・前置き①


今から4年ほど前、私は道を釣って逝こうとしたことがある。

自○未遂というやつだ。


詳しい理由は書かない。

世に絶望した。

それだけだ。


実行の際、私が参考にした『完全自○マニュアル』にはこう書かれている。


「道釣りは一瞬で意識喪失。苦痛はなし」

「道釣りは極端に未遂率が低い」

「他の方法なんか考える必要はない」


だから私は迷わず道釣りを選んだ。


道釣りには『定型』と『非定型』の2種類がある。

私が選んだのは、より確実な定型だった。


人間の体重では絶対に切れない強度の縄を用意し、家族がいない時間帯を選び、あとは一歩踏み出すだけ、というところまでいった。


だが、その一歩が踏み出せなかった。


もはやこの世に未練などない。

このまま生きててもみじめなだけ。

長く苦しんでから逝くより今すぐ逝った方が合理的。


理性では分かっていても、本能がそれを許さなかった。

台から飛び降りることができなかった。


要は怖かったのだ。

圧倒的恐怖心の前に合理性も信念も無力だった。


必要なのは、生存本能さえも乗り越える『勇気』または『狂気』だと知った。


生きる希望を失った者に勇気などあるはずがない。

かといって、狂気を発するほど追い込まれてもいない。追い込まれる前に逝きたかった。


私の決意は脆くも崩れ去り、それから4年間だらだらと生きてきた。

分かっちゃいたが、特に良いことはなかった。

むしろ状況は悪化する一方だ。

早く逝きたいという思いは全く変わらなかった。


そんな中、ふと気付いた。


定型にこだわる必要がどこにある?

非定型なら恐怖心を抑えることができるのではないのか?


私の新たな挑戦が始まった。


苦痛も恐怖も感じることなく、安価で確実に逝ける方法の研究。


なんとも馬鹿げた研究だ。

仮にこの研究が認められる日が来たとしても、それは私が逝った後の話だ。

私は幸せにはなれない。


それでも、書き残したいと思った。

この残酷な競争社会から早く逃れたいと思う人たちのために…


いいや、違うな。

ただ暇だから書くだけだ。

本当は自分が逝った後のことなど、どうでもいい。


でも、今はまだ生きている。

だから、今やれることをやるだけだ。