2021年8月31日(火) 晴れくもり
今日の目的地のひとつ、伊藤圭介記念室へ。植物園植物会館内にあります。


伊藤圭介記念室について(H/Pより引用)
 日本の植物学を築いた一人で、名古屋市出身の植物学者伊藤圭介の遺品や関連資料を展示しています。 また、彼の日記の解読作業も進められており、日本洋学史の研究拠点の一つとなっています。 収蔵品のうち1,690点が名古屋市の指定有形文化財になっています。1980年(昭和55年)、植物園植物会館内に伊藤圭介記念室が完成、常設展を開始しました。

 

 

伊藤圭介のプロフィール
 伊藤圭介は、江戸時代から明治初めにかけて日本を代表する植物学者として、多くの業績を残しました。
みなさんが知っている「おしべ」、「めしべ」、「花粉(かふん)」という言葉は、圭介が名づけたもので、圭介が27歳のときに書いた『泰西本草名疏(たいせいほんぞうめいそ)』という本の中で初めて使われています。
 圭介は、江戸時代の終わりごろ1803(享和(きょうわ)3)年に、医者であった父・西山玄道と母・たきの次男として名古屋の呉服町(現在の名古屋市中区丸の内)に生まれました。幼い頃から父や先生に学び、植物学者として有名になりました。
名古屋で活躍したあと、明治になると新政府からお願いされ、東京の小石川植物園で植物の研究を行い、当時日本に来た外国人の植物研究家の間で圭介は人気になりました。86歳のときには日本で最初の理学博士になっています。

 

伊藤圭介 胸像(陶製)
作者は柴山廉三氏で常滑陶器学校(現常滑高校)と卒業後家業のかたわら仏像を制作。

 

伊藤圭介日記
東山植物園では伊藤圭介が残した明治31年までの日記240冊を所蔵しています。この日記は難読ですが、当時の圭介の研究や生活を垣間見ることができる貴重な資料です。現在「伊藤圭介文書研究会」の手により解読され、第1集~第26集までを刊行しています。2階事務所で購入できますが、第1集と第2集は品切れ。

生誕二百年記念 伊藤圭介の生涯とその業績(図録)2,000円