心理カウンセラー 奥園 清香 の日記 -2ページ目

心理カウンセラー 奥園 清香 の日記

心理カウンセラー 
奥園 清香 の日記です。


心理カウンセラーとして、
日々感じること、出会った人、
感動したことなど、綴っています。

先日、サロンカウンセラー育成プログラムを
受講し、勉強を積み上げ

 

サロンカウンセラーとして充分に
自分自身を高めていった修了生から
連絡があった。

 

この修了生とディスカッションしたこと
とても大切で忘れたくない出来事なので
記録しておこうと思う。

 

 

※サロンカウンセラーとは
美容業界で後輩や部下を持つ方々に

カウンセリング技術や心理学の知識
トレーニングを習得してもらい

 

サロンで働く人財を支え
美容師になる夢を守り続けるために
 

スタッフの悩みを聴き、寄り添い
支援できる人のこと

 

サロンカウンセラーとして
カウンセリングの技術を学べば学ぶほど、
 

プログラムを受講している受講生たちは

「わからなかったことが、わからない」状態から
「わからないことが、わかる」ようになり

 

 

自分に目の前の人のサポートができるのか?

という不安と戦う時期がくる。

 

相手の問題が難しく悩みが深いと
自分も同じように苦しんでしまったり

 

サロンカウンセラーといっても
自社のスタッフ・共に働く仲間に対してだから、

 

目の前のスタッフに
「こうなってほしい」という想いもあるし
感情も芽生えることも当たり前で

 

でも、カウンセラーなのだから、
自分の感情や会社としての立場や
組織の事情等は、横に置いて

 

目の前のスタッフにとって
最善の方法を考える・・・そのことは
簡単でないことは、私も重々理解しています。

 

ただ、私がサロンカウンセラーを育成して
自信を持って言えることは

 

「人の役に立ちたい」
「仲間のためにカウンセリング技術を習得したい」
「大切な人を守りたい」という気持ちが

 

本当に強い方ばかりで

その想いは「技術をも勝る」と思っているし
 

サロンカウンセラープログラムを受講している
受講生たちは、会社や組織では
リーダーである方々で

 

一人一人が壮絶な苦しい体験や
自分の感じる力が高いがゆえに悩み、
もがいた時期があるから

 

サロンカウンセラー育成プログラムを
受講しよう!と決意して、学びに来てくださる。

 

 

だからこそ人の痛みに共感でき
自分の弱さを認め
自分の弱さと向かい合ってきたからこそ

 

人の気持ちのわかる方々ばかりだと思っている。

 

 

そんな自信をもって
「素晴らしい人材だ!」と言える
修了生の中の一人、”Aさん” から

 

自社のスタッフ ”Bさん” の
「カウンセリングをしてほしい」と連絡があった。

 

話の内容を聴いていると
確かに、内容的には難しいケースだった。

 

ただ、Aさんは、
とてもよく傾聴ができていて
本人の状態もよく把握ができている。

 

Aさんが、自分の感情が整理ができないのは
自分の大切なスタッフが
家族の力によって苦しめられていて

 

そのことを客観的に見れないから
どうしても一緒になって家族を批判してしまい
 

大切なスタッフが本当にどうしたいかを聴ききれず

 

 

自分の感情を伝える=意見してしまう

 

葛藤にぶつかり、もう無理だと思って

私に連絡してきたようだった。

 

Aさんの話を全部聴いて
「カウンセリングしてもいい」とまず答えた。

 

私:「でも、今、私がカウンセリングをしたら
Bさんを最終的にサポートし
Bさんの人生の一番苦しい時に寄り添ったのは
Aさんではなく“私”になる可能性があるけれど
それでもいいんですか?」
 

と質問した。
 

Aさん:「それでもいいです!!
カウンセリングしてほしい。
自分の力では無理なんです。Bさんを助けてほしい!!」


私:「わかりました」

「Bさんは、私のカウンセリングを受けることを
承諾してみえますか? 私のことをBさんには、
どのように伝えていますか?」

 

と聴いたら

 

Aさん:「カウンセリングを受けることを本人は、承諾しています。

Aさんが信頼して薦めてくれる先生なら
カウンセリング受けますと言ってました」

 

Bさんは、Aさんをとても信頼しているんだな。

 

Bさんは、Aさんが言うから
私のカウンセリングを受けようとするほど
信じているんだな・・・。という気持ちが伝わったとき

 

私は、Aさんに
「Aさん自身」を信じてほしいと思った。

 

・・・・・・・・・・・・・・・

 

私:「Bさんの人生の大事な決断の時を
私に任せちゃだめだ。

 

私は、Aさんにカウンセリング技術を
充分に伝えてきたし、Aさんは学んできた。
 

Aさんには、もう充分に
Bさんをサポートする力がある」と伝えた。

Aさんは、自分に自信がないから
 

私がカウンセリングしたほうがいいし
そのほうが早く良い結果が出ると思ったかもしれないけれど


私が、Bさんを思う愛情より
Aさんが、Bさんを思う愛情のほうが強いに決まっている。

 

 

逃げちゃだめだ。

ここは逃げるところじゃない。

 

時間がかかるかもしれないけれど
一番、信じている人に支えてもらうことが
もっとも よい効果をもたらすと私は思う。


Aさんは「サロンカウンセラー」なんだから・・・



ここで、私にバトンを渡すことは
Bさんを育てることを放棄することになる。


Bさんが一番、苦しい時にそばにいてくれた人は

”心理カウンセラーの奥園”ではなく

”サロンカウンセラーのAさん”であってほしい。



そこで支えてくれたことは
Bさんの人生にとって支えになるから。


その役を、私がやってはだめだ。



・・・・・・・・・・・・・・・・



そんなことをAさんに伝えた。

”説得”に近かったかもしれない。



でも、私はどうしても愛弟子である
Aさんに逃げてほしくなかった。



長い時間、私は、Aさんと話し、Bさんのサポート方法を考え

 

事実と感情を分けて
徹底的に傾聴をしカウンセリングを
洗いなおすことにした。



その電話から10日間が過ぎ
Aさんから連絡が入った。

 

自分の感情を抑えて
何度もカウンセリングをしたら

Bさんの中で、何か気持ちの変化というか
整理がつき始めている気がします。

ひたすら話を聴くことに徹した結果だと思います。

時間がかかっていますが
もう一歩だと感じていますので
引き続き頑張ります!!



やっぱり思った通りだった。


この報告を聴いて
Aさんには、もう「力」がついている。
と、確信した。
 

私が伝えた技術は
もう充分にAさんの力になっていて

現場で毎日使っていることで磨かれて
支える準備は充分にできていた。



自信は準備から生まれる。

自分が「これだけやったから大丈夫!」って

思える気持ちが自分を安心させ

準備した自分を自分が一番よく知っているから

「これだけやったから大丈夫」の気持ちが
自信につながる。


あとは、自分を信じること
自信を持つことだけだった。

 

私はAさんが不器用でたくさん苦労して
人の痛みが理解できる力があること充分にわかっている。

 

弱さを知っている人ほど強いから。

大丈夫。
 

想いがあれば、必ずサポートできる。

 

自分の技術と知識を信じて疑わず
大切な人のために使ってほしい。

 

 

必ずサポートできるから。

小学生や中学生の頃、
学校でのトラブルによって学校に行くことができない
いわゆる「不登校」の状態で

 

カウンセリングに通っていた
当時の子どもたちが大人になり
 

カウンセリングルームに
会いに来てくれることがある。

 

先日、小学生の頃から
カウンセリングをしている「彼」が、
久しぶりにカウンセリングを受けに来てくれた。

 

当時、小学生(10歳~12歳)
中学生(13歳~15歳)だと10年経てばもう大人だ。

 

小中学生の頃
「カウンセリングを受ける」という習慣や
 

何か悩むことがあれば
自分の気持ちを整理するために

 

「カウンセリング」を活用するという
方法を知っている彼ら、彼女たちは

 

人生の節目では
必ず、カウンセリングを受けに来てくれる。
 

カウンセリングを活用してくれる。

 

まだまだ、日本では何かあった時に
「カウンセリングへ行く」という
方法論が「当たり前」のレベルには到達していないが

 

彼ら、彼女たちを観ていると
カウンセリングという文化が
誰にとっても当たり前になればいいなと、とても思う。

 

 

※ 小中学生の時
「不登校」になった理由は
ほとんどが、お友達との人間関係だ。

 

イジメられたことが
原因になっていることが多い。

 

カウンセリングルームを 訪れる子どもたちは

 

感受性が豊かで
察する力や気付く力が高い
そしてIQも高いと思う。

 

恵まれた家庭の子が多く
ご両親から大事に育てられた子どもも多い。

 

集団行動の中で 誰かの(いじめる側の)
「やきもち」「嫉妬」「ねたみ」の
 

感情も多く原因していて

本人の問題ではなく周りの問題である
可能性が高いと私は思っている。

 

でも、子どもたちは
最初、カウンセリング訪れた時 そのことは分からない。

 

集団の中で否定され、排除され

 

子どもにとっては
その小学校のクラス、中学校の部活動の世界は
 

本人の「生きる世界のすべて」で

その世界で否定されたら
 

自分が「生きている意味」を問うこともある。

 

大人からしたら
「そんな狭い世界の中で物事を考えても・・・」と
思うかもしれないけれど

 

この時の子どもにとっては
その世界が「全て」である。

 

どんな世界が見ているんだろう?

 

カウンセラーとして
その子の生きている世界を見せてもらいながら

 

本人のくれるパズルのピースを合わせていき
パズルを組み立て

 

問題の本質が何だったか
一緒に考えていく時間を長い時間をかけて行っていく。

 

 

私は、カウンセリングをして本人が悩み始めた時間と
同じ時間くらいは、解決に時間がかかると思っている。

 

だから、長い時間悩んで
カウンセリングルームを訪れた
 

子どもは、絡まった糸をほどくのに
時間はかかる。

 

子どもは、大人のように
自分の思っている事を
言語化するのにも時間がかかる。

 

大人は、たくさんのボキャブラリーを使って
カウンセラーに自分の苦しみを
伝えてくれるけれど

 

子どもたちの持っている言葉の
語彙数ではなかなかニュアンスが分からないこともある。

 

 

そんな中
カウンセリングルームで
共に戦ったきた時間と歴史が
強靭な人間関係を創ると思っている。

 

前置きが長くなってしまったが
 

冒頭の「彼」の話
本題に入ろうと思う。

 

 

先日、数年ぶりに
カウンセリングにきてくれた
当時小学生、今は20代後半の彼が
昔のことを話してくれた。
あのとき「もう学校はあきらめよう」と
自分で決めたことが
本当に自分の人生で大きかった。

 

彼が話す話「あのとき」を
私も、ものすごく鮮明に覚えている。

 

当時、小学生の「彼」と出会って
長い時間をかけて
問題の根本を探り

 

「いじめ」があったけど
先生が見て見ぬふりをしたこと

 

周りの子どもたちが
助けてくれなかったこと

 

でも、カウンセリングを進める中で
学校に行きたいなら

 

「自分が強くなればいい」と
二人で答えを見つけ出し

 

 

いろいろなシュミレーションを
カウンセリングルームで考え
“戦う勇気”を作りあげていった。

 

 

周りに何かされても
自分が、負けない気持ちを持とうと。

「周りが何か言ってくるのは
周りの問題でこっちが悪いんじゃない」
 
「相手がいろいろと言ってくることに
反応するから、おもしろがられて、
さらに、やられるんだ」

 

そうか、そう思うんだね。

もう一回、学校行きたいんだね。

 

スモールステップから
リハビリを始めたのを覚えている。

 

段階をふんで
教室に入る努力をしてみた。

① まず、ランドセルをしょって
家から出てみる。
② 角のコンビニまで歩いてみる。
③ 校門まで歩いてみる・・・

 

こんな風に
毎日、毎日少しづつ
 

学校に距離を近づけて
心の距離も近づけて

 

学校の中に入ってみようと思った。

 

 

学校とも連携し
これだけの努力を積んで
 

本人が教室に入ろうとしている

学校側に注意点や
お願いしたいことを伝えて
当日を迎えた朝。

 

 

私自身もドキドキし
本人が学校から帰ってくるのを
「待つ」予定だった。

 

思っていたよりも早い時間に
連絡が入り、すぐに「(私に)会いたい」と
親御さんから連絡が入る。

 

何かあったら
学校へ行こうと思って待機していたので

すぐに、カウンセリングルームへ
本人を連れてきてもらう。

 

 

学校行ったら
「下駄箱に靴がなかった」
泣きながら話す本人に

 

怒りと悔しさがこみあげてきた。

 

あんなに打ち合わせしたのに
 

担任の先生は本人の下駄箱に
上履き(くつ)があるか?ないか?
 

なんで確認してくれなかったんだ。

 

靴がない事が問題なんじゃない
 

担任の先生が「待っている」ってことは
 

「準備してくれる」ことであって

 

 

準備してなければ
待っててもらってないって感じるんだよ

 

そんなこともわからないのか。
 
先生はそんなに忙しいのか?
 
本人の努力、わかってんのか?

 

カウンセリングルームにて
本人の見ている前で学校に電話した。

 

 

私は、自分の人生で
あんなに怒ったことがあるかと思うくらい
 

担任の先生を怒った。

 

「どんな気持ちでこれまで準備してきたかわかるか?」
「本人の気持ちを想像したことがあるか?」
「あなたが守ってくれなかったから
こんな結果になっているんだ」

 

先生に向かって電話口で
叫ぶ私に

 

目の前でいつの間にか泣き止んでいる
 

本人が言った。

 

「先生、ありがと。もういいよ」

 

 

覚えてる
 

めちゃくちゃ、覚えてる。

 

彼に 「先生、ありがと。もういいよ」言われた
言葉が、音まで記憶に残っている。

 

担任の先生に向かって言いながら
 

私自身、自分の無力感も同時に
苦しかったのを覚えている。

このあと、彼はもう二度と
学校には行かなかった。

 

あの環境にはもう戻らないと決めた。
決断したんだ。

 

 

小学校も中学校も
学校へ行かないという選択をした。

 

一つの分岐点で
人生は、大きく変わる。

 

 

彼は、その後、海外の学校に進み
自分らしさを見つけ出した。

 

 

英語を流暢に話し、世界中に友達ができて
笑顔で日本に戻ってきた。

 

そして、今は、日本で大活躍するビジネスマンになっている。

 

 

今回の彼はカウンセリングの中で
過去を振り返り

 

あの選択があったから
僕の怒りをすべて
 

先生が担任に伝えてくれたから
もういいや、って思えた。

 

 

先生が
「どんな道を選ぶかではない
選んだ道でどれだけやるか?」
って
言ってくれて

 

 

その言葉を海外にいても
苦しくてもいつも想っていた。

 

 

選んだ道でやり続けて
あの時のことが本当に自分の支えになった。

 

 

そうか、そんな風に
思ってくれていたんだ。

 

冷静に考えると
あの時、本人の見ている前で
 

学校の先生を罵倒したことは

怒りの感情を出す
 

本人の出せない怒りの感情を
代弁者として出す。

 

 

これは非常に効果の高い
カウンセリング方法だったかもしれない。

 

 

なぜなら
「怒りの感情は立ち直るエネルギー」

 

本人は怒りを出せなくても
彼の代わりに、カウンセラーが「怒り」を
 

目の前で出したことによって

立ち直るエネルギーを
与えられたのかもしれない。

 

 

でも、あの時の私は
カウンセラーとして何か考えや、
 

その先への想いや計算があったのではなく

本当に涙が出るくらい
 

 

悔しかった。

 

 

毎日の彼の少しずつの歩みや
努力を痛いほど知っていたから
 

本当に悔しかった。

 

 

あっ、あの怒りは
彼の気持ちの代弁ではなく
 

私の立ち直るエネルギーだったのかも。

今、この文章を書いていて思った。

 

 

あの怒りは、
ずっと、彼の立ち直る
エネルギーだと思っていたけれど

カウンセラーの「私の怒り」
=「立ち直り」だったのかもしれない。

 

カウンセリングの中で
詳細に組んだ学校へのリハビリプログラムが
 

木っ端みじんに
担任の先生に崩されて
 

私が立ち直れなかったのかも。

 

 

彼と久しぶりに会い カウンセリングで
今の話も過去の話もすることができて
本当に幸せだった。

 

 

彼の成長と幸せは
私の人生の支えになる。

 

久しぶりに 彼の清々しい顔を観られて
幸せを確認できて
ただ、ただ嬉しい。

 

 

その気持ちを 記録したかった。

 

コロナ禍を表現する言葉
「ウィズコロナ」「ポストコロナ」・・・

 

最近、もともとの生活が
どんな風だったんだろう?って
思い出せなくなりそうなことがある。

終息後、戻る場所って
どこなんだろうか?と漠然と思ったりする。

みんな気づいていることだけれど
もう、元には戻らない。

”戻れない”のではなく
”戻らない”んだと思う。

 

 

マスクをすることが当たり前

何となく人との距離を取ることが当たり前。

 

 

本年度、関わってる
小学生や中学生の子どもたちが
話してくれた話の中に
興味深い話があった。

小学1年生、中学1年生など
今年度、学年が上がったと同時に
新しい環境が始まった子どもたち。

新学期(入学式)4月を迎え
新しいお友達と
新しい学校のスタート。

クラス発表の後、
新しい教室で
初めて会ったその日からマスクの顔。

「お友達の顔が、いまだに分からない」と。


担任の先生がマスクを取ったら
「想像して、思っていた顔と違って本当に驚いた!」とか・・・


2年生から3年生へ進級するとかであれば
クラスのほとんどの子の顔を知っていて

イメージできるから
マスクの中の顔が見えるというか

 

笑った顔や表情を
マスクをしていても
マスクの中のお顔を
感じられるかもしれないけれど

もともと、知らなかったお友達の
マスクの下の顔は、想像もできないと思う。


この『コミュニケーション不全』
 

このマスクでの生活は
子どもたちの「これから」に
どんな影響を及ぼすだろうか?

子どもたちの心や未来に
どんな影響をもたらすだろうか?

心配でならない。

相手のことを感じたり
感じ取ったり
表情で読み取れることが
”わからない” ”わかりあえない”

 

子どもたちは、今の学校生活において
 

不安になることも多いと思う。
誤解することも多いと思う。

 

子どもたちも見えない
ストレスで心が溢れると思う。

私自身、カウンセラーとして、
教育者として、
この時代を生きる子どもたちが
未来の大人になったとき

どんなふうに心を支えていけばいいか
どんなことが起こるのか・・・考えてしまう。
 

今日、Instagramにこんな投稿をした

本日、カウンセリングに
お越しくださった方に頂いた袋を開けたら…

「終息祈願」

『 一日も早く平穏な日々が取り戻せるように
    心から願っております』と

書かれていました。

大切な想いをいただきました。

マスクをはずして
逢いたい人に逢えて行きたい場所に行ける

当たり前だった
平穏な日々を取り戻したいと本当に思います。

 

 

 

そんな風に思う気持ちを
インスタグラムに投稿したが・・・

よく考えてみると

前と同じ日々は「取り戻せるのだろうか?」
取り戻すのではなく

新しい「平穏」を見つけていくことが
できるかどうかが課題のように思う。

 

 

先日、仲良しの居酒屋のオーナーが
「なかなかお客様が以前のように戻らない」と
お話ししてくださった。

 

 

「習慣を奪われた」と。

 

会社帰りに、なんとなく
一杯、呑んで帰る。

金曜日の夜は、なんとなく
同僚や友達と集まってから帰る。

 

なんとなく、お店に寄ることが
お客様の「習慣」だったのに、

 

その「習慣」が当たり前でなくなると
「寄らないで帰る」が当たり前になると

なんとなくだったから
 

もう「寄る」理由が
なくなってしまったような
気持ちにならないだろうか?

 

 

「習慣」 が 奪われたり
「習慣」 が 変化したり
 

きっとこの環境の影響によって
「価値観」も変わった。

人との付き合い方や
生活の仕方
ライフスタイルも確実に変化し

仕事の常識や
会社の当たり前も変わった。

ウィズコロナ、そしてポストコロナ
大切な人と考えて
 

これからの道を進んでいかなければならないと
強く思っている。

毎月開催している
善本さんとのインスタライブにて
今回は、ご視聴頂いた方からの

質問にお答えするカタチで開催致しました。
 

インスタライブ中に
善本さんと共にお話したことを書いておこうと思います。
 

【 ご質問 】


①どうしたら人と自分を比べなくなりますか?

 

ご質問から想像するに
この質問をされた方は
 

大前提、人と比べることは
「悪いことだ」と思ってみえるのではないでしょうか?

 

「人と比べることが悪いこと」という概念は
固定概念であり「思い込み」ではないかと
まず、思います。

 

どうしてかというと・・・
 

実は、「比べることは悪いことではない」

もし、比べないとしたら、比べないということは

”人と交わらないこと”

”人に無関心であること”に繋がると思う。


人に交わっているから比べるし、
人に関心があるから人と比べてしまう


自分がいるのではないでしょうか?


実は、その先の・・・
比べてどう思うか?が大切なこと

 

比べないと 向上心 が出ないこともあります。
比べることで 向上心 が出てきます。

あの人が頑張っているから
私も頑張る!と思うことができる時もあるでしょうし 

 

これは受けてきた教育、
日本の学校教育にも関係があると思うのです。

人と比べながら育つ風習の日本人。

 

そもそも比べることは悪いことですか?と
思うのです。

 

比べることが悪いのではなく
比べた後のことを考えることのほうが
大切だと思います。

 

自分が成長していく上で
比べることが必要なこともある。

ただ、比較することで苦しい場合は
その比較してしまう場所や
 

比較される内容から離れる・距離を置く
 

ということも必要かもしれません。

 

つまり「環境を変える」ということです。

比べられない環境に行く。
 

例えば、女性であることで 男性と比べられる職場なら
そうではない場所へ行く。

比べられるとは、


自分の問題ではなく
相手の問題である場合もあり

相手の価値観の中で、比較されることもあります。

自分が「比較対象」に、ならない場所を見つけることも大切。

 

 

善本さんのお話で印象的だったのは

「私は、私と比べてもらっていいと思っている」

と話されていたこと。

私が相手の比較対象になることで
相手が楽になるなら

比べて下さいと思っていると・・・


【善本さんの言葉】

私みたいに、大変だった人
がんが末期だった人でも生きている。


病気に、重い・軽いは、ないと思うけれど

「自分よりも、善本さんの方ががんが重かった」

「私よりも重い人もいるんだ」と、

そう思って比べてもらえばいいと思う。


「ステージ4 余命3ヶ月と言われた私でも生きている」

それを、比べてほしいと思う。

「自分より大変な人もいる」と思って欲しい。

そういう比べ方をして
自分より「ひどい人」でも生きてるって

希望になれたらいい。

素晴らしいなぁと思いました。

善本さんががんの患者さまを支え表に立ち、講演活動をされて

たくさんの患者さまを支える”志”を感じることができました。
 



人生で変えられるものと 変えられないものがある。

変えられるものは  「自分」「未来」

変えられないもの  「他人」「過去」


人を変えることは難しい、
自分自身が変わることが大切。

そんな風に一つ目の質問に 二人でお答えいたしました。
 


【 質問 】

②どうしたら自信を持つことができますか?



善本さんの第一声・・・

「素晴らしい!」

自信を持てるようになりたいと思っているこの方、素晴らしいです。


「善本さんは、とても自信があるように
見えるけれど・・・それはどうやって??」

自信があるように、自分を創っている
ふるまっている。


自信を持つようにふるまっていることにより
そんな風になってくる。

習慣にしていくことが大切。


演じているうちに、そういう自分になっていく。

自分で自分を変えていく。と、強く想うこと。

見栄をはること、見栄をはっている。


闘病中に、自分の心が折れそうになったんですけれど

自分の中で「私は大丈夫だ!大丈夫」って

マインドコントロールすることで
自信を持っているような衣装を身につけた。
そういう『洋服』ができた。と想う。


本当は、自信を持てる人なんて
この世の中にいないと思う。

自信を持っている風に演じている。

例えば…

人は、笑顔だから楽しくなる
楽しいから笑顔になるのではなく
笑顔でいると楽しくなる。


この「笑顔」と同じで
「自信」も、そういう風にふるまっているうちに
そうなっていく。

自信のある自分を演じてみる。



人生が舞台だとしたら
この舞台の上でなりたい自分になる。

その舞台の上で、
なりたい自分を演じることが大事だと思う。


善本さんは、
闘病中も笑うことを
欠かさないようにしようと思っていた。

周りにこれ以上、心配をかけないために。

闘病中、そうして同時に思い始めた
がんになったのが「私で良かった」と思った。

 

家族でなくて私で良かった。と思った。
いい意味で比べた。


私の出来る術は、
私が笑顔でいることだと思った。
 

・・・・・・・・・・・・・・・・


そんな素敵なお話をお聴きしました。

まだ、続きがありますが・・・


また後日
改めて続きを書こうと思います。

最近、数年前に教育で関わった

美容師さんたちが頻繁に

事務所にお越しくださっている。

 

何年もお会いしていないのに

皆さん、久しぶりに連絡をくださって

個人的に会いに来てくださる。

 

「会いたいな」と、思い出して頂けること

とても有難く幸せに思うと同時に・・・

 

不思議な感覚があって

数年もお会いしていないのに

SNSで繋がっていたりすると

「ずっと会ってなかった」気がしない。

 

お互いの環境や状況を

ある程度知っていたり

 

私自身も頻繁に

UPはしていないけれど・・・

FacebookやInstagramなど

 

SNS上の「友達」という繋がりの中

会ってなくても”知ってる”って

不思議な感覚だなって思う。

 

「単純接触回数」を増やしておくと

その人との心の距離が縮まること

 

 

セミナーの中でもお伝えしている、

「単純接触効果」を強く想った。

 

「単純接触効果」

 

アメリカの心理学者

ロバート・ザイアンスが発表した

何度も繰り返して接触することにより、

好感度や評価が高まっていくという効果

 

人間関係においては「熟知性の原則」とも言われ

接触頻度が多ければ

近しく感じたり

緊張が取れたり

親近感がわくという心理効果。

 

「相手を知ること」で

最初は、興味がなくても

頻繁に目に触れる機会があると

良い印象を持つようになる心理。

 

 

最近の単純接触回数は

「会う」という”行動”だけではなく

 

SNSでの繋がりや発信も

人の心理には接触回数として刻まれ

「単純接触効果」になるんだなと

自分の感覚を通して改めて思った。

 

最近、様々なお立場の方が

お越しになってくださった中で

 

約10年ぶりに女性の

美容室オーナーのお会いして

本当に驚いた。

 

外見の印象が10年前と

ほぼ変わっていなくて

キレイな美しいままだった。

 

美容師さんって

”すごいなぁ”って感心してしまう・・・

頭が下がる。

 

「美」を売り続けるとは

まさに自分が商品でもあり、

 

毎日、ご自身の周りの方に

美と健康をお伝えしているということは、

 

自分自身を高め続けていることは

やっぱり「プロ」だなと感じる。

 

変わることも大切だけれど

「変わらないこと」

大切なものを「変えない」こと

 

それが、プロフェッショナルだと

 

エネルギー溢れる声で話される

オーナーとお会いできて

スタイルも美しさも不変であられること

教えて頂くことの多い時間でした。

 

 

苦しい状態で

私を思い出し訪ねてきてくださった

美容師さんも何人かみえて

 

様々な悩みを抱える状況で

お越しくださっていたけれど

皆さんに共通して言われた言葉がある。

 

「セミナーの時に、先生が話していた

・・・の言葉を思い出して

先生に会いたいと思ったから連絡した」

 

思い出してくださった言葉は

みなさん千差万別だったけれど

どれも私が大事に想っている言葉だったし

そのセミナーで伝えたかった「想い」だった。

 

「講師冥利」という言葉が合っているかわからないが

講師冥利に尽きる・・・

「幹部が潰れてはいけない」

「幹部が疲弊してはいけない」

 

こんな言葉を言い続けて

「教育者になる教育」を

教育される皆さんに続けてきたが

 

幹部の皆さんが

潰れそうになった時

自分が疲弊していると感じた時に

 

私のこと「存在」を思い出してくださって

何年も経つのに、連絡をくださること

 

伝えた言葉は、届いているし

聴講された皆さんは、その時に、

すぐにその言葉で反応していなくても

 

言葉は、その人の中で

生き続けてくれるんだと

みなさんに、教えてもらった。

 

言葉はタイミングが大事なこと

考えていたら、こんなことを思い出した。

 

8月の善本さんとの

インスタライブの開催前に

善本さんのご家族につらいことがあったので

 

私から連絡して

「今回のインスタライブは延期しましょう」と

善本さんにお伝えしたら

 

「延期はしません。

今回の私たちのインスタライブで

お話しする内容が、

ご視聴して下さっている方にとって

 

”この日”の”このタイミング”で

聴かなくてはならない人がいるかもしれない。

そのチャンスを奪いたくないので

延期しなくて、私は大丈夫です」

 

って言われて、その通りだと共感した。

 

相手に必要な言葉やメッセージを

その日に、その瞬間に

届けなくてはならない時がある。

そういえば・・・と、もうひとつ思い出す。

 

私も父が亡くなった日

セミナー講師をしたし

カウンセリングもした。

 

お通夜も葬儀も

家族や親戚に許してもらって

講師をしてから参列した。

 

それは、父が生前に言っていたから。

「役者は、親が死んでも舞台に立つ」

 

だから、私も立たなくては。

そう思った。

 

その日のそのタイミングで

その人の人生が変わる可能性があるし

 

その日に会えないと

もう2度と会うチャンスがないこともある。

 

そう思って、講師をやったなぁ・・・

カウンセリングしてたな。と思った。

 

私たちが最大限に言葉を研ぎ澄ませ

想いを乗せて言葉を発した時

 

その言葉は必ず、その人の心の中に残り、

生き続けてくれる。

 

そんな風に、様々な再会シーンで

想いや言葉が繋がったので

 

今後、セミナー講師をする際に

今まで以上に言葉を吟味し

 

聴講して下さっている方の「気づき」や

人生に関われるような言葉を

紡ぎたいと心に想うと同時に

「責任」を強く感じる。

 

言葉を大切にしたい。

 

そして・・・

つらいと感じて、苦しくて

立ち止まったときに、私は

「ここにいる」という存在であり続けたい

 

そんなふうに想う

皆さまとの再会だった。

 

苦しい話も、辛い話も

弱くなっていることも

全部、人生の大切な時間だと

自分を大切にして欲しいと心から想う。

 

今日も、大切な人たちの

笑顔と幸せが守られていてほしいと

書きながら切に願っています。

先日、とても深い苦しみの中で立ち向かっている

クライエントさんがカウンセリングに

お越しになった。

 

カウンセラーとして

支えたい気持ちでいても自分にできることは

もう、祈ることしかできないと思うほど

無常に流れていく時間・・・

どうあがいても運命を変えられない苦しさ。

 

祈ることしかできないのではない

祈ることならできるんだ。

 

そうやって、セミナー講師でも伝えているのに

「祈ることならできる」と思えないほど

何かやっていないと心が壊れそうになる。

 

クライエントさんの鏡になる。

カウンセラーの鏡が曇っていては

クライエントさんが自分自身を

クリアに映せなくなる。

 

頭ではわかっているし

そんなことは全身全霊でやってきた。

 

でも切り替えられない日もある。

 

自分の無力さに

押しつぶされそうになることがある。

 

そんなとき・・・

私は、掃除をしまくる。

 

先日は、事務所の台所

排水溝の黒い部分を

ピカピカになるまでこすっていた。

 

この黒い部分を全部、取り除いて

きれいにできたら

あのクライエントさんの闇が晴れないだろうか

この黒い部分が闇なら

この手ですべて取れないだろうか?

 

そうやって、掃除に全集中をしながら

心を立て直していく。

 

手を動かしながら、無になって

掃除をし続ける。

 

もし、この私の姿を

人が見たら殺気立ってると思う。

 

先日は、それでも気持ちが

モヤモヤしたままだったので

事務所の長い廊下の雑巾がけも始めてみる。

 

スタッフのみんなは事務所で

パソコンに向かって仕事しているのに

廊下をひたすら雑巾がけしながら走る私。

 

廊下がピカピカになったら

私の心も少しはキレイにならないか?

 

そんな想いで、廊下を何往復も走り続けた。

 

 

余談だが・・・

 

事務所にお越しになったお客様が

よく事務所の廊下を歩かれた際に

「いつも廊下がピカピカですね」って言われる。

スタッフは みんな

「ありがとうございます」って笑顔で

お客様に言葉を返しているけれど、心の中で

「奥園の心の状態が不安定だと

廊下は美しくなります。。。」と思っている。

カウンセリングルームに

がんの患者様がおみえになって

つらい治療の話を聴いた日の私は

たいていは、トイレのタイルの床をこすり続ける

 

タイルのグレーになっているところを

雑巾でひたすらこすり

少しずつ、タイルが白くなったら

 

クライエントさんの身体のがん細胞も

消えてくれることを深く深くイメージしてみる。

 

「このグレーのシミは ”がん細胞”だ。

 私の手で落としてみせる」

 って、必死にこすってみる。

無力だな・・・って本当に想う。

 

バカみたいだって、いつも思うけれど

掃除の効果はあると思っている。

 

心が浄化される気がする。

浄化のための掃除には、目に見えて汚れが

落ちていくようなところがいい。

 

 

普段は、カウンセリングで受けた

マイナスの「気」を洗い流すために・・・

 

しっかりと泡立てた泡で手から肘までをこすり

シャワーのザーッという音で洗い流し

「気」を「水で流す」ことをしたり

 

カウンセリングルームの空気を入れ替えたり

時には、アロマやお香をたいたり

 

ガンガンに大好きな音楽をかけてみたり

 

カウンセリングのたびに、スーツを着替えたり

 

視覚や聴覚(目や耳)嗅覚(におい)

五感に働きかけることによって

心を鎮静化させるように努力している。

 

次のカウンセリングに響かないように

自分の心を切り替えることと

マイナスの気を心に入れないように

「行動」さえすれば、普段は良くなるのに

 

どうしてもダメなことがある。

 

本当に苦しく重い時は

目先の気分転換や浄化ではダメだと思っている。

 

カウンセラーとして独立してから

お酒は飲まなくなった。

お酒を気分転換の道具にしたり

気持ちの浄化に使ったら

私みたいなタイプは壊れると思った。

 

掃除にしておいてよかったと

私には”掃除すること”効果があると思っている。

 

事務所で私が必死に掃除を始めると

スタッフやマネージャーは

「また、苦しいことがあったんだな・・・」

って、何も言わず、掃除に集中させてくれる。

 

殺気立ったように掃除してる私を見て

「カウンセリング、きつかったんだな・・・」

って、何も聞かずに、私の気が済むまで

誰も話しかけず、ほっといてくれる。

 

トイレの床がピカピカになっていたり

換気扇が輝いてたり

窓が光っていると

「苦しいことがあったんだな・・・」って

みんな思ってくれている。

 

私は、トイレ掃除をスタッフにはさせない。

 

最初は、私が掃除ばかりするから

「自分がやります」と言ってくれた

スタッフもいた。

 

マネージャーが、

「それはやらなくていいよ。

汚れているところが少しないと

掃除するところなくなると困るから・・・」

最初は???だったと思う。

 

その意味が今はもう全員わかっていると思う。

 

苦しいことがあったら

掃除をするのはとても心に良いと思う。

身をもって思う。

 

心も整うし、部屋もきれいになる

一石二鳥だ。

 

でも、本当は

トイレの床はずっとグレーのままで

「そろそろ掃除しなくっちゃ!」って

掃除することを忘れてしまうほど

誰の身体にも悪性の細胞なんて生れないでほしい。

 

心が張り裂けそうなほどの苦しい出来事なんて

私の周りの大切な人には起こらずに、

平穏で幸せな毎日が流れていてほしい。

 

今、事務所は、掃除するところもないくらい

きれいになってしまったので

心も落ち着きを取り戻してきた。

 

今は、ただ、祈ることをしたいと思う。




「SNSの誹謗中傷」

最近、周りでこの問題が大きく波紋している。

 

SNSの投稿で書いた本人は

相手を傷つけるとは思ってもいなくて

 

ネット上に自分の意見を出すことが

会社にとって大きな問題になること

想像もしていなくて

 

そんなこと思わずに投稿したことが

「大きな問題」になることが

最近、私の周りで多々起こっている。

 

 

知らずにやったら問題ではなく

知っててやったら問題なのだろうか?

 

無意識にやったことや

相手を傷つけてしまったことは

「そんなつもりはなかった」という

弁解や言い訳で許されて

 

意識的に相手を「傷つけよう」と

思ってやったことは

罪に問われるんだろうか?

 

昔だったら

誰かと誰かが話していたこと「噂話」だったり

 

一人、日記帳に書いていた「愚痴」だったり

 

話していた相手がその「噂話」を広げたり

「愚痴」を書いていた日記帳を落とさない限り

 

その心の中で思ってたことが

外に出ることはなかった。

もれることはなかった。

 

でも、今、SNSにUPするということは

世界中の人に自分の意見を

「発信しているんだ」ってことの

重みと責任をわかったうえで

発信しなければならないと思う。

 

 

 

新人研修で「学生と社会人の違い」を伝えている。

 

① 電車の中やエレベーターの中で

あなたが携帯を使ってLINEやメールをしていると

そばにいる方が、その画面を読むことがある。

 

書いているメールやLINEの文章が

会社のことやお店のことだったとして

あなたは気づかなくても

 

あなたの携帯画面をのぞいている人が

会社の取引ある関係者や

お店のお客様の可能性もある。

 

 

② 会社の社員、お店のスタッフと

会社を出て帰り道や休憩中に

会社の上司の話やお店のお客様の話をしながら

歩いていたとする。

 

あなたは気づかなくても

あなたを知っている人が

その話を聴いているかもしれない。

 

③ あなたが飲食店で食事中に

会社の話やお店の話をすることを

となりの席でお客様が聞いているかもしれない。

 

充分に気をつけてほしい

学生時代とは社会的責任が違う。

「自分が誰かに見られている意識」

 

自分は相手が分からなくても

看板を背負って自分の存在があることの意識

 

私たちは日々たくさんのお客様に出会うから

一人一人のお客様を

覚えていないかもしれないけれど

お客様にとっては

記憶に残る〇〇店の△△さんかもしれない。

 

リアルな社会の中での

社会人としての気をつけなくてはならないことを

社会人として背負うものがあることを

新人研修で伝え続けてきたつもりでいた。

 

 

でも、時代は変わり

PCの画面や携帯の画面で見る小さな世界の中で

書いているときは目に見える小さな世界でも

 

この中に、この向こう側に

大きな世界が広がっていることを

忘れてしまいそうになることがあるんだと思う。

 

ネット上で発信したことは

些細なこととだと思い

「自分の思っていることを書いただけ」

 

でも、それは大きな問題となっている。

 

相手を傷つけてしまっている。

会社の信用を落としてしまっている。

 

軽率すぎる。

 

 

こんなことがどうして想像できなかったのか?

 

相手の気持ちを「想像する力」

「察する力」が弱まっているんだと思う。

 

この言葉を自分が伝えたら

そのあと、相手がどうなるか?

想像していない。

 

今、自分が伝えたいから伝える。

今、自分が感じたから伝える。

 

その先の少し未来を想像する力が

乏しいから、問題になるのだと思う。

 

相手を「思いやる」「優しさ」が

足りないんだと思う。

配慮が足りないんだと思う。

 

 

ただ、もう一点、

本人だけの問題ではなく

 

会社や上司の社員教育に対する

教育不足であることも否めない。

私を含め教育者の「責任」でもある。

 

「普通、そんなこと書かないでしょ」という

「普通」に対する

こちらの概念を改めなくてはならないんだと思う。

 

自分が相手を傷つけるなんて思わなかった。

そんなつもりで書いていない。

会社にばれると思っていなかった。

上司が読むと思ってなかった。

こんな風に、悪気なく悪いことをした

相手に対し、私たちはどうあるべきなのか?

 

そんなやり取りが繰り広げられる中

会議を繰り返し

悪気なくSNSに投稿した社員の進退について

話し合う時間が続ていた・・・。

 

 

この件について、事実関係も把握でき

話も大詰めに入り始めた 先日のこと・・・

 

顧問先の社長のご都合で会社で話すことができず

ご自宅にお邪魔して幹部社員と

社長宅のリビングで話をしていたら

 

たまたまそこに

社長のご子息(小学校高学年)が

リビングに飲み物を取りに入ってこられた。

話し合っている大人たちに一言。

 

 

「今日、小学校で習ったよ〜」

「携帯で人を傷つけたら 犯罪 だって」

 

 

カワイイ声で、そう言われた。

そうだよね。。。

 

小学校でSNSの勉強あるよね。

小学生でも知ってること。

 

人を傷つけたら犯罪だよね。

 

武器が何であったとしても

人を傷つけたら犯罪だ。

 

悲しい思いをした人がいたら

その悲しい思いをさせた人が悪いよね。

 

真実だ。

 

社長をはじめ

大人たちの悩みや迷いは

息子さんの言葉で吹っ切れた。

 

小学生に教えられた

 

人を傷つけたら犯罪だ

 

この言葉を胸に新たな教育を考えていこうと

心に誓った夜だった。

現在、美容院で働く新人スタッフの皆さんがカウンセリングルームに多く訪れている

相談内容は様々だが
今年度の新人さんに対して
「特徴的なこと」を感じている。

身体的反応として
寝れない・食べれない
吐き気やお腹をこわす
このような状態になり
職場でめまいやふらつきがあり
顔色も悪くなり身体もだるくなる。

心の反応として
やる気はあるのに
身体がついていかない・・・
何もポジティブに考えられなくなり

このまま仕事を続けられるか?の
不安が心を大きく支配し始める。

よく考えてみたら
このような状態でポジティブに前向きに
考えられるような精神状態が作れるはずがない。

ネガティブな自分が
弱くて、ダメな自分のように
甘えてるんじゃないか?って
自分を責めてしまうかもしれないが

美容院の中で朝から働き
慣れないお客様と緊張しながら話し
まだまだ未熟な技術を鍛錬し
トレーニングまでしている。

それなのに、ご飯が食べれていない。
食事を摂れていないんだ・・・。

こんな状態を続けていて 力が出てくるはずがない。

身体は、飢餓状態になっていくのは
当たり前だし、体重が減るのも
こんな生活をしていたら当たり前。

「美容院で働いたら体重が減った」
「仕事がきつくてストレスで痩せた」
・・・そうじゃない。
食べてないから体重が減ったんだ。
ただ、食べ物を摂取していないから痩せたんだ。

原因は、食べてないこと
結果は、痩せたこと。

精神的なことを複雑に絡ませてしまったら
根本的な問題が自分の中で
どんどん複雑化していってしまう。

吐き気がするから食べなくなったのか?
食べたら消化不良を起こし食べれなくなったのか?


もう、負のスパイラルに入ったら
どちらが先だったかなんて
思い出すこともできない。

ともかく、苦しい。

バランスを崩しているので
夜も寝つきが悪く
寝れないから、スマホでゲームしたり
SNSを見ていたりする。

身体の疲労と精神的疲労の
バランスが取れていないから
深く眠ることもできず
途中で目が覚めて睡眠不足になる。
その睡眠不足が慢性化していけば
仕事中にふらついたり、めまいがするのも
当たり前だと思う。

こんなことを繰り返す時間が
長くなれば長くなるほど、
自分はうつ病なんじゃないか?とか
不安は、どんどん大きくなる。

顔色は悪くなり
目に力がなく
声にもハリがなくなっている。

客観的に考えると
食べていなくて、眠れていない人が
ポジティブな思考で物事を考えられるだろうか?
元気にエネルギー溢れる顔で
接客業ができるだろうか?

問題は、自分が弱いことではなく
「食べてないこと」
「寝てないこと」

これが最初の「解決するべき課題」だと思う。



どうしたら食べれるようになるのか?

この質問を投げかけた時
一人ひとりのおかれている状況は違う。

例えば・・・

① 固形物が食べられない
➺ゼリーや飲み物フルーツを食べるようにしてみる

② 早くお弁当を食べることができなくて
 食べることをやめてしまった
➺上司に、きちんと休憩が取れるように
 サポートを依頼する

③ 昼休みに食べるものを買いに行く時間がない
➺朝起きれないことが原因で仕事に入る前に
 食事を用意できていない。
 それなら、昼食の準備ができるよう
 睡眠改善も含めてまずは食事の確保の
 方法を考える



このようなことを一人では
考えられないような状態になり

自分の生きる上での(生命維持のために)必要な
睡眠・食事・休息ができていないことは
職業人として、
「自分のメンテナンスができていない」
と言える。

メンテナンスの方法を一緒に考え、
共に考える相手がいれば考えて行った
メンテナンスがうまくいったかどうか?
結果を共有したり
フィードバックする時間を設けることができる。

負のスパイラルに入り込んだら
なかなか1人で解決の糸口を見つけることは
難しい。

相手(カウンセラー)に「報告しよう」とか
「心配しているからLINEで今日の状態を伝えよう」
と思うと

「今日は、休憩中にプリンが食べれました」
と、送ってくれるようになる。

相手(カウンセラー)に食べれたものを
LINEにて報告するだけでも
「自分自身がどれだけ食べれていないか?」に
気づき
「どれだけ食べれるようになりたいか?」
「どれくらい食べる必要があるか?」が
明確になる。

これだけでも大きな最初の一歩となる。

カウンセリングにお越しになった
新人スタッフがカウンセリングの回を
重ねるごとに状態が良くなっていくのは

カウンセリングの技術やカウンセラーの力ではなく
本人が大したことないと思っている問題
=身体のサインに目を向け

自分の身体と対話をしてくれることにより
もともと、できていたことが

できなくなった生活パターンを
取り戻そうと努力してくれれば

必ず自分の力でよくなる。

私たちの身体は、必ずよくなろうと進み始める。

自分で、自分の心のサインに気づかないから
身体のサインをちゃんと聞いてあげないから
身体は、もっと、サインを出すようになる。



食べないなら、もっと胃を痛くするぞ。
寝ないなら、頭痛を出すぞ。
何も飲まないなら、めまいを起こすぞ。


そんな心の声と身体のサインが出た時に

※きちんと食事を摂るようにしよう。
おいしいって心が感じられる食事を
リラックスできる環境で食べよう。

※こんなに疲れているのに
眠れないことはおかしいことだから
ゆっくりお風呂に入って
リラックスをして携帯は持たず
いつもより早くベットに入るようにしよう。

こんな風に思ってくれて
行動を変えてくれたなら
心が後ろ向きになんてならず
自分は弱い人間だなんて思わなくてよくて
人と比べることなんてしなくなると思う。

食べれない、寝れないということ
こんな精神状態に陥ることを
マズローの5段階欲求で解説すると・・・

【マズローの5段階欲求】


①生理的欲求
寝たい・食べたい生命を維持することが危ぶまれ

②安全の欲求
休憩したり眠ることができなかったり

③所属の欲求
今の職場で働き続けられるだろうか?と
思い始める。

①②③がぐらつけば
④⑤の段階に進んでいけるはずがない。

生きる上での大切な欲求の
根本の3階層が守られていなかったら
4階層目の「承認欲求」は満たされるはずがない。

自分を承認することも
自分を肯定することも

できるわけがない。
できなくて当たり前。

入社した時は
希望に目をキラキラさせて
自分の美容師人生に期待を膨らませ
素晴らしい職場の仲間とともに

5段階目の自己実現に向けて
技術トレーニングをし
接客技術を学び練習に頑張った。

間違えなく5段階目にいたんだ。

でも、自分の心と体の疲れや
サインに気づかなかったから
身体が悲鳴を上げたんだ。

ただ、それだけで
それは、自分が悪いんじゃない。
弱いせいじゃない。

生きることを紐解けば
自分がどうして力が出なかったか?は
必ず理解する日が来るし
どうしたらいいかの解決方法は必ず見つかる。

だから
眠ること・食べること
当たり前のことから取り戻してほしい。

立ち止まることを
自分に許してあげてほしい。

今、少しの遅れをとっても
長い人生で考えたら一瞬のこと。

どんな道をたどっていっても
最終的にゴールにたどり着ければいい。
時間がかかってもいい。

「美容師になる」って
髪を切ることができるようになることが
ゴールじゃない。
美容師になってからのほうが、
ずっと、ずっと長いんだ。

自分が立ち止まった分だけ
必ず成長がある。
人の気持ちがわかる人になる。
自分のことがわかる人になる。

人生の中で一番長く付き合う
「自分」のことを
もっと、大切に深く理解してほしい。

今回立ち止まったのは
自分の弱さではなく
自分自身を知る学びを
与えられるチャンスだったんだ。って、
必ず、思える日が来るから。

その日が来るまで
一緒に立ち止まり歩いていく力を蓄えて
必ず光を探して共に伴走するので
苦しいことがあったら
体調がおかしかったらサインを感じたら
カウンセリングに来てほしい。

待っている人がいることを忘れないでほしい。


父が「がん」と宣告されて多くのことを学んだ。


父が「がん」になって・・・


① 家族が「がん」と闘う気持ちを学び
家族の誰かが病気になったときに
「当事者を支える家族」の気持ちが理解できた。

② カウンセラーは家族や友人の
「カウンセリングはできない」ということを
身を持って理解した。
➺ カウンセリングを学んでいる時に
お医者様もカウンセラーも身内は
「診れない」と学んだ。そのことがよくわかった。


カウンセラーも「ひとりの人間」なので
友人や家族に対しては、自分の”気持ち”があり

「相手に対してこうなってほしい」という
自分の感情が、邪魔をして
相手に対して客観的に観る力が鈍り

相手がカウンセラーを通して
「自分自身を映し出す鏡」になれないことを
頭では理解してきたつもりでいたが
本当に、全然ダメだった。

父の大きな問題「がん」を前に
自分自身の無力感と立ち向かったのを覚えている。


父が闘病中に、がんの進行によって
「歩くことができなくなり
  車イスになるかもしれない」


主治医から説明を受けた日、
父は、とても落ち込んでいる様子だったので
私は、その日の夜、仕事が終わり
父のことが気になって病室へ向かった。

父の病室に着き、ベットに近づいたら
父は、私が来た事に気づかず
天井の一点を見つめていた。

天井を見つめる父に
「どうした?」って声をかけると

「車イスになるくらいだったら、
  死んだほうがましだ」
と私に話し始めた。


カウンセラー
なら、
それくらい「つらいんだ・・・」と
相手の感情を
受け止めるであろう自分を分かっていながら

父に対しては、
「そんな弱気なことを言って欲しくない」という
娘の感情でいっぱいになった私は


「お父さんはそうやって私の友達の
車イスの〇〇さんのことを否定するんだね」

「〇〇さんは、死んだほうがましだって
 お父さんは思ってるんだね」と、言った。

父は、普段から 私の車いすの友人のことを
とても大切にしてくれていて
私の友人も父のことを「お父さん」っていうくらい
仲良しなのに、そんなことを言う父が許せず

話の論点が違うことは分かっているのに
そんなことを父に向って言った。

父は、天井を観ていたのに
「ごめん、ごめん、そんなつもりで言ってない」
「死んだほうがましなんて言って
お父さんがバカだった」と。

がんの父は、娘の前で本来の「父親」に戻り
娘に謝った。

私は、父に
弱音を吐かせてあげることすらしなかった。

父には、最期まで
父のままで生きていてほしかった。
私は、その想いが強かった。

父が車イスになったとしても
「生きていてくれるだけでいいんだ」
「この世に存在してくれるだけでいいんだ」と
本当は伝えたかった。

その私の感情が、父を支える気持ちより
娘である自分の感情が
支配していることを痛感する。


「車イスになるくらいなら死んだほうがましだ」

父のこの言葉には
次から次に始まる治療や
つらい抗がん剤の副作用に苦しみ
自分の身体が変化していく恐怖に耐え

「つらいんだ」「怖いんだ」っていう
父の気持ちが含まれていること
重々わかっているはずなのに
父に対して、気持ちを受け止めることすら
私にはできなかった。


父の病室を出て
娘の私の力ではダメだ・・・と思った。

“家族だけの支え” では
父の心を支えきることができないかもしれない。

その気持ちを、
リボネットの活動を通して支えて頂き
基調講演の依頼などお願いしている
外科医の先生に伝えたら
先生が私の代わりに
父のカウンセラーとして
(カウンセラーのように)支えてくださった。

父の苦しみも父のわがままも
先生が傾聴してくださり支えてくださった。

そして、普段から私の活動を全面的に
応援してくださっている東京の先生も
父の病室に来てくださって
戦う力とエネルギーを与えてくださった。

父は、がんと闘い
また普通の暮らしに戻りたいと思っていたので
友人や親戚、仕事関係者の面会を拒否していた。
弱くなっている自分を見せたくなかったようだ。

家族と主治医とサポートしてくれる専門家としか
「会わない」という選択をしている父にとって
弱いところを見せられるのは
“家族以外” だったような気がする。

最期まで、家族には弱みを見せなかった。

父が天国へ旅立って3年が経つ。
今日は、父のお誕生日だ。

そんな風に父のことを思い出しながら・・・

・・・・・・・・・・・・・

リボネットの講演会や
がんの患者さんを支える美容師さんに対して
講師をする時に、父との闘病生活での時間や
患者の家族として体験したことをお伝えしている。



自分の大事な人が「がん」になったとき
あなた一人で支えられないことがあります。

そのときに、あなたとあなたの大事な人のために
必要になってくるのは「人脈」です。

がんの患者さまを支えている美容師さんは、
最初は自分の「お客様の力になりたい」と
学び始めるかもしれないが
「相手のために」と思ってかけた時間と学び、
そして優しさと想いは、
必ず、自分と自分の大事な人を
助ける力になると思います。

がんの患者様を支える活動を通して、
たくさんの信頼できる先生や
患者会の方々や経験者の方に
出逢える機会があります。

がんの患者さまや家族を支えようと
活動して下さっている方々の中には
本当に素晴らしい方が多いと私は感じています。

たくさんの苦しみや悲しみを経験し、
強さと優しさを持ち合わせている方ばかりです。

知識をつける勉強の場としての活用だけでなく
この学びの「場」の中で、えられるご縁を
皆さま自身と、皆さまの大切な人のために
活用できることを覚えていてほしいと
思っています。


学びの場で出会う「素晴らしい方達」は、
自分とは違う価値観を持ち
知識や経験・体験を持っていて
何かあった時に支えてくださる可能性が高い。

大切な人を守りたいと思ったとき
周りの人の「力」を借りること
「パイプ」を持つことは
何にも替え難い財産になると私は思う。

自分に、いつ何が起こるかわからない。

その日のために
「何かあったらこの方に相談しよう」と思う
「人脈」を持つことは重要で
私自身もその人脈に助けられた。

自分のがんの患者様を支える活動が
父の助けになるとは
活動を始めた時は想像もしていなかった。


これから・・・
私自身が知識や経験を増やし
がんの患者さまや家族を支える力を
今以上につけることはもちろんのこと

そして、自分の活動を通して
素晴らしい先生方とのご縁をいただき
そのご縁を学びの場を求める皆様へ
つないでいけるような出逢いの場を
増やしていきたいと切に思います。

先日、会社の幹部会議に出席した際に
質問があった。

「電話に出るとパッと言葉が出なくなると・・・
本人は、改善したいと思っているので
上司としてどのようにサポートしたらいいか?」

という質問だった。

お客様からの電話に出る際に
自分がうまく話せないことを
コンプレックスに思っているということに対して

トレーニング方法として
緊張しない自分を作るために練習をすること。

自信は「準備」によって出来上がる。

どんな準備をしたらいいか?

上司が携帯でお店に電話して
本人がいつも通りに電話に出て
電話口の向こうの「お客様役の上司」に
お客様が質問しそうなことを
電話口で演じてもらう。
そのパターンをいくつか繰り返し
できるようになったことを
誉めてあげたり、

前回よりも良くなっている
改善点を伝えてあげる。

------
できないと思い込んでいると
電話に出ることに対して
自信がなくなっていく。
その悪循環を止めるためには
上司が、できていないことではなく

できていることに目を向け
できていることを喜び
誉めてあげることが大切だと思う。

※ 電話は、相手の顔が見えないことで
不安になる方もいる。


電話の前に鏡を置くのはどうだろうか?



電話機の前や そばに「鏡」を置き
自分が笑顔で話しているか?チェックしてほしい

このことは、よく受付の方の研修で伝えている。
電話の向こうでその人が笑顔かどうかは
相手に伝わる。

「声色」を人は感じる力がある。

相手の声が明るいか曇っているか?
こもっているか?
電話で感情は伝わる。

だから、自分の顔を見て笑顔かどうか?

笑顔で電話に出る意識を高めるために
鏡を置いて電話に出る。

「自分は、笑っているか?」
確認するために。

笑っているか?の確認も
緊張するタイプの方には
有効に働く可能性が高いと思うので、
やってみるといいと思う。

------
楽しいと笑顔になるのではなく
笑顔だと楽しくなる
電話に出ることが怖いと
きっと、笑顔ではないと思う。

電話に出る前に笑顔になり
電話で話しているときに笑顔でいれば、

「恐怖」ではなく「楽しく」なるかもしれない。



電話に出ることに対して緊張し
言葉がうまく出ないなら

①ロールプレイング(練習)してみる
②鏡を使い笑顔を作る努力をする



こんな2点を伝えていたら・・・

「吃音症という障害かもしれない」

一人の幹部が話し始めた。

障がいだったら、それを伝えて
治す努力をしたらいい。

そんな話を始めた。

私は、症状を障がいという言葉で
くくられることが好きじゃない。

「障がい」って言葉も
「病気」って言葉も好きじゃない。

障がいとか病気って言葉を伝えられて

自分は「障がい」を持っているんだ、
「病気」なんだ、と
苦しむ人もいる。

病気や障がいは何をもって
「治る」と言うんだろう?



今回の質問のケースの部下は
君は「吃音症」だと思うよ。と
上司から言われたら

トレーニングしてもだめかもしれないって
思わないだろうか?

努力しようとする本人の気持ちを
奪わないだろうか?

今回のケースについては
本人の気持ちを奪う気がする。

それに、もし、トレーニングしても
練習しても、うまくいかなかったり

仮に「吃音症」だったら
本当に治さないといけないんだろうか?

ほかの人みたいに
電話に出れないと仕事できないんだろうか?

電話に出なければいい。

他にたくさん社員がいるんだから
他の人が電話に出ればいい。

障がいは、当たり前にできることを前提とした
社会の中で、できない人が悪いみたいに
線引きするから「障がい」になる。
ハンディになる。

障がい名や、病名を言われて
楽になる場合もある。

子どもを大切に大切に育てても
なかなか成長に遅れがあると思って
自分の育て方が悪いのか?と悩んでいた母親に

医療機関にて病院の先生が
「障がい」があると伝えた際に
「私のせいじゃなかったんだ・・・」と

目の前が明るくなり
その子に合わせた養育ができるようになるという
良いケースもある。

ただ、大人になってから
職場の方に「あなたは〇〇だと思う」と言われたら、

その人は、きっと〇〇(名称)を調べるだろう。
調べた時に、上司は、自分のことを
こんな風に見てたんだと
落ち込むかもしれない。

「『障がい』じゃないか?」
「〇〇という病気じゃないか?」
「一度、病院に行ったほうがいいよ」
こんな言葉を伝えるときは慎重に
相手の状態と相手のタイミングを見て
伝えてほしいと思う。

・答えが見つけ出せなくて苦しくて苦しくて・・・

という方には、何か「名前」があったほうが
光が見えることがある。

・今、頑張ろうとその道を歩いている人に

「あなたはこうではないか」と伝えることは
その方の目の前にシャッターを下ろすことになる
可能性もある。

・相手をよく観察してほしい。
・相手の望んでいることをよく見てほしい
・相手に必要なことを与えてほしい。

一度、言った言葉は消せない。

その言葉が、その人の人生に
大きな影響を与えることもある。

大事なことを伝えるとき
その言葉を伝えた後、相手がどう思うか?
その先を考えて、伝えてほしい。

それが、相手と自分を守ることに
必ず繋がると思っている。