戦争や侍の写真を見て色々こみ上げてくるのと、
自〇者を映して悲惨さを伝えたい思いの違いについて
話します。
樹海に入り自〇者の撮影をした者がいます。
彼は遊び半分ではないと思います。
しかし、そこに何の意味があると言うと分からないのです…
自〇と言うのは、恐ろしいものだから、誰かが悲しむからと
伝えられてもやめられるものでもない。
となると、あのような記事や写真は娯楽になってしまうのです。
現にグロテスクが目的で訪れた人が多数おり…
この、グロテスクと言うのは
戦争の写真でもそうなんです
戦争の悲惨さや色々な事を伝える為の写真や映像も
中には娯楽目的だけをもって見に来る方がいるんですね
そういう為の写真でないことを断言できます。
中には米兵による見せしめのような、場違いの写真もあります
あれには遺憾に思いますがあれはあれの記憶として
米国人がいかに扱ったかがよく分かる証拠。
悔しい屈辱的な思いを持っても前には進まないので、そのように思うことに致しました。
自〇はなぜ自〇したかが判明しないケースもある、自分を〇す行為、
伝えても何も始まらない、無関係者によって遊びの場のようになっている、
取り上げるメディアがいない。
戦争は人が人を〇す事、罪のない人を〇す事、一瞬にして生命が奪われること、
世界共通であること後世に語り継がれる出来事である、世界と世界を繋げる証拠になること、二度と同じ間違いをおこさないようにする強いメッセージや予防線を世代を超えて伝えられる事なのです。
自〇の個人の念では世界を変えることもできないでしょう。
ですから、自〇者を写真に残し公の場で公開するのはやめた方がいいとしか言い様がありません…
スピリチュアル的にも一般の方がそのような何が原因かも分からない
個人のしに対して関与する、取り上げる、
ましてや足を運び写真まで撮るのはおすすめ致しません。
その人達が自分たちが遊びものにされて、いい訳がないですよ
一般人が伝える場合、デメリットの方が私は大きいかなと思いますね
追記
伝えるメディアがないと言うのは、いかに生々しく
遺体を撮ってもそれを伝えられるテレビ局はないよねと
言いたかったのです。