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自分の意見に全ての方が賛同してくれるとは到底思いません。

なので、興味がある方だけ読み進んでください。








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先日、なぅやTwitterでも呟きましたが、
「女子高生コンクリート詰め殺人事件」の概要を知り、
同まとめ記事内にある動画を視聴しました。


色々な感情が入り乱れて~
と呟きには書いた通り、本当に様々な感情が入り乱れてしまい、
どこか吐露できるところ、といえば、
結局自分にはここしかありませんでした。

既に記事を読んでから、数日が経過していますが、
今でも頭の片隅で色々と考えてしまいます。
被害者、遺族、犯人、時代背景、判決、諸々。
大きな範囲で、誤解を恐れずに言えば、ある種の精神的外傷を負ったのかも知れません。
散文してしまいそうなので、幾つかに分けて書こうかと思います。


・事件の概要について
当時自分は物心もついていなかったので、報道メディアがどれだけショッキングに伝えたのかはわかりません。
けれど、事件のことを知り、これだけの年月が経ってもなお真実を知り、またそれを記録に残そうとしているのは、自分だけではありません(閲覧した中には、つい先月執筆されたページもありました)。

概要に関してはまとめページが詳しいので、そちらのソースをご覧ください。
女子高生コンクリート詰め殺人事件の全貌【史上最悪な殺人事件】
サイト内には同事件を証言に基づいて再現した動画へのリンクがありますが、
当然ながらショッキングであろう部分は描写されていません。
また、サイト内に書かれている暴力も、他のソースから確実なものをまとめた形になっています。
ただし動画が置かれているyoutubeには、若干再現に迫った動画も置いてあります。

真実を知りたいと思うのなら、むしろこちらのソースが正しいと言えます。
沸騰する人たち、煮えたぎるモンスターたち
日本の映像倫理観においては表現できませんが、文章は正直に真実を伝えます。
つまり正常な人間であれば正視できない状況にあったということです。


・被害者像
犯罪被害者について第三者が代弁すべきではありませんので割愛します。

ただし、上記沸騰する~を閲覧してもらえばわかる通り、
被害者が受けた暴行は、凌辱などという言葉でまとめられるべきではありません。
加害少年がたとえ「どれだけの暴行で死に至るか」を把握し倦ねていたとしても、
寧ろ死に至らしめるまで暴行は続いていたと考えられます。
その考え方は、戦時下において敵国の捕虜に対して行った拷問、若しくは人体実験です。
加害少年は「何ら普通の市民生活を行っていた」「未来ある」被害者少女に対し、「平時において」「自己の興味を満たす、若しくは欲求の捌け口として」拷問と人体実験を行ったのです。
その無念や幾許か、想像に余りあり、また遺族においても筆舌に尽くし難い苦痛は容易に想像できるところです。


・加害者像
概要を知った誰しもが、加害少年は実に自分勝手で幼稚である、と考えます。
無論、俺も同意見です。
勝手な欲望のままに被害少女を略取し、且つ自ら負わせた傷が切欠で解放する機会を失い、
被害少女が「人が人として当然行う」行動を著しく制限したことに対し、酌量の余地は全く存在しません。
裁判全文・事件番号=平成2う1058(PDFファイル)(以下主文と記す)において、家庭内環境が一因として考慮し得ること、内省著しい、との記述があるが、
当時の世論の通り、犯行内容に対しての量刑は極めて軽いもので、結果、世論に押される形で少年犯罪に対する法のあり方を見直す一因となりました。

「残念ながら、破綻した家庭環境を持つ子供は少なくないし、その多くは成長過程において社会性を身につけ、一般人として生活している。家庭環境がどうあれ、どう成長するかは多くは個人の意志の強さに基づくもので、不良化の受容はつまり、単なる甘やかしに過ぎない」
どのサイトのどのページであったかを失念してしまったので俺なりの解釈で掘り起こしてみたが、
極論ではあるけれどこういった意見もまた理解し得ます。
また、少年法が更生を目的においたものであることも十分理解しています。
主文は、「国内の犯罪史において稀に見る残忍な犯行」としながらも、家庭環境、暴行への積極性、加害少年の内省の色合いを見て裁量を加え、文末には裁判所としての少年犯罪取り扱いに関する明示もあり、更生を促す内容となっています。
しかし本来ならば、結果として殺人、遺体遺棄に繋がったとはいえ、被害少女が「生きている間」に受けた苦痛に対して、もっと多くの量刑が下されるべきであったと考えます。
これは結果論ですが、主犯格の元少年達は再度別件により逮捕されており、非常に残念ながら、更生は失敗に終わったと考えざるを得ません。
「犯罪を犯す可能性がある」精神弱者を国が一生管理する法律がまかり通り、「再犯に及ぶ可能性がある」少年を、懲役期間が終了したからといって更生が終了したと判断するのは如何かと。
子供は大人が考えるよりもずっとしたたかであり、その可能性は正否に関わらず無限大であると、裁判時に判断しかねていたのは、やはり誤審であると思います。

・事件の異常性と人間の心理
加害少年に関し、酌量の余地は全くありませんが、
当初姦淫目的で略取した被害少女が、暴行の対象となったのか。

証言によれば、大きな節目は監禁場所において警察に通報した時点であることになっています。
加害少年からすれば、それは大きな裏切り行為にあたるのでしょう。
実に自分勝手で短絡的な考え方です。
逆上した加害少年はオイルを足部にかけ点火するという虐待行為に及び、結果、化膿した傷口からの膿臭も暴行がエスカレートする一因となります。

冷静に事件の概要と、加害少年の心理を考察すると、
当初被害少女はとても可愛らしく思えた筈です。
しかし、暴行を受ければ当然負傷する。特に顔面であれば、見る間に腫れ上がり、可愛らしさは醜さに変わっていく。
人にもよりますが、加害少年達は「懐かない動物は嫌い」な人間だったのでしょう。
最初は可愛がるが、懐かず、常に怯え、且つ醜く変化していく被害少女を、既に人の形をした別のものと考えていたのでしょう。
事実証言において、「最後の方は被害少女を人間とは思っていなかった」としています。

健気にも被害少女は剛健な精神力を以て自らを支えますが、それがまた「何をしても大丈夫」という在り得ない誤解をも生んだのではないかと思います。
被害少女が受けた暴行は、加害少年たちが認知していたかは別として、戦時下にスパイ容疑とされた人間に行われるものをも含まれています。
屈強な軍人でも耐えかねる暴行を受け、それにひたすら耐えた。人としての尊厳を踏みにじる行為、その時間、精神的苦痛、それに対しての量刑が軽い。
人は不意に絶命します。至極当然のことながら、いつまでも暴行に耐えられる生物は存在しません。死なない程度、というのは、拷問においての定石で、死よりも大きな苦痛を与える目的で行います。加害少年に自覚があったのかは別として、結果、最も残虐な行為を働いたことになります。

加害少年達は過去行った暴力において、偶然相手を死に至らしめなかったことにより、
人間の身体は丈夫に出来ており、そう簡単には絶命しない。そういった誤解を持っていたのではないでしょうか。
よく聞く、「殺すつもりはなかった」という決まり文句です。
不意の喧嘩ならまだしも、日常的に過度の暴行を行っていれば、被害少女の死を想像できなかったわけがないのです。主文は之について殺害当日「死を意識した」と括っていますが、もっと以前より念頭にあった筈です。既にその時、解放できなかったのです。
つまり既に、殺す以外に方法を考えられなかった筈です。捕まるのは嫌だ、と保身のみを考えている限りは。

また、数々の残虐な暴行に関して、集団の心理が大きく作用しています。
既に「もの」としか見えなくなった被害少女、更に、生きるということは、周囲を汚すことになります。
自らが招いたにも関わらず、その対象に不満を持ち、憎しみを持ち、
本来あるべき「人が人を傷つける本能的な嫌悪」を集団によって麻痺させ、罪の自意識を薄めます。

つまり極論では、状況が揃ってしまうと、ある意味では誰しもが加害少年と同じ意識に陥る可能性も秘めている、ということでもあります。
俺自身も、読んでくれているあなたも、人というのは誰しもが残虐性を秘めていて、常識という集団意識によって抑制されているのです。
これが戦時下等で「敵を同じ人間と考えるな」という集団意識が専有した時、平時では異常と思える行動にも何も感じなくなるのです。
だからといって、全く正当化されるべきではなく、異常な精神状態の配下にあった、という事実があるだけです。

・加害少年たちの更生
結果から言って、失策に終わりました。
保護司のお世話になりながらも、更生はつい得なかった。
どう判断すべきであったのか、誰も正解は導き出せないと思います。

本来であれば、再犯に走ってしまう理由として、
周囲には何も知らされず普通に接していたのにも関わらず、加害者が「周囲は全て知っている。だから俺に冷たくあたる」等の被害者妄想から孤立してしまい、結果職を失うなどして、再犯に走る。
若しくは、興味本位から周囲の知るところとなり、事実差別を受け再犯に走る。
理解できなくはないですが、やはり自己中心的な発想と言えます。
どんな罪であれ一生をかけて償うべき。飲酒運転で逮捕された人間は、もう二度と、一生を以て飲酒運転をしないようになるでしょう。若しくは、もう二度と飲酒をしないよう指導・矯正が必要。
罪の重経、程度の差はあれ、基本は同じであるべきです。ですので、量刑が軽い、と判断するのです。
長期間の服役を終えた人間は、社会に取り残され、時代についていけなくなると言います。
そういった背景を考慮しても、実に愚かしいと言わざるを得ません。


残虐な行為は、例え少年であっても、然るべき司法にかけられるべきです。
そして更生とは上辺だけではなく、期間で決められるものでもなく、
個々に対して適切に判断されるべきです。
被害少女の無念を晴らすのは、こういった事件を過去の語種とせず、日常のすぐ隣にある犯罪に目を向けることだと思います。

常に愛情の中におり、静かに眠りに就く女性と、
突然非日常の中に放り込まれ、暴力の限りを尽くされた女性と、
恐らくは壁一枚を隔てているだけで、何も変わりはしません。
本来こうあるべきであった被害少女の冥福を祈るばかりです。

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長文に渡りご拝読ありがとうございました。

ここ数日感、「色々考えていた」ことを書き綴ってみました。
読まれた方に、俺の意味不明な苦悩を押し付けてしまったようで、
少し心が傷みます。

しかし書かずにはいられなかった。
それすらも理解して戴ければ幸いです。


この記事へのコメントは、勝手ながらお断りさせて戴きます。