18世紀のドイツの哲学者です。


哲学は元々、純文学と一緒で余り興味が有りませんでした。


それは、ただ言葉を無理矢理難しくこねくり回しでいるだけで、何の生産性の無い暇で金持ちがするもんやと思っていたからです。


それなりに有名な人の名前や単語は聞いた事が有る程度です。


それが今回たまたまユーチューブのおすすめで出て来たので暇だから取り敢えず見てみたら、私の考え方に近くて琴線に触れました。


この人は孤独が好きで他人を客観視し、熱狂しているのをシラーと見て、何故あんなに喜んでいるんだろうと考え、それを言葉にしたと思います。


私は3歳ぐらいの子供の頃は、店の奥に有る便をする「おまる」しか無い部屋で放ったらかしにされていました。


そしてそこから見える店の1メートルほどの幅の入口の外で歩いている一瞬だけ通る買い物客を眺めて、何故ここを歩いているのか考えるのが唯一の楽しみでした。


その頃の原体験が私の考え方の基礎となっています。


実際、ショーペンハウアーはこの時代のお金持ちでセレブです。


しかし、セレブのきらびやかな生活に合わず、一人で家に籠もっていました。


孤独とは、楽しいとは、欲望とは、退屈とはを自分なりに答えを考えて出て来た答えを書籍にしましたが、サッパリ売れませんでした。


そりゃ、当然でしょうね。


しかし後の、音楽家、小説家、物理学者、例えばアインシュタインとかに影響を与えています。


18世紀では、ほとんどの大衆は貧乏だったので、仏教のような考えで修行のように思えでは、東洋人と違い明るく楽しい事を言う人でないと、欧米人は受け入れてくれないでしよう。


その考えを受け入れてくれたのは、お金が有って余裕の有る知識人です。


そして文化が醸成し、生活に余裕が出て来た現代人に受け入れ出したんだと思います。


現代でも、他人と一緒にレッツパーリィみたいになりたいと考えている人は、自分の心の深い欲望を見つめるのが怖いから、上っ面で皆んなとつるんで慰め合って自分を誤魔化しているんでしょう。


自分の欲望は、自分だけの深い欲望ですから、それは他人には絶対に理解できず解消出来ないのは誰もが気付いています。


だから例え死んでも解決出来ず、悪霊になってしまうのです。


物欲や食欲は、ショーペンハウアーも言ってるように、形の有る物は、すぐに慣れて飽きてしまいます。


それが、もっともっとになると、仏教の地獄の餓鬼道に入ってしまい、永遠に、お腹が空いているという苦しみに陥ります。


日本人は、世界一細かく何でも改良し続ける餓鬼道地獄の、一歩手前のような国だと思います。


その事を諌める言葉も有り、「足るを知る」や、「質素倹約」も昔から言われてきた格言です。


もうすぐ、AI時代になり、もっともっとと望む一般大衆も欲望を実現できるようになります。


それは、果たして桃源郷のような天国なんでしょうか、それとも逆に餓鬼道を突っ走る地獄になるんでしょうか、たぶん、その両極端になりそうな気がします。


どうなるかは、閻魔様ではなく、その人の知性が決定するのかもしれません。