを知らなかったら食べたくなる事もなかったのに…」
「食物自体の油分だけを取ってれば良いんでは?」
というような、ところにまで行き着きました。
そうしたら、彼がこんなことを話してくれました。
先進国の中でも、菜食や無添加にこだわり、服から食品にまで自分達で作りながら生活している人達がいるよ…と。
それは
宗教集団だそうです。自分で納得してその集団に入り、全て無添加にこだわり、それに安心感を覚え生活をしているので、その方々は心も安らかかもしれません。
でもそのコミュニティから出ると、もしかしたら不安で生活できなくなるかもしれません。電気や水道・医療・教育、また婚姻はどうしているのでしょう。外部とのつながり…そこまではわかりません。
これが良い・悪いという事ではなく
食生活には社会性が密接…食を規制するというのはそれ位のことだよ…という話でした。
自分で環境を選ぶ権利も勿論ありますしね。
人は自分のいる場所で社会性を保てなくなると心が固くなってしまうのかな…と私は摂食障害を過ぎて思いました。
玄米を厳守…だけでも不便はあった気がします。。
私がもしイヌイットやモンゴルのような土地に生まれたなら、別に天丼やらケーキやらはいらない!と思います。
でも、実際は日本という食や文化がとても発展した国に生まれました。
その中で、どれ位何に興味を持つか持たないか…は個人差があるとして、
私はいろいろに興味を持っています。かなり。それを楽しむ事が自分の人間らしさかなぁとも思っています。
お祭りで何か食べたり、友達とハンバーガーやケーキも食べたい…と思います。そればかりが続けばちゃんと飽き飽きします。
食だけに関わらず自分のいる場所で心が楽で人間らしくいられる…
当たり前だけれど、そんな事をずっと無視して来たのかなぁ?という気がします。
ホメオスタシスという素晴らしい機能が人間にはあるそうです。これは知っても差し障りないので書いてしまいます。
摂食障害を通じて、これを取り戻したり痛感した気がします。
放っておいても自然に人間はその環境に合わせて、体も心もひっくるめ、バランスを保ってくれる…そんな機能です。
私の体は、たまに焼肉もケーキも食べ、面倒になればそばでもすすり…そんな感じのヤツだと自分をとらえてバランスを取ってくれているはずです。たまに焼肉頑張って食べ過ぎた時はたぶん流れてます(笑)。忘れてると思いますが、そういう事もやるんです。
逆にあれもダメ、これもダメ!とやられれば、心から先にギシギシし出して辛くなって来ると思います。
頭でこだわり、「何で食べてしまったんだろう」まで考えるのは苦痛だと思います。
色んな恐さもありましたが、今思えば全て…食べたかったから食べた、ただそれだけ…と思います。
空腹が弱まり、何となく食べてしまった時でさえ、食べたかった・必要だったと思います。
もっと回復が進み、必要なくなれば、見ても食べたくもなくなりました(拒食とも違います)。
多くの方がカロリー計算なしで食事をしますが、それ通りに毎日膨らんだりしぼんだりするワケではありませんよね。
まして摂食障害では体のどこかしらが傷付いていると思います。たぶん誰しもキッカケとなるダメージを自分で与えた記憶があるのでは?と思います。自然に繰り返す増減もありますが、それとは違います。
だから、その分回復には色んなことが必要だし、それも合わせて体は調整してる気がします。
血液検査で異常がなくても、体は取り合えず血液が薄まらない方に重点を置いているだけかもしれません。
環境まで含めて、どんな栄養素がどれ位必要か…なんて全身を同時に検査しても厳密には解らないかもしれません。
そこまで考えだすと気がおかしくなるし、普通が余計遠いもののように思えてしまいます。
だったら本能とも言える、単純に何かを食べたい…という気持ち、信じてはダメでしょうか?自分本来の素晴らしい機能を取り戻す…って感じで。
自分を信じる…とか考えた事はありませんでしたが、もし有るとしたら、そんな事の復活を待つ事だったと思います。
膨大な量ばかりは、体もさばき切れないかもしれませんが、多めを取り続けて大丈夫。良かった、と思います。
少し難しくなり、すみません。頭に納得させるには時には理屈かな…と書いてみました。
少しでも勇気や安心感ができますように。。
被災地が気になり数日は更新はお休みしようかな、と思います。おやすみなさい(*^_^*)
ディズニーみたいなタイトルです…。
私は20代に入る前から、色んな健康や美容に関しての情報を知ったり集めたりして、かなり詳しくなりました。
摂食障害も含めそれにかなり振り回された時期もあったかなぁと思います。とにかく頭で考えていました。
先生や彼と、よく人間の心身と食も含めた環境の事を話しました。
私の食に関する疑問は
「揚げ物やケーキやジャンクフードを知らなかったら食べたくなる事もなかったのに…」
「食物自体の油分だけを取ってれば良いんでは?」
というような、ところにまで行き着きました。
そうしたら、彼がこんなことを話してくれました。
先進国の中でも、菜食や無添加にこだわり、服から食品にまで自分達で作りながら生活している人達がいるよ…と。
それは
宗教集団だそうです。自分で納得してその集団に入り、全て無添加にこだわり、それに安心感を覚え生活をしているので、その方々は心も安らかかもしれません。
でもそのコミュニティから出ると、もしかしたら不安で生活できなくなるかもしれません。電気や水道・医療・教育、また婚姻はどうしているのでしょう。外部とのつながり…そこまではわかりません。
これが良い・悪いという事ではなく
食生活には社会性が密接…食を規制するというのはそれ位のことだよ…という話でした。
自分で環境を選ぶ権利も勿論ありますしね。
人は自分のいる場所で社会性を保てなくなると心が固くなってしまうのかな…と私は摂食障害を過ぎて思いました。
玄米を厳守…だけでも不便はあった気がします。。
私がもしイヌイットやモンゴルのような土地に生まれたなら、別に天丼やらケーキやらはいらない!と思います。
でも、実際は日本という食や文化がとても発展した国に生まれました。
その中で、どれ位何に興味を持つか持たないか…は個人差があるとして、
私はいろいろに興味を持っています。かなり。それを楽しむ事が自分の人間らしさかなぁとも思っています。
お祭りで何か食べたり、友達とハンバーガーやケーキも食べたい…と思います。そればかりが続けばちゃんと飽き飽きします。
食だけに関わらず自分のいる場所で心が楽で人間らしくいられる…
当たり前だけれど、そんな事をずっと無視して来たのかなぁ?という気がします。
ホメオスタシスという素晴らしい機能が人間にはあるそうです。これは知っても差し障りないので書いてしまいます。
摂食障害を通じて、これを取り戻したり痛感した気がします。
放っておいても自然に人間はその環境に合わせて、体も心もひっくるめ、バランスを保ってくれる…そんな機能です。
私の体は、たまに焼肉もケーキも食べ、面倒になればそばでもすすり…そんな感じのヤツだと自分をとらえてバランスを取ってくれているはずです。たまに焼肉頑張って食べ過ぎた時はたぶん流れてます(笑)。忘れてると思いますが、そういう事もやるんです。
逆にあれもダメ、これもダメ!とやられれば、心から先にギシギシし出して辛くなって来ると思います。
頭でこだわり、「何で食べてしまったんだろう」まで考えるのは苦痛だと思います。
色んな恐さもありましたが、今思えば全て…食べたかったから食べた、ただそれだけ…と思います。
空腹が弱まり、何となく食べてしまった時でさえ、食べたかった・必要だったと思います。
もっと回復が進み、必要なくなれば、見ても食べたくもなくなりました(拒食とも違います)。
多くの方がカロリー計算なしで食事をしますが、それ通りに毎日膨らんだりしぼんだりするワケではありませんよね。
まして摂食障害では体のどこかしらが傷付いていると思います。たぶん誰しもキッカケとなるダメージを自分で与えた記憶があるのでは?と思います。自然に繰り返す増減もありますが、それとは違います。
だから、その分回復には色んなことが必要だし、それも合わせて体は調整してる気がします。
血液検査で異常がなくても、体は取り合えず血液が薄まらない方に重点を置いているだけかもしれません。
環境まで含めて、どんな栄養素がどれ位必要か…なんて全身を同時に検査しても厳密には解らないかもしれません。
そこまで考えだすと気がおかしくなるし、普通が余計遠いもののように思えてしまいます。
だったら本能とも言える、単純に何かを食べたい…という気持ち、信じてはダメでしょうか?自分本来の素晴らしい機能を取り戻す…って感じで。
自分を信じる…とか考えた事はありませんでしたが、もし有るとしたら、そんな事の復活を待つ事だったと思います。
膨大な量ばかりは、体もさばき切れないかもしれませんが、多めを取り続けて大丈夫。良かった、と思います。
少し難しくなり、すみません。頭に納得させるには時には理屈かな…と書いてみました。
少しでも勇気や安心感ができますように。。
被災地が気になり数日は更新はお休みしようかな、と思います。おやすみなさい(*^_^*)