何気に「教職課程」を考えてみた | ドクター鈴木・あめぶろ研究室

何気に「教職課程」を考えてみた

 「中学校技術科」教員の研究集会があった。野次馬で参加してみると、技術科教師の研修で講師をしているのは理工系の大学の先生。教えている内容は、教科書に載っていることではなくて「創意工夫の心」みたいな項目で私自身は聞いていてあまり面白くなかったが、受講している先生方の多くは熱心にメモを取っていた。


 私ごとで恐縮だが中学時代、技術の先生は神のように思えた。とにかく手先は器用だし、実習で何かを作る、っていうときもそれぞれ生徒がぶち当たっている壁に懇切丁寧に教えてくれる姿を見て、天才だと思った。技術力・知識に加えて、瞬時に発揮できる応用力を備えていないと技術科の先生は勤まらない、と思った。


 今は男子でも中学で家庭科をやる(っていうか、女子も技術科をやる)と思うが、私の頃は男子は家庭科はやらなかったので料理とか裁縫は習っていないが、まあいわゆる家庭科の先生だって「教科書に載っていない」ありとあらゆる事例について知識を持っていたに違いない。でなければ、実習があるような科目だけに収拾がつかなくなると思う。


 教育学部の中に「技術科教育課程」というのがあるはずで、技術科の先生を志願した場合は、この学科を卒業しないと普通に免許は取得できない。彼らがどんなことを教育されてきたのか知らないが、今回の研究会に参加してみて、教科書に載っていること以外の「創意工夫」については、センスすら持ち合わせていない「技術科の先生」もいらっしゃる、ということに驚いた次第だ。



 教育系学部で教職を目指す大学生の6割が高校で物理を学ばず、「物理が好き」な学生も2割に満たないことが、経済産業省がベネッセに委託した「進路選択に関する振り返り調査 」で分かった。


 受験制度の弊害?。「教育学部」を志願する高校生の進路は「文系」ということになる。そうなると、受験に関係ない教科である「物理」の高校での取り扱いは惨憺たるものとなるわけ。


 技術科の先生だって、要は教育学部に進学しないとなれないわけだから扱いは「文系」。物理を習わず技術科の先生になることができるわけだ。それで、梃子とか滑車とか、いや釘抜きとか、物理現象の塊をどうやって扱うの。


 もっとも、以前お世話になっていた某国立大学工学部の化学系の学科では、入試科目の理科が「物理・生物・化学から1科目選択」になっていたから、「高校で化学を習わず」に化学系の大学に進学できる、ということもあった。実際「水兵リーベ」も「ひどすぎる借金」も知らずに修士課程を修了してしまった有機化学系の学生を何人か知っていたりする。だから、この際、教育学部だけを責めるわけにはいきますまい。


 前出の報告で経済産業省は「物理嫌いの教員による指導が物理嫌いの生徒を『再生産』してしまう可能性がある」と指摘。教員研修などで教員の理科教育の力量を高める必要があると提言している。


 趣旨は正しい。経済産業省は『モノづくりは人づくり』というスタンスで、生産に携わる人材の養成にいろいろ力を尽くしてはいると思うが、受験制度や大学教育まで口を出したら越権である。文部科学省と充分調整して、文科省側がきちんと対応してほしいものだ。


 たとえば、工学部の学生が「中学技術科」の免許を取得するのは至難の業だ。私は工学部時代に取った教員免許は「高校(工業)」って奴だけだった。数学系の免許は、二重学籍で文系の大学に籍を置いてそっちで取得したのだ(貧乏な上に学費を二倍払う=しかも両方私学=のはまさに身の破滅だったが)。理科系の学生にももう少し教員免許の門戸を開いてほしいなあ、と思う今日この頃であったりする。


 当該調査では、「女子学生の理工系への進学」に関する分析も行われるなど、興味深い調査も行われている。それに関してはまた機会を見て。ではそういうことで。