* 北朝鮮は戦争を始めるか
* 北朝鮮は戦争を始めるか さて北朝鮮は、本気でミサイルを撃つ気だろうか。戦争を始める気なのだろうか。 私見だが、ある条件が揃わなければ、北朝鮮もミサイル発射できないと考える。 ある条件とは、何か。中国とロシアの参戦同意である。 北朝鮮単独では、いかにがんばってもアメリカとの戦争は大敗北に終わる。たとえ草の根をかじっても戦い抜くぞと、言葉こそ勇ましいが、所詮は寝言である。実例が70年前の太平洋戦争にある。 日本軍は「作戦の外道」と分かっていても、特攻機まで繰り出して戦った、だが、想像を絶する膨大な物量作戦の前に、残念の極みだが破れた。 戦術の時代は去り、物量の時代に入ったのある。1時間に数万発の打ち込まれる砲弾を、勇ましい言葉だけでは防ぎきれない。 物量大国アメリカと戦うには、最低でも同量の砲弾を必要とする。勝利のためには、数倍の砲弾が必要になる。 戦争は超巨大な消費行為である。太平洋戦争での実例だが、硫黄島攻略に兵士が使用する、シャンプー、ひげそりクリームなど日常の生活用品までそろえた。その数量は、驚くなかれ、コンビニの数千軒にも及ぶ量だったという。 70年も以前の話だが、生活用品だけでも、この数量である。弾丸、砲弾、戦車等々に及べば、消費は桁違いに増加する。「戦争は超巨大な消費行為」も理解できるだろう。 果たして北朝鮮一国に、これだけの物量を用意する国力があるだろうか。とてもまかない切れまい。 となると、どうしても他国の援助が必要になる。ここで登場するのが中国とロシアである。 両国ともに反米的国家である。折りあらば、チャンスさえあれば、アメリカに戦いを挑みたいし、勝利したい。 問題は「折りあらば、チャンスさえあれば」である。 中国は北朝鮮とともに戦いたい。だが、せっかく貧困から抜け出し経済的にも安定期に入った今日、大いなる困難を伴うアメリカとの戦争開始には疑問がのこる。 さらに対米戦争に突入すれば、インドからの攻撃も覚悟しなければならない。フィリピン、ベトナムも中国の下腹を狙うかもしれない。 つまり二正面戦争、三正面戦争になる。多正面戦争は、いかなる大国でも敬遠する。大国中国といえども、二の足を踏むだろう。 多正面戦争と言えばロシアも同じである。北朝鮮と共同作戦を始めたしても、欧州から、中近東からの攻撃も覚悟する必要がある。 外交の極意とは、相手国の弱みにつけ込むことである。戦闘の経緯が少しでもマイナスになれば、追い打ちをかけるのが、外交の常である。また中国、ロシアともに、北朝鮮との共同作戦によって、得るところが非常に少ない。 中国が夢に描いた「一帯一路」も画餅に化す。 ロシアには、シベリア開発という難事業が控えている。 かってアフリカは「暗黒大陸」と呼ばれていたが、今やシベリアが「暗黒地区」である。暗黒地区シベリアを放置して、北朝鮮との共同作戦にのめり込むのは愚かにすぎる。いかにアメリカ憎しといっても、誤選択になる。 アメリカに勝つと言っても、米国全土の占領は不可能であろう。せいぜい有利な講和条約を結ぶ程度で終わってしまう。 すると、アメリカの豊富な物資には指一本も触れずに終結となり、得るものはゼロである。得るものゼロで、消耗だけが残るのでは、やりきれない。 やはり戦争は愚の極みと言わざるを得ない。 こうした国際状況を並べたみると、北朝鮮がアメリカにミサイルを打ち込む可能性はゼロにに近くなる。 しかし北朝鮮も考える。遠くの友に頼るより、近くの韓国を支配下に置くべきだと気がつく。事実、その準備がちゃくちゃくと進んでいる。 北朝鮮の工作員の威力はたくましい。工作員もどきの人物を、大統領にまで押し上げた。オリンピックの共同会議では、南に有無を云わせずに、言論制圧している。北の工作員の猛威をまざまざと見せつける。 南北一体といっても、国が違う。北は朝鮮民主主義人民共和国、南は大韓民国。名称も違えば政治体制も違う。 違う者同士を一緒にすれば、無理が生まれる。無理は主導権争いにつながり、不要の核爆弾も登場する。 オリンピックに選手団や応援団を出すか出さぬかは、その国の国情で決まる。応援団の参加は自由だし、参加不参加は北自身が自由に決めることである。いちいち南に指示を与えることが、不自然である。 費用の点についても、応援団を送り込むのは北である。送り込むからには、費用は北が負担すべきだろう。それを共同会議に持ち込むのは、いかにも理屈に合わない。 いずれにしても、南に諸条件を飲まして、北が主導権を握った証拠としたいのであろう。 しかし、いかに南という足下を固めても、北朝鮮単独での対米戦争開始は無理である。いい加減のところで、振り上げた拳を下ろすべきである。下ろさなければ、最低要求の金体制の維持さえも難しくなる。 他方、アメリカの北朝鮮作戦は、いかになすべきか。戦争は無しがベストである。無駄と分かっていても、話し合いの申し出を繰り返す。何度も何度も繰り返す。場合によっては、金体制の保証も認める。 この繰り返しこそ、戦争を望んでいない証拠になる。 だが、北のミサイルの一発でも、アメリカ国内または関係国内に落ちれば、アメリカの猛反撃が始まるだろう。 しかし、いかにアメリカが物量大国であっても、戦争の長引くことは避けたいはずだ。 そのためには、一朝にして、北の戦意を打ち砕くことである、 最初の空爆で、北朝鮮の首都を、一葉の草木も残さぬ荒野に変身させる。親愛なる二代の将軍様の銅像も消えて無くなる。金大将軍の大宮殿も残骸と化す。 首都攻撃では、かえって敵愾心が燃え上がる懸念もあるが、それは軍隊だけの話で、一般市民は恐怖におののく。心がおののけば、軍需品の生産力が低下する。戦闘意欲も低下する。 そこまでやらなければ首都攻撃の意味がない。 非戦闘員である一般市民にも被害が生ずるだろう。悲しいかな、それが戦争なのである。特に国内戦では、一般市民の被害は防ぎきれない。 一般市民の被害を恐れるならば、戦争を始めないことである。戦争をながびせないことである。 戦争をながびせないことには、中国、ロシアの参戦を食い止める効果もある。いくら中国、ロシアに参戦の意図があっても、戦争が終わってしまえば、その余地もなくなる。 アメリカの作戦にも欠点がある。 狭い海域に巨大航空母艦を4隻も並べるのは、いかにも愚かである。 航空母艦は攻撃には最適だが、防御にはきわめて弱い。広い航空甲板にミサイルの一発でも二発でも食らえば、航空母艦としての機能を失う。アメリカのダメージコントロールがいくら優れていたも、甲板に大穴のあいた航空母艦では廃船同様である。生き恥をさらしながら、すごすごと母港に帰ることになる。 4隻の巨大航空母艦の魚売れるは、北のミサイルを侮っている証拠である。弱敵であろうと、ミサイルの威力はもの凄い。 北には空母がない。従って空母戦もない。海上基地として空母を使うのは、北にとって脅威ではあるが、懸命な策とはいえない。 また、米兵は一員たりとも上陸させないことも重要である。 上陸がなければ、地上戦での戦死もゼロになる。北の地対空ミサイルの被害を防ぎたいならば、空爆も止めて、ミサイル攻撃のみにする。毎日毎夜、北には米国製のミサイルの雨が降る。 首都攻撃の間に、反撃する北朝鮮のミサイル基地は、猛爆の嵐、爆弾の嵐、砲弾の嵐にさらされる。 そして、北の基地、都市の全てを破壊する。破壊の後は、中国やロシアの資金援助で立て直せばよい。 ここまでくると、金大将軍様もよほどの幸運でなければ、生き延びられない。 生き延びたとしても、戦争は続終わったとしても、草の根を分けても金将軍を探す出す。軍事裁判という重宝な裁判で絞首刑。かくて一件落着になる。 やはり北朝鮮は一発のミサイルも撃ってはならないのだ。一発でも撃てば我が身が滅びる。 いずれにしても,各国がすくんでいる。すくんでいるならば、直ちに戦争はやめるべきである。戦争は勝ても負けても、良いことは一つも無い。 メンツもあろう、意地もあろう。だが、これらを捨てても戦争を回避することが、優れたリーダーや国民の証である。 北は焦って、日本攻撃もあるだろうが、そこは自衛隊に頑張ってもらう。 アメリカも、戦争開始前に、「可能な限り原爆を使わない」の宣言が必要になる。この宣言こそ、自称正義の味方の最大の証になる。 忘れてならない。核兵器とは持つことは容易だが、使うのがな非常に難しい兵器であるということを。 ドクター A