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♡KEIKO♡です


大阪府吹田市にある万博記念公園内の、
「太陽の塔」

芸術家の岡本太郎の制作した建造物✨
未来を象徴する黄金の顔(上)
現在を象徴する太陽の顔(下)


太陽の塔の裏には、
過去を象徴する黒い太陽🖤


太陽の塔に魅せられたーーー✨🌟✨



芸術家である岡本太郎という人物。

1911年(明治44年)2月26日、岡本太郎は現在の神奈川県川崎市高津区二子に長男として生まれる。父は漫画家の岡本一平、母は歌人で小説家の岡本かの子。父方の祖父は書家の岡本可亭であり、北大路魯山人の師匠であった。

1930年1月、18歳の太郎はパリに到着。以後約10年間をパリで過ごすことになる。
21歳のとき、パブロ・ピカソの作品「水差しと果物鉢」をみて衝撃を受け、「ピカソを超える」ことを目標に絵画制作に打ち込む。

36歳のとき、新聞に「絵画の石器時代は終わった。新しい芸術は岡本太郎から始まる」という宣言を発表、当時の日本美術界に挑戦状を叩きつけた。

40歳のとき、東京国立博物館で縄文火焔土器を見て衝撃を受ける。翌年、美術雑誌に「四次元との対話 縄文土器論」を発表。

57歳から、巨大壁画『明日の神話』を制作。第五福竜丸が被爆した際の水爆の炸裂の瞬間がモチーフとなっており、悲惨な体験を乗り越え、再生する人々のたくましさを描いたとされる。岡本敏子によれば「彼の最大にして最高傑作」とされる。

1970年に大阪で万国博覧会が開催されることが決まり、太郎はテーマ展示のプロデューサーに就任。「とにかくべらぼうなものを作ってやる」と構想を練り、総高70mの『太陽の塔』を制作した。

太郎は老いを重ねても創作意欲は衰えず、個展など精力的な活動を続けていたが、80歳のときに自身が所蔵するほとんどの作品を川崎市に寄贈。

1996年1月7日、岡本太郎はパーキンソン病による急性呼吸不全により死去、84年の生涯を閉じた。

✨🌟✨


〜岡本太郎記念館・館長 平野暁臣の「太陽の塔のメッセージ」より抜粋〜
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西洋の美意識とも和のテイストとも無縁で、世界を見渡しても似たものがありません。〝見たことがないもの〟がいきなりあのスケールで出現したわけですから、世間を騒がせ、賛否両論が巻き起こりました。
当時の反応を一言でいえば、大衆が好意的に受け入れたのに対して、知識人が否定するというもので、とりわけ美術界の反発は相当なものでした。馬鹿でかい張りボテ、アナクロ、おのぼりさん相手、牛乳瓶……などなど、識者たちは酷評しました。僕は、そこにはある価値観が通底していたと思います。ひとつは「税金でわけのわからないモノをつくるな」という、ある種の〝良識〟であり、もうひとつは「日本が誇るべきはワビサビ的な伝統美だ」という〝常識〟です。そしてこの良識と常識こそが、岡本太郎が万博を機に打ち壊そうとしたものでした。日本美の流儀からも、西洋美の規範からも外れている。
それが知識人たちを不快にさせる一方で、大衆を惹きつけたわけですが、ではいったい、なぜ太郎は、万博という晴れ舞台でそのような物をつくったのでしょう?開幕直後、太陽の塔の思想について、太郎はこう言っています。
 「五重の塔ではない日本。ニューヨーク、パリの影でない日本」
じつは、かねて太郎は「日本人の価値基準はふたつしかない。西洋のモダニズムと、その裏返しとしての伝統主義だ」と主張していました。
ニューヨーク、パリに手放しで憧れるか、いわゆる〝日本の伝統〟に逃げ込むかのどちらかじゃないか。ともに舶来文化に対するコンプレックスの産物であり、それにノーを突きつけない限り、真の日本文化はひらけないのだ。
そう考えていたのです。

日本人が長年憧れてきた西洋風のカッコよさや、その逆の効果をねらった「日本調」をともにケトバす。それが太郎のコンセプトでした。
太郎が日本調を嫌うようになった発端は、若いころの京都体験です。29歳でパリから戻った太郎は、真っ先に京都と奈良を訪れました
日本の源流に出会えると期待して訪れたわけですが、待っていたのは大きな失望と落胆でした。日本の伝統として今京都に残っているのは形式だけ。奈良にいたっては最初から大陸文化そのものじゃないか。いったいこれのどこが日本なんだ。そう感じたのです。日本人が和の伝統と信じているものは、はたして〝ほんとうの日本〟なのか? 
もしかしたら最初からそんなものはないのかもしれない。そう絶望しかけたとき、驚愕すべきものと遭遇します。縄文土器でした。


縄文人の荒々しい造形感覚と出会った太郎は、そのすさまじい生命力に圧倒されます。平面的でひ弱な「日本の美」とは正反対だったからです。
 「驚いた。こんな日本があったのか。いや、これこそが日本なんだ。身体中の血が熱くわきたち、燃えあがる」「これだ!まさに私にとって日本発見であると同時に、自己発見でもあった」
太郎は縄文こそが「オリジナルの日本」なのだと直感しました。モダニズムでもジャパネスクでもない日本。借り物ではない〝ほんとうの日本〟の原風景をそこに見たのです。
狩猟採集時代、われわれの祖先は、孤独と不安に耐え、自然と溶けあいながら生きていました。そこに息づいていたのは、原始のたくましさと豊かさ、そしてふつふつとたぎる生命力と呪術の感性です。
しかしそうした原生日本は、弥生になると忽然と姿を消してしまいます。農耕社会への移行が日本人の感性を大きく変えてしまったからです。自然とともに誇らかに生きた民たちが、取り替え可能な「労働力」に変わった瞬間でした。
そんな農耕文化の精神が、形式的で暗い、いわゆる「日本の伝統」を生んだ。太郎はそう考えます。縄文との出会いから数年後、東北や沖縄を旅した太郎は、原生日本の心持ちがいまも受け継がれている様を眼のあたりにします。


「日本人のなかにはいまも縄文の精神が宿っている」。そう確信した太郎は、「それを呼びさまし、とりかえす」「それがオレの仕事だ」とおそらく考えるようになったのだろうと思います。
このころ画風も変わりました。それまでの緻密な画面構成とは打って変わって、梵字にも似た黒いモチーフが画面を支配します。それは神秘的・呪術的な気配に満ちていました。そして1964年にこう宣言します。
 『芸術は呪術である』
太郎が太陽の塔に取り組むのは、この3年後のことです。
大阪万博という空前のプロジェクトを前にして、真っ先に思い浮かんだのはこの「呪術としての芸術」の実践だったに違いありません。数千万人が訪れるという千載一遇のチャンスを活かして、日本人の心の奥底に潜んでいる〝縄文の心〟を呼びさます。それが太郎の狙いだった。そう考えれば、太郎がつくったテーマ館の意図も理解できます。
万博は「未来を祝福する祭典」ですから、パビリオンはみな先端技術や近未来のヴィジョンをアピールします。「技術の進歩が社会を豊かにし、人を幸せにする」、それが万博のメッセージです。
 しかし、岡本太郎のテーマ館は、そうした近代主義的な進歩思想とは対極にあります。

最初のゾーン〈いのち〉では、生命をつくる物質が観客を包み、つづく〈ひと〉では、狩猟時代の生きざまを空間いっぱいに描き、さらには世界の仮面と神像が宙に浮かぶ、まるで神々の森に迷い込んだような呪術的な空間が現れます。
そしていよいよ太陽の塔の中に入ると、高さ41mの《生命の樹》という巨大なオブジェが観客を迎えます。1本の樹に、単細胞から人類まで、生物進化の歴史をたどる33種の生き物がびっしりと実っている、という空前絶後のオブジェです。ここでは「根源から未来へと噴きあげる生命のエネルギー」が表現されていました。
「生命の神秘」からはじまるテーマ館が訴えていたのは、「狩猟時代の誇らかな生き方」であり、「原始社会の尊厳」であり、「生命力のダイナミズム」です。およそ万博パビリオンには似つかわしくありませんが、そこには「裏のテーマ」があったと考えれば得心がいきます。
 『縄文の心を思い出せ!』
おそらくそれが太陽の塔のメッセージだと思います。しかし当時の観客たちにそれが伝わったとは思いません。「夢の未来」を無邪気に信じていた高度成長の時代には、とても無理だったろうと思います。
でも、今ならわかります。太郎のメッセージは、古くなっていないどころか、これからの時代にこそ必要なものです。 
万博から半世紀を経て、太陽の塔は内臓を取り戻し、再び生命の火が灯りました
太陽の塔がほんとうの仕事をするのはこれからなのです。

〜抜粋ここまで〜


これを読んで心が震えました✨


本当に人間が生き生きと輝くにはどうすればいいか。根本から見直さなくてはならない時。
そのとき何を信じるか。
われわれの祖先は、孤独と不安に耐え、自然と溶けあいながら生き、そこに息づいていたのは、原始のたくましさと豊かさ、そして強い生命力!
今こそ縄文の心を取り戻すべきなのだ。そのような意味を込めて、岡本太郎は万博の真ん中に、この「太陽の塔」を突き刺したんですね✨




岡本太郎の残した言葉たち♡


「自分に能力がないなんて決めて、引っ込んでしまっては駄目だ。
なければなおいい、今まで世の中で能力とか、才能なんて思われていたものを越えた、決意の凄みを見せてやる、というつもりでやればいいんだよ。」



「自分を実際そうである以上に見たがったり、また見せようとしたり、あるいは逆に、実力以下に感じて卑屈になってみたり、また自己防衛本能から安全なカラの中にはいって身をまもるために、わざと自分を低く見せようとすること、そこから堕落していくんだよ。」


「いいかい、怖かったら怖いほど、逆にそこに飛び込むんだ。」


「なんでもいいから、まずやってみる。それだけなんだよ。」


「自分の価値観を持って生きるってことは嫌われても当たり前なんだ。」


「自分の姿をありのまま直視する、それは強さだ。」


「孤独であって、充実している、そういうのが人間だ。」


1番のお気に入りは♡

「壁は自分自身だ。」


まさにーーー🖤







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