2009年も年の瀬を迎えようとしています。


当ブログも更新が滞りがちであるにも関わらず、

日々チェック頂いている読者の方々、

また新たに読者登録を申請される方がいらっしゃったりして、

ご利用頂きありがとうございます。


このまま年内更新なく終了かな、と思っていましたが、

このニュースだけは経時的に追って行きたいので考察しておきます。


そう、奈良の大淀病院妊婦死亡事件についての裁判です。


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「誤診」夫涙の訴え
http://mytown.asahi.com/nara/news.php?k_id=30000000912220003

2009年12月22日

 ■妊婦死亡訴訟
 ▼3月判決 被告側「搬送不備」 
 毎日がつらい――。21日、大淀町立大淀病院で2006年8月に起きた妊婦搬送事故の訴訟が大阪地裁で結審した。事故から3年余り。遺族は、今も変わらぬ悲しみと担当医への憤りを涙ながらに訴えた。県内の周産期医療態勢の不備も浮き彫りにした訴訟の判決は来年3月1日に言い渡される。
 
訴状によると、高崎実香さん(当時32)は06年8月7日、出産のため同病院に入院。翌日未明に意識を失ったため、夫の晋輔さん(27)らは頭部のコンピューター断層撮影(CT)を求めたが、担当の男性医師(62)が妊娠中毒患者がけいれんを起こす「子癇(し・かん)」と誤診し、CTをしなかった。その後、県内外の19病院に転院を断られた末、搬送先で帝王切開をして長男を出産したが、16日に脳内出血で死亡した。

 この日、意見陳述した晋輔さんは「担当医が(診断後に)仮眠したり、他の医師からCTを助言されたのにしなかったりしたことが裁判でわかった」と強調。

「誤診がなければ、こんなことにはならなかった。どれだけ苦しむのか」と涙で言葉に詰まりながら述べた。

 一方、被告側代理人は、事故の原因を「母体搬送システムの不備」と指摘。「人事を尽くしても医師の責任が問われるなら、医療を志す人の道を閉ざし、医師不足を引き起こす」などと訴えた。

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重ねて、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。

今回、ご遺族の意見陳述がなされたようです。


その中で、こう主張されています。


>「誤診がなければ、こんなことにはならなかった。どれだけ苦しむのか」と涙で言葉に詰まりながら述べた。


私も、この主張通りに正確な診断が直ちに成されて欲しかったな、と思います。

そうして、一刻も早くに搬送先病院が見つかって治療が受けれられていれば良かったな、と思います。


ところが、現実はそうは行きませんでした。

結果的に脳出血によって亡くなられてしまった訳です。


残念なから診断も治療も間に合わない状況に陥ってしまったという事になります。


統計では、

出産時の脳出血は10万回の出産で1回の確率で起こり、

その救命率は、3%くらいであるとの報告もあります。


つまり、

脳出血を予想することも、正確に診断することも、救命することも非常に困難である

という事です。


要するに、脳出血を起こした時点で、医者の手には負えない状況になってしまう、

それは、医療の限界を超えた状況になってしまった

と言えるでしょう。


だからと言って、何も出来なかった事を正当化することは出来ないかもしれません。


19もの病院へ搬送依頼をして搬送先が見つからなかった事も事実です。



それは日頃から世間がコンビニ受診などで医療を闇雲に消費し、

結果が悪ければ医療機関の責任を追求するようなマスコミ報道や裁判判決の一つ一つの積み重ねが、

慢性的な医療の消耗を招いた結果からだと思います。


受け入れ先病院が見つからないという状況自体は、

つまり、医療制度の限界を超えた状況になってしまったと言えるでしょう。


こういった状況下においては、緊急事態の現場で

「CTをすぐ撮っていれば助かったかもしれない」とか、

「搬送先病院を探している最中に、担当医は当直室で寝ていた」といった事に関する議論は

全くの枝葉末節に過ぎない事だと思います。



そう考えれば、出産時脳出血という圧倒的な病態は、

医療の限界を超え、医療制度の限界をも超えた状態

であったと想定され、

その後の急激な不幸な転帰とは、

出産時に脳出血を起こされた場合はまさに避けがたい転帰であり、

それは言葉を変えれば運命だったとしか言いようがない気がします。



私の過去のエントリーに最近コメントを頂き、見直してみました。


900万人に一人という難病によって、短い人生を全うした少女についてですが、

彼女は自分の人生を不幸だと思っておらず、


「もう一度生まれ変わっても、また同じ自分がいい。」


とまで言っていた事に、非常に驚きました。


彼女は自分の運命を受け入れた事によって、不幸に打ち勝つ事ができたようです。



この事件のご遺族は大いなる悲しみと不幸の中に沈まれているように見受けられますが、

一刻もはやく立ち直られる事を願います。


来年もこの裁判の経過をおってゆきたいと思います。

では皆様よいお年を。