こんばんは。コメントありがとうです(*^_^*)。いかがお過ごしですか?



最近食の囚われのこと…をあらためて考えていました。

摂食障害になると何をどれ位たべたら良いか本当にわかりません。

私も摂食障害の時はそうでした。一日中食のことばかり考えていました。

普通の方は、それなら考えるのやめたら?と思うかもしれません。

でも様々な囚われや恐怖のため、考えざるを得ないんです。そして何よりそれが1番苦しいことでした。


摂食障害(過食嘔吐とその後)が過ぎ去ってから、あの時の囚われや恐ろしさはどこから来たのかなぁ…と振り返りました。当時は目の前の事だけにいっぱいいっぱいで。

勝手ですが、囚われや恐ろしさ…私が思ったものを整理の意味で1つずつ書いてみようかな、と思います。摂食障害の方でこれを不快に思われたら申し訳ありません。色んな方がいらっしゃるので、あくまで私個人(過食嘔吐~空腹感あり)の感じた事です。


私の囚われと恐怖のもと、大きな1つは、体の飢餓感(奥からこみあげる食欲)だったと思います。体にあいた深い穴って感じでした。




嘔吐や調整を繰り返していた時、それはある程度感じづらい状態になっていました。次のループを無意識に予定していた事が1番ですが、摂食障害に陥るとどんどん神経が張り詰めて麻痺状態みたいになっていました。

薬や体の状態(拒食の影響)で空腹感を感じづらくなる場合もあるようですが、経験がないのでそれについてはあまり知りません。



私は食に向き合った時、はじめてこの穴を直視しました。

もしかしたら早めにこれを見つめられる方は少ないのかもしれませんね。たいした事ない…か、認めたくない…というのもあります。


私の場合は、底無しなの?って感じの穴が開いておりました。食欲というよりやっぱり飢餓感です。食べだすとどこまでも止まらないのが、食べなくても目に見えました。



だからその穴に

『落ちたくない!』
『恐い!』
と思う。


それが囚われと恐怖それぞれの正体だった気がします。

量が解らない…
凍り付いたように食べる事自体が恐ろしくなる…
やせ願望が頭をもたげる…





でもこの穴自体がなくなったら?

この囚われや恐怖も消えるのが自然なんだと思います。

実際、今の私にはそんなふうに強迫的な調整をする気持ち自体が全然ないです。


私はダイエットで摂食障害になった訳ではないのですが、摂食障害に深くハマる程そういうことに過敏になりました。強迫観念のように調整をしてしまうのは、この恐ろしさへの対抗みたいなものだったのかもしれません。


この調整はダイエットなどではないのですが、そう思い、続けてる方もいらっしゃるのかもしれません。




摂食障害に入った始めの頃は、穴に落ちたくない、認めない…しか思わず、過食嘔吐や調整を繰り返していました。1日や一週間で帳尻を合わせられると思っていました。


だからどんどん深くなる穴自体に気が付きませんでした。当然少しずつ穴を埋めていこうか…なんて思った事もありません。

だからもし当時家族の中に居ても、どう協力してもらえば良いか分からなかったと思います。それで色々キズ付いたりもしたかもしれません。


でも幸いなことに、穴を埋める(食と向き合う)作業が始まりました。

それでも深い穴は急には埋まらないので、起きている限り常に見えていました。一気に落ちないかと一日中考えながら進みました。

この時の私は食欲にまかせて食べる事が不可能でした。詰め込むだけ詰め込んでもまだ足りなかったでしょう。だから仕方なかったです。この囚われは。


それから別の不安は穴自体の深さが読めないってことでした。

食べ続けてるのに満足しない…穴が埋まってる感じがしなかったです。

でもちゃんと埋まってました。気付かなかっただけです。



この囚われを緩めるのはやっぱり「食べる」ことでした。



1日1日重ねるうちに量や内容に対する恐ろしさや囚われも薄くなりました。

それは体が(特に脳かなぁ?)満足し、回復が進んだことのサインだったのかもしれません。


その時はもう治って来たと思う位、楽になりました。




少なくした反動で量を食べ過ぎたり、量を増やしたり、夜中食べたり…毎日を試行錯誤で重ねるうちに、自分なりの食事の量やとり方がつかめました。



食べなきゃ…ではなく、食べていいんだ…の気持ちでした食事は、

心と体を満たしてくれたと思います。



みな様の心と体も少しずつ満たされますように。


少し抽象的な話…読んでくださり、ありがとうございました(^^)
おやすみなさい☆彡