こんばんは。

ペタ・コメント・読者登録ありがとうございます。

地震がありましたね。大丈夫でしょうか・・・。



今日は食事が安定して来てから出て来た心のよどみ。。。のことを思い出しています。

これは摂食障害とは直接関係ないと私は思っています。

たぶん、人に色んな事を教えられて、自分が一人の自立した人間として、親や元いた家族を客観的に見れたとき、自然に流れだすように気付かされたもの、そんな感じがしています。


かなり個人的なことです。長いです。いちおう順を追って記録なので、書いてみたいです。


親子関係、人によってはデリケートな事です。不安に思われたら、お読みにならないでください。




食と向き合ってから特に1年は食欲との折り合いをつけるのに精一杯でした。


落ち着いたころ、別のことが起きました。


怒りや悲しみが出しても出しても出てくる・・・・そんな状態です。


今心は静かなのですが、その時期は夜の大しけって感じでした。


怒りや悲しみの吐け口は彼でした。

というより彼と話していたら自分の色々に気付いたんです。


彼と会ったばかりの私は、現実的に死にたいと思う事はなくても、いつも死が心にあった気がします。(すみませんシリアスで)。

うまく書けませんが、まぁ心がドヨ~ンとして深海にいる?みたいでした。実際彼にそう言われたこともあります笑。


でも難しい事を言うでもなく、ただ寄り添ってくれた気がします。感謝してます。




簡単に言うと、私の母には母性が欠落していました。子供なんです。

母は家事・育児を半分放棄しました。私が10才前後になると、他の問題も始まり家は荒れました。実際にはそんなことないのでしょうが、私は母にはなしかけられた記憶がほとんどありません。

家事・育児の大変さ、キレイ事には済まされない事はよく分かってるんですが。でもそういう次元ではなく現実的に様々な支障がでてしまいました。



普段話さない母に、時にはここには書けないヒドイことを言われた事もあります。


ですが、母性がない反面、子供のように優しく傷付きやすい母でした。自分に精一杯の人だったんです。

そのうち、距離をおくことでうまくやるようになりました。




家庭にあって衣食住の舵が親の元にある限り、どうしようもない……そんな事もあるかもしれません。


だから家族と離れ、自活した時、もういい歳になって、そんなことに気付き、ドロドロしたものが出てきたのかもしれません。


楽しい事を話していても、ふとしたことで、そっちの方に考えが行き、何度も言っている自分がいました。夜泣いたり。いい歳をして、そんな自分が情けなく苦しくなったり。


それに対して彼はどんなだったかというと、


いつも否定も肯定もせず、ただ聴くだけでした。

一通り聴くと
「おまえが変わればそれも変わるよ」

いつもそれだけ。


そんな時が来るまで意味がわかりませんでした。






自分が感じたことですが、

些細な事は日々あります。それとの付き合いはその方なりだと思います。


でもそれ以上の理不尽なことも残念ながら世の中にはあります。

そんな事からは直ぐに逃げ、誰かにやはり何度も話すべきだと思います。


でも
それが、ごく身近な存在の場合、距離を置くべきか、どうしたらよいか、色々悩む・もしくは気付かないとも思います。

あるいは昔の出来事に時間が経ってから気付く、そんなこともあるかもしれません。


そんな憎しみや怒り・苦しさの感情が出てくる時、

大小に関わらず、それ自体を、またそれを出す事を否定してはいけない、と思います。

一度や二度人に話しただけで流れるようなモノならそこまで苦しくはないです。

実は私もそれを無くそうと色んな事をそれなりにしました。

でも、一人心の中で処理しようとするより、誰かの前で口に出し「現実」としてただ認めることだけで、数倍違いました。


こんな時にカウンセリングや自助グループが有効なのかな??と思ったりします。自発的になれた時、です。病院探し、と似てるかもしれません。


カウンセラーでも誰でも、相手さえ承諾すれば、甘えでも何でもなく、必要なんだと感じています。




出すべきものは出す、ただそんな感じです。


それまでは思い切り憎むのもいい、逃げるのもいい、無理しないでいい、単純にそう思います。憎むこともまた苦しい事ですが。


私とは逆に母親に束縛されて苦しい、そんなことも聞いた事があります。それも距離を置いたり工夫をしたりして、逃げ道を作る方法を聞いたことがあります。自分の場所をつくるんです。これも色々でしょうね。


長くなったので、この辺で止めておこうと思います。続きはまた書こうと思います。



読んでくださりありがとうございました☆彡