
潮風に吹かれたつもりになってしゃか!しゃか!と歩いていると、湖(ムーニーポンド)が見えてきました。
さらに歩き続けると Oak Woodという駅になりました。どうも、おかしいので牛乳やのおばさんにロッドレーバーアリーナに行きたいんだけどー!!!と道を聞きました。そこで方向としては全く反対に移動していたことを知りました。
ConnexでともかくFlinders Street駅まで行って、そこでまた、人に聞いたらどうでしょうと親切に教えてくれたので、そのとおりに鉄道に乗りした。
そこは大きな駅で、目の前に教会となんとAustralian Open Visiter Centreがあったのです。
ハイキングをしているときは、太陽を見て大雑把にどちらに行くか方向を決めます。
地図は見慣れているつもりが逆目に出たようです。
しらない土地では5万分の1・地図にコンパスを載せて北を合わせればよいのです。
南半球での失敗は実はこれをしなかったために起こりました。
子午線一度の長さがいったい何里か知りたくなって、伊能 忠敬さんは隠居してから歩くことはじめました。 3地点測量を歩測で行い、日本地図を作ったのですから、想像を絶するエネルギーと天文学やタンジェントなどの正確な知識があったのでしょう。
紀元前2,500年ごろにはバビロニアで粘土板に書かれた最古の地図があったと記録があります。
始めは農業集落地図であったものが、砂漠でのオアシスや金山(ホンとは内緒なのに)の場所や絹の産地や青空市場やそんな生活の情報が詰め込まれるようになったんだと思います。
1492年べハイムが作った地球儀に初めてジパングが登場します。日本が世界に登場した記念日だと思っています。
日本では家光の時代(1644年暮)正保郷帳(しょうほうごうちょう)として村名と村収穫高をまとめた統計書をまとめました。国絵図(正保国絵図)、城絵図(正保城絵図)、城模型、街道の帳簿もあわせて作られて、現在残っています。
グーグルアースは空恐ろしい地図です。
私の先輩がこの恐ろしい地図を手玉にとっています。
この場でこれをご紹介出来るのか?KAR氏にお聞きしてからにしたいと思います。