遺伝子の病「プロジェリア」を患っていたアシュリー・ヘギさん、17歳で亡くなる

彼女の様子は、数年前からTVで何度か特集番組がされていて、私も見守っていた一人です。

人の10倍の速度で年を取り、体格も成長しきれずに小さく、そして常に心臓死の危険に苛まれていました。

しかし、そのような状況でもアルバイトをしてみたり、恋愛をして見たりと、前向きに生きている健気な様子に

私は心を打たれていました。


番組内でこんな事を言っていました。


「自分は、生まれ変わっても、また同じ自分で良い。」


単に強がりでそういっていたとも捉えられるかもしれませんが、私はそうは思いませんでした。

それは、自分に与えられた運命を完全に受け入れていたからこその言葉、だと思いました。


アシュリーは酷い病気で不幸だったでしょうか?

彼女の言葉を聞けば、そうでなかった様に思います。



どんな苦難であってもれを受け入れることが出来れば、人は不幸なんかではないという事です。


逆説的に考えると、

どんな恵まれた環境、健康にあったとしても、

運命を受け入れずに不満をもって暮らす人間は、不幸だと言えるのかもしれません。


ですから彼女は病気に苦しめられていた事は確かですが、病気を苦にはしていなかったと言えるでしょう。


日常の診療でも、病気や怪我に苦しめられている人

---それも、実際は大したことの無い病気や怪我だったりする事が多いのですが---

をよく見かけますが、意外な解決法が身近にあるのかもしれませんね。


彼女はしばしば心臓の発作に苦しめられ、熱が出たりして体が弱ってしまう事がありましたが、

頑張ってボランティアの仕事をしたり、アルバイトで働いたりしていました。


それは、こういう理由からでした。


「自分も、何か他人の役に立つ人間になりたい。」



と。


本当に胸が痛くなる言葉です。


一体、どのくらいの健康な人間が、

現在の自分の状況に打ちひしがれ不満を漏らしながら暮らし、

他人の役に立つどころか自分勝手な我儘で他人に迷惑をかけたり、

場合によっては害してみたりしているのか、

そう考えると、アシュリーに申し訳が立たない気持ちで一杯になります。


しかし、皮肉な事にこれは然るべき事かも知れません。


「健全な魂よ、健全な肉体にやどれかし」


現代では「健全な魂は健全な肉体に宿る」と間違った解釈をされている言葉ですが、


健康な肉体にある者ほど、健全な魂を忘れてしまいがちになるから気をつけろ


という言葉の通りで、

健康な体を持った我々が、いい加減な時間を長々と過ごしていて、魂は淀んでしまい、

病気を持ったアシュリーには、短い人生ながら本当に充実した人生を送り、崇高な魂が宿っている

のかもしれません。


本当に皮肉な事です。


彼女は10代にありながら、「いつ死んでも悔いは無い。覚悟は出来ている。」

といっていました。我々にとっては信じがたい精神の領域ですが、

肉体を10倍早く老化させる病気は、精神も10倍の速度で成長させたのかもしれません。


彼女の精神性の高さこそ、プロジェリアという病気によってもたらされたといえるならば、

プロジェリアとは本当に皮肉な病気であるとしか思えません。


善い人から神は天に召される。

プロジェリアの少女アシュリーもgood die youngの一人だと思います。


どうか主の御許で安らかに過ごしてください。

アーメン