・意思の問題
さて、前述した膝立ち又はつま先立ちの非定型道釣りで4本の動脈は確実に締まるので、逝こうと思えば逝けぬことはないはず。
装置そのものに大きな問題はないはず。
ただし、それは死の恐怖を乗り越えられる『強い意思』があればの話で、恐怖を感じる間もなく無造作に逝ける装置としては欠陥品である。
とはいえ、これ以上装置を改良するのは難しいところまで来ている。
もうやれるだけのことはやり尽くした。
やはり意思の問題を完全に避けて逝くことはできないのだろうか。
当然ながら、いきなり強い意思を持つことなどできない。
かといって、強い意思を得るために進んで絶望の淵へ転げ落ちに行くというのは本末転倒。
その時が来るまで待つというのは論外。
となると、強い意思に代わるものを用意するのが現実的か。
何があるだろう……
思い込み、自己暗示、自己催眠、
あるいは、来世への希望。
来世でなくとも、天国でも理想の国でもいい。
逝くことに希望を持つことだ。
逝くことが悪いことだなんて誰が決めた?
逝った先に何があるかなんて誰にも分からない。
逝った先に希望があるかもしれない。
あまりにも小さな希望。
それでも、希望が全くない現世に留まるよりはマシと考える。
別に強い意思でなくともいい。
弱い意思であっても、ないよりはいい。
強と弱の2つに縛られる必要もない。
中間があってもいいじゃないか。
絶対的な答えはない。
ただ、装置が不完全である以上、意思の力も少なからず加味する必要があるというだけのことだ。