摂食障害から遠退き、治ってみて初めて感じたことがあります。たしかに原因は心にあったなぁ…ということです。
でもそれははっきりコレという物ではありません。もっと境目がなく、心の一部にあると言うより、むしろ心全体だった感じがしています。
私は1度だけ先生に、何でたった1度の嘔吐がこんなことになったのか、原因を知りたい…と聞いたことがあります。
その時「原因探しは置いておいて、今現在やこれからを良くする事だけ考えればいい」ときっぱり言われたのを覚えています。
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こうなった原因があるなら探し出し撃退しておきたかったんです…。
でも今はそう言われた意味がわかります。
食べたい気持ちと真剣に向き合うと、自然と数限りない葛藤(こだわりや捨てられない考え)にも向き合わなければならなくなります。
また自分を責めたり、他の人との関わりでの辛いとか、何でだろう?と思ったりして、結局はその思いが自分をしめつけたりします。
それを別の解釈に変えて行かなくては苦しくて進めません。
人に助けられれば感謝したり、誰かの言葉に教えられたり…そういう事でも自然と心が変化します。
自分の体型が変わる恐怖(実際激変するかは別として)も一時は受け入れなくてはなりません。
また、どなたでも人との関わりで多少の修羅場を踏むと思います。
考えずとも とてもリアルに、
生きるとは何なのか…
になって来るんです。
でも、これはいくら頭で考えても体感しないでは解り得ないことかもしれません。
そんなこんなで食と向き合うウチに心の問題も自然と洗われる…それが摂食障害の食に問題が出る意味だと感じいます。
たたきやすいようにわざわざ問題として出てくれたのかもしれない、と後から思ったくらいです。
それから私個人は履歴で書いた「治ったとさえ思っていた時期」に、色んな思いがとけ出して来ました。心の病の知識がなかったにも関わらずです。それはとても押さえ切れるものではなく、かなり長い期間続きました。
身近に相手を得て、出るべくして出て来た感じでした。それにハッキリ気付く時が来た…という感じです。
この時は体が回復して来た頃で、自分自身が病気で悩む方のために何かしたい!と思った時期でもありました。ところが、先生にその事を相談してみた答えはこうでした。「今は自分をもっと良くしなさい」でした。
もう心身とも充分良くなってるのに…その時はそう思いました。
でも時間が経ってわかったのですが、この時は自分自身の心が大きく変化する次の時期に来ていたようです。
そして摂食障害が本当に過ぎ去った後は、心が別人のようになりました。
もし皆さんの心のなかに大小に関わらず何かしらの よどみ があったなら、
考えなくとも食と向き合ううち自然と出て来て吐き出す・または気付く時をむかえるんではないかな?と思います。その時はそうしないではいられないだろうと思います。
そんな時は自ら相手を求めるかもしれません。
場合によってはそうなる前に医師が適切なプログラムをすすめてくれる場合もあるようですが、どちらにせよ出るべきもの・気付くべきことは、もがいていればいずれ出てくる…と感じます。
はじめから解るくらい深刻なトラウマを抱えている方もいます。そういう方は別ですが、もしハッキリとしない何かを、原因として心の中に探し求めているのでしたら、
原因探しはちょっと置いておいて、まずは食べたい気持ちに向き合ってみて欲しいな…
そうも思っております。
読んでくださり、どうもありがとうございました。
でもそれははっきりコレという物ではありません。もっと境目がなく、心の一部にあると言うより、むしろ心全体だった感じがしています。
私は1度だけ先生に、何でたった1度の嘔吐がこんなことになったのか、原因を知りたい…と聞いたことがあります。
その時「原因探しは置いておいて、今現在やこれからを良くする事だけ考えればいい」ときっぱり言われたのを覚えています。
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こうなった原因があるなら探し出し撃退しておきたかったんです…。
でも今はそう言われた意味がわかります。
食べたい気持ちと真剣に向き合うと、自然と数限りない葛藤(こだわりや捨てられない考え)にも向き合わなければならなくなります。
また自分を責めたり、他の人との関わりでの辛いとか、何でだろう?と思ったりして、結局はその思いが自分をしめつけたりします。
それを別の解釈に変えて行かなくては苦しくて進めません。
人に助けられれば感謝したり、誰かの言葉に教えられたり…そういう事でも自然と心が変化します。
自分の体型が変わる恐怖(実際激変するかは別として)も一時は受け入れなくてはなりません。
また、どなたでも人との関わりで多少の修羅場を踏むと思います。
考えずとも とてもリアルに、
生きるとは何なのか…
になって来るんです。
でも、これはいくら頭で考えても体感しないでは解り得ないことかもしれません。
そんなこんなで食と向き合うウチに心の問題も自然と洗われる…それが摂食障害の食に問題が出る意味だと感じいます。
たたきやすいようにわざわざ問題として出てくれたのかもしれない、と後から思ったくらいです。
それから私個人は履歴で書いた「治ったとさえ思っていた時期」に、色んな思いがとけ出して来ました。心の病の知識がなかったにも関わらずです。それはとても押さえ切れるものではなく、かなり長い期間続きました。
身近に相手を得て、出るべくして出て来た感じでした。それにハッキリ気付く時が来た…という感じです。
この時は体が回復して来た頃で、自分自身が病気で悩む方のために何かしたい!と思った時期でもありました。ところが、先生にその事を相談してみた答えはこうでした。「今は自分をもっと良くしなさい」でした。
もう心身とも充分良くなってるのに…その時はそう思いました。
でも時間が経ってわかったのですが、この時は自分自身の心が大きく変化する次の時期に来ていたようです。
そして摂食障害が本当に過ぎ去った後は、心が別人のようになりました。
もし皆さんの心のなかに大小に関わらず何かしらの よどみ があったなら、
考えなくとも食と向き合ううち自然と出て来て吐き出す・または気付く時をむかえるんではないかな?と思います。その時はそうしないではいられないだろうと思います。
そんな時は自ら相手を求めるかもしれません。
場合によってはそうなる前に医師が適切なプログラムをすすめてくれる場合もあるようですが、どちらにせよ出るべきもの・気付くべきことは、もがいていればいずれ出てくる…と感じます。
はじめから解るくらい深刻なトラウマを抱えている方もいます。そういう方は別ですが、もしハッキリとしない何かを、原因として心の中に探し求めているのでしたら、
原因探しはちょっと置いておいて、まずは食べたい気持ちに向き合ってみて欲しいな…
そうも思っております。
読んでくださり、どうもありがとうございました。