学園祭 | ドクター鈴木・あめぶろ研究室

学園祭


先週末、自宅近所の高校で学園祭があった。チビ達と一緒に出かけてみた。


高校の学園祭というのは自分が高校にいた3年間しか経験がなく、その後「お客様」として行くこともなく、浦島太郎みたいな感覚だった。もっとも、大学の学園祭は、大学教員になって以降それはそれで経験しているが、大学のそれと高校のそれでは大人と子供、アメリカと日本、月とすっぽんほど違う。


自分が高校生のときは、学校祭を外部に公開していなかった。つまり学内だけのままごとのようなお祭り。もちろん彼女を招待したり、というわけにはいかない(あ、親兄弟はOKだったので「妹」が来たりすることはあったようだが…)。


私が大学に在学中は学園運動華やかなりし頃で、キャンパス内に半ば常設化していた「成田空港反対!」「学費値上げ反対!」のでかいアジ看板の前のステージで、私は苦学生の経済状態と救済を訴える演説をしたりしたものだ。当時からマイクパフォーマンスだけは優れていた私は、デモとか座り込みとか、そういう肉体系の活動よりも、「演説」という非暴力的な面で活躍の場があった。


私の母校の学園祭というとはっきり言って硬派一色。学生自治会(=学生運動家の集団、当時は)の独壇場であり、ちゃらちゃらした学生が出る幕ではないのだった。


脱線するが、私は自分の金で私立大学に通った。親に勘当されていて学費も生活費も援助がなく、長期休暇に土木作業員をやってこれらを稼いだ。詳しく言うと個人情報が出てしまうので言えないのだがが、某地方の新幹線の長大トンネルの工事を手がけながら大学に通ったのだ。本当に貧しい6年間だった(留年したら死ぬので気合で4年+2年で大学と修士課程を終えた)。


先日機会があって25年ぶりに自分の携わったトンネルを新幹線で通った。わずか数分で通過したトンネルの中で、大学生活6年間の思い出がよみがえった。


で、「学費値上げ反対」の演説が終わった瞬間に、最前列から掛け声がかかった。『よぉ!鈴木君よ。そんなに学費が払えなくて困っているなら国立大学にいけよ!』。もちろんそんな簡単な解決策ではだめだ。私の当時のIQでは国立大学に入れなかったし(だからせめてものリベンジで、今国立大学法人のセンセになっているのだ)。


そんなことを思い出しながら、今はしっかりそういう過激な活動から足を洗った私は愛する家族と近所の高校の「ままごと」学園祭に出かけていったのだ。


チビどもは高校生を見慣れていない(苦笑)ので最初は戸惑っていたが、だんだん雰囲気に溶け込んでいった。それをまたほほえましく見ている親馬鹿。


今朝の新聞を読んで驚いた。昨日の東京大学の学園祭において大学の将来展望について学長が講演をしたそうだ。私が大学生のときの感覚では、「大学自治の最大の敵は事務方。学長はその長。」であるからにして、自治会と学長はとても仲が悪い筈。切れ痔が裂けようが、目から鱗が落ちようが、絶対に両者が共同歩調をとることはなかったと思う。


時代は変わったのだな。安田講堂のあの抗争も、歴史教科書行きか…。
ではそういうことで、。