この1週間ほど、とっても哲学的な問題に直面していて、夜も眠れないくらいに悩んでいて、でも、しかし、どうしたものか、昼はいつでも眠たい。通勤で電車に乗る時間、1時間以上、思うように読書が捗らない。座れば次は、睡眠、睡眠――。間もなくまぶたが閉まります。まぶた付近のお客様はご注意下さい。現から夢へはお乗り換えです。と、そんなであるから、自らに期待するような本読みには一向になれそうもない。
寡読ではあるけれど、書物の選択は、存外にも狭い現実に暗合するところがあったり、あるいは単にそう都合良く思い込んでいるところがあったりする。ここでようやく僕の直面する哲学的な問題とやらに、やや冗長ながらたどり着くことになるのだが、今日、閉じようとするまぶたに己の目玉を駆け込み乗車させつつ、読んでいたのは谷川俊太郎『谷川俊太郎の33の質問』(ちくま文庫)だった。
「白という言葉からの連想を」という問いに、作曲家、林光の回答は《ピアノの白いとこ》。それから続けて《あの、黒鍵と白鍵というでしょ。チェンバロっていう楽器は、これが逆なんですよね。》、《そういう場合にね。その黒鍵をなんとかって、たとえば注文するとするね、黒鍵というのか、白鍵というのかって議論を前したことがあるんだけど、なんて言ったらいいのかしらね。》とある。
なんのことはない、きっと大きな音楽事典や楽器図鑑にあたれば済んでしまうことかもしれなくて、冗長でありかつ哲学的というのはオーバーかもしれないのですが、問題というのは、つまり白鍵と黒鍵(と、通常は呼ばれている部分)は、正しくは、というよりは、色が逆転したところでも固定されうる呼ばれ方がなんなのかということなのである。何ていうの。
