昨日は夫が亡くなって百ヶ日でした。
いつもは夫のいない日々を淡々過ごしているのですが、節目節目で、なぜ今ここにいないのか考えさせられます。
後悔はしても意味がないとわかっていても、何故、まだ私の覚悟も夫の覚悟もできていない時に亡くならなければいけなかったのか、救急車を呼ぶのが遅すぎたのか
と救急車を呼んだ日前後を思い出させてしまいます。
やはりそこに目を向けるのは、とても辛く胸が、、、息が、、、
できなくなります。
夫の遺影は、回転寿司での笑顔の写真です。
私が書類と奮闘して遺影の夫に文句を言ってる時には、ごめん、ごめん、と笑っているように見えるのに、、、
私が寂しくてないても、ごめんごめんと笑っています。
しかし。やはりなぜあの時亡くなったの?と問いかけると、笑顔の写真が泣きながら頑張って笑顔を作っている顔に変わるのです。
そうすると。私もごめんなさい、そんなこと今更、言ってもね。
ごめん、ごめん
となってしまいます。
今を精一杯生きる
夫と私の熱量は違ったかもしれないけれど、そうやって二人で二人三脚で闘病を頑張ってきたつもりです。
なぜ、どうして、
と問いかけるのは、やっぱりダメだよなぁ
だって、夫が一番、なぜ、自分がこんなに早く死なないといけなかったのか
悔しがってるはずだから
やっぱり、この夫のいない寂しさを胸に抱いまま、夫を思い、夫ならこうするかなと思いながら、前には進まなきゃいけないなと思いました。