偏差値という「入口」だけでは見えない、6年後の出口と時間の問題
文:中学受験コンサルタント 野田英夫
「先生、娘が『私は学校の犠牲になった!』と言っていたんです。」
数年前、知り合いのお母様から、そんな話を伺いました。強い言葉です。けれど、その背景を聞いたとき、私は簡単に否定することができませんでした。
その娘さんは、中学受験で難関進学校へ進学しました。実は中学受験当時、明治大学付属の中学校にも合格していました。当時、ご相談を受けていた私は、彼女には明治大学付属への進学を勧めていました。彼女の性格や将来を考えたとき、大学受験に追われることなく充実した6年間を送り、自分らしく成長できる環境の方が合っているのではないかと考えたからです。
しかし、ご家庭が選んだのは難関進学校でした。「せっかく難関校に合格したのだから、こちらへ進学させたい」。そう考え、お父様が進学先を決められたそうです。
当時、その判断を責める人はいなかったと思います。偏差値が高い学校へ進学する。それが「より良い選択」だと考える保護者は、今でも少なくありません。私自身も、そのお気持ちはよくわかります。
ただ、その進学先を伺ったとき、私は「彼女なら明治大学付属の方が合っていたのではないか」という思いを拭いきれませんでした。彼女の性格や将来を考えると、本当にこの選択が最善だったのだろうか。そんな小さな違和感を覚えたことを、今でもはっきりと記憶しています。
しかし、そのときは、その違和感が現実になるとは思っていませんでした。
「早慶の指定校推薦を希望しました。でも認めてもらえませんでした」
それから6年後。大学受験を終えた娘さんについて、お母様が話してくださいました。高校2年生になった頃、彼女は早稲田大学または慶應義塾大学の指定校推薦を希望するようになったそうです。
しかし、その希望は認めてもらえませんでした。学校からは「あなたは一般入試で十分戦える」という進路指導を受けたそうです。
教育業界では以前から知られていることですが、難関進学校の中には、学力上位層に一般入試で難関大学への挑戦を勧める進路指導を行う学校があります。もちろん、その背景には「最後まで学力を伸ばしてほしい」「より高いレベルに挑戦してほしい」という教育的な考え方もあるでしょう。学校ごとに方針は異なります。
一方で、一般入試では一人の生徒が複数の大学・学部を受験できます。そのため、一人の生徒が複数の合格実績を残すこともあります。学校案内やホームページで公表される大学合格実績は、多くの場合、「進学者数」ではなく「合格者数」です。
指定校推薦では、基本的に進学先は一つです。一般入試のように、複数の大学・学部の合格実績として積み上がるものではありません。こうした制度上の違いもあり、進学校において一般入試が重視される場面があることは、教育関係者の間ではよく知られています。
ただし、私がここで言いたいのは、学校を一方的に批判することではありません。学校には学校の教育方針があります。一方で、生徒には生徒の人生があります。その二つが、常に完全に一致するとは限らない。そこに、今回の話の難しさがあります。
中学・高校の6年間、本当によく努力した
お母様のお話によると、彼女はその学校で中学・高校の6年間、本当によく努力していたそうです。成績も上位を維持し、真面目に勉強へ取り組み続けました。
だからこそ、学校からは「一般入試で挑戦してほしい」と期待されたのでしょう。努力したからこそ、一般入試という厳しい道を勧められた。彼女にとっては、その構図がつらかったのだと思います。
ここで誤解していただきたくないのは、私は指定校推薦と一般入試を優劣で語りたいわけではないということです。指定校推薦にも、高い評定平均を維持し、学校生活を真面目に送り続ける努力があります。大学から信頼される生徒であることも求められます。
一般入試にも、長期間にわたって学力を積み上げる努力があります。どちらも立派な挑戦です。問題は、どちらが上か下かではありません。本人が納得できる進路選択だったのか。そこだと思うのです。
努力した結果は明治大学。指定校推薦で慶應義塾大学へ進学した同級生もいた
彼女は最後まで一般入試で早稲田大学、慶應義塾大学に挑戦しました。結果は惜しくも届かず、明治大学へ進学しました。
私は、この結果を決して失敗だとは思いません。現在の大学受験において、一般入試でGMARCHへ合格することは簡単ではありません。努力を積み重ねたからこそ手にできる、十分に誇れる結果です。
しかし、お母様が話してくださった娘さんの言葉が、私の胸に深く残りました。
娘さんが振り返った「6年間」
「もちろん、明治大学に不満があるわけじゃない。」
「でも、中学受験のとき、合格していた明治大学付属へ進学していたら、中学・高校の6年間を大学受験に縛られずに過ごせていた。」
「部活動も、学校行事も、留学も、資格取得も、もっといろいろなことに挑戦できたかもしれない。」
「私はその6年間を大学受験のために使った。」
「そして結果は、一般入試で明治大学だった。」
さらに彼女は、こう話していたそうです。
「時間を戻せるなら、戻したい。」
「あの中学受験のときに戻って、『私は明治付属へ行きたい』って、自分の意思を伝えたい。」
そして最後に、お母様は静かにこうおっしゃいました。
「娘は、『私は学校の犠牲になった!』と言っていました。」
私は、この言葉を忘れることができません。これは彼女自身が感じた率直な思いです。学校には学校の教育方針があります。一方で、生徒一人ひとりにも、それぞれの人生があります。その二つが必ずしも一致するとは限らない。その現実を、この出来事は教えてくれました。
本当に失ったのは「大学名」ではなく「6年間」だった
この記事を読んで、「結局、明治大学へ進学できたのだから良かったのではないか」と思われる方もいるかもしれません。もちろん、明治大学は素晴らしい大学です。私も、彼女の進学先を否定する気持ちはまったくありません。
しかし、彼女が後悔していたのは大学名ではありません。失った時間でした。
大学受験に追われ続けた6年間。挑戦できたかもしれない部活動。打ち込めたかもしれない学校行事。経験できたかもしれない留学。深められたかもしれない探究活動。もっと自由に使えたかもしれない友人との時間。
もし大学付属校へ進学していたら、まったく違う6年間があったかもしれない。彼女が振り返っていたのは、その「時間」だったのです。
中学受験の学校選びで、多くのご家庭は偏差値や学校名を見ます。もちろん、それらは重要な指標です。しかし、子どもにとって本当に大切なのは、合格した学校名だけではありません。その学校で、どんな6年間を過ごすのかです。
「一般入試」が一般的ではない時代
保護者世代が経験した大学受験では、一般入試が主流でした。学力試験で点数を取り、合否が決まる。それが大学受験の王道だった時代です。
しかし現在では、大学入試の仕組みは大きく変わっています。学校推薦型選抜、総合型選抜の存在感は年々大きくなり、一般入試だけを前提に大学受験を考える時代ではなくなりました。
にもかかわらず、中学受験では今もなお、「偏差値が高い学校へ行けば安心」「難関進学校へ進めば将来も安心」という考え方が根強く残っています。
私は、その考え方に一石を投じたいのです。
難関進学校に価値がないと言っているのではありません。難関進学校で大きく成長し、素晴らしい進路を切り開く生徒もたくさんいます。大切なのは、難関進学校が合う子もいれば、大学付属校の方が合う子もいるということです。
偏差値だけで学校を選ぶ時代は終わりつつある
偏差値だけを見る。大学合格実績だけを見る。東大合格者数や早慶合格者数だけを見る。
それだけでは、子どもの6年間は見えてきません。
その学校では、どんな教育が行われているのか。どんな学校生活を送れるのか。どんな進路指導が行われているのか。一般入試を中心に考える学校なのか。指定校推薦や学校推薦型選抜、総合型選抜も含め、生徒一人ひとりに合った進路を考えてくれる学校なのか。
そして、その先にどんな大学生活、どんな人生が待っているのか。そこまで見据えて初めて、本当の学校選びになるのではないでしょうか。
私は以前から、「中学受験は入口ではなく、出口から考えるべきだ」とお伝えしています。その出口とは、単に大学名だけではありません。どのような6年間を送り、どのようなプロセスで大学へ進学するのか。その視点を持つことが、これからの中学受験ではますます重要になると考えています。
6年後、わが子はどう振り返るのか
中学受験は、偏差値の高い学校へ入るためだけの受験ではありません。子どもがどんな6年間を過ごすのかを選ぶ受験です。
そして、その6年間の先にある「出口としての大学」まで見据えて学校を選ぶ受験です。
今回ご紹介した娘さんの話は、誰かを責めるためのものではありません。大学受験のルールが変わった今、中学受験の学校選びも変わらなければならない。私は、この出来事から改めてそう感じました。
6年後、お子さんはどんな表情で中学受験を振り返るでしょうか。「あの学校に行ってよかった」と言えるでしょうか。それとも、「時間を戻せるなら戻したい」と思うでしょうか。
その問いを、学校選びの前に一度考えていただけたらと思います。
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野田英夫(のだ・ひでお) 中学受験コンサルタント。大学付属校専門の中学受験塾「早慶ゼロワン」創業者。長年にわたり中学受験業界に携わり、早慶・GMARCHなど大学付属校受験を専門に指導。「中学受験に維新を起こす」を理念に掲げ、子どもと家族が幸せになる中学受験を提唱している。
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